第三十五章 狗神 -7-
槍が、迫る。
打撃を意図した振り回しから、刺突への変化。
これは、ぼくも予想していた流れだった。
マタザも、ぼくがそう簡単に仕留められる相手だとは思っていないだろう。
ゆえに、切り札は隠していたはずだ。
それが、この閃光のような一撃。
突きに慣れているはずのぼくの目ですら、追うのがやっとだった。
身を捻れば、回避は可能だろう。
ただ、穂先にまとった神力を至近で受ければ、障壁は破られるかもしれない。
ここは、切り札を切るべきとき。
──上空への跳躍。
眼下には、半身が吹き飛ぶぼくの姿が見える。
水鏡に映る影。
ジリオーラ先輩の独自魔法。
光系統と水系統の複合魔法なので、ぼくでは精々一体の分身を作り出すのが限界ではあるが……。
追尾してくるマタザの槍を回避するには効果的だ。
(──見切った)
圧倒的なマタザの神力。
至近で見て、その使い方を理解する。
マタザの神力は、ただのエネルギーではない。
あれは、意志を持ったエネルギー。
マタザの神力には、強烈な指向性が与えられている。
(そうか。そもそも、神とは意志を持ったエネルギー体。神力が、意志によって指向性を──属性を帯びるのは必然だ。ファリニシュは物体を凍結させることに、マタザは物体を破壊することに特化している)
確か、魔王テンマ・ゼクスが破壊神の現身のはず。
すると、マタザの力は魔王に与えられたものか。
本家の力でないなら、ぼくにも付け入る余地があるはずだ。
マタザの眉がひそめられる。
手応えがなく、幻だったことに気付いたか。
上空から攻撃することもできたが、神力の観察に神経を注いだため、機会を逃す。
「陽炎──朧転身か。小癪な手妻を」
マタザは剛直な戦場の戦士。
技倆も高水準だが、それ以上にパワーに特化している。
それだけに、こういう小手先の技が意外と通用すると見た。
ブンゴには見切られる技も、マタザには有効となる。
「見たぞ、マタザ。神力の秘奥」
マタザの背面に着地し、口角を上げる。
「ぼくは一度見た技を盗むのは得意でね……。不用心に奥の手を披露するもんじゃないぜ」
「──今ので終わるつもりであった。予想を上回ってくる武人は久しぶりだ。豊後を前にして生き延びたというのも頷ける」
振り向いたマタザが、槍の穂先をぴたりとぼくに合わせた。
「本気でやらねばならぬようだな。そろそろ時間もない。あの狼が、終わらせてしまう」
ファリニシュは、熱砂の上にメートヒェン山の氷河で荒れ狂っていた吹雪を再現していた。
指導者の本隊は、視界も効かぬ猛吹雪の中に閉じ込められ、動けないでいる。
かろうじて逃れた兵も、なすすべなく立ち往生しているようだ。
動き回っているのは、騎馬隊だけ。
マタザとファリニシュの手の届かないところで、騎馬隊は苛烈にぶつかり合っている。
お互い歩兵の軍列は乱れまくっているのだ。
目の前の敵を突破すれば、大将に手が届くと思っているのだろう。
「お遊びはこれまで。それは、こっちも同じだよ、マタザ」
慣れ親しんだ構えを取る。
右半身になり、両手を前に出す。
アセナの拳の基本的な構えだ。
「飛竜やクリングヴァル先生が来ていれば、お前はもうとっくに屍を晒していたはずだ。だが、彼らは来ず、ぼくに任された。お前くらいなら、ぼくでも倒せるだろうと、二人が判断したってことだ」
「西の惰弱な兵にしては傲岸不遜」
槍の穂先がぴたりとぼくの目の前に当てられる。
穂先から立ち上る神力は、見るだけで並みの人間の心を挫くに十分な圧力を持っている。
マタザは、気を消すつもりはないようであった。
全力で、ぼくを消し飛ばすつもりなのだ。
読まれようとかわされようと、関係なく周囲ごと吹き飛ばす気なのだろう。
ぼくの障壁など、紙のように破られる。
「賢い者なら逃れるであろうに。この槍を前に、なお立ちふさがる男は久しぶりよ」
「まあ、確かによく莫迦だって言われるよ」
力を貯める。
勝負は、一瞬で決するだろう。
マタザが全力の一撃を解放するとき。
それが、決着の刻だ。
神の眼の範囲を広げる。
今まで、マタザの動きに集中していて、他の戦場の動きなど一切目に入っていなかった。
それができなかったのは、恐怖。
マタザの一撃を回避できなければ、一瞬でぼくの身体など消し飛んでしまう。
その怯えが、視界を狭めていた。
いまでも、その恐怖はある。
だが、怖いということを認めれば、それを手懐けることもできる。
今の自分を否定するのではなく、受け容れることで心を平坦な状況に持っていくのだ。
少し離れた場所では、ノートゥーン伯とティナリウェン先輩がマタザの麾下のスケーモンと渡り合っている。
二対一でも押されているが、それでも危険と言うほどでもない。
トリアー先輩、ジリオーラ先輩、マリー、アルバート・マルタンの四人が、ベルナール先輩たちの支援を受けながらそれ以外のマタザの兵の相手をしている。
スケーモンほどではないが、強い。
騎馬していることを考えれば、雑兵ではなく、高級士官なのであろう。
だが、すでにジリオーラ先輩が一人を倒している。
マルタンが少し劣勢だが、ベルナール先輩が牽制しているからなんとかするだろう。
ファリニシュの許へは、ヤフーディーヤ軍の本陣から大火力の魔法が撃ち上がっているようだ。
だが、通じていない。
すでに、あの場はファリニシュの神力によって制せられている。
あのフィールドの神力を打ち消すほどのエネルギーを結集しないと、ファリニシュに刃は届かない。
ま、大丈夫だろう。
ファリニシュをぼくが心配するなんておこがましい話だ。
あの狼は、一人で魔王の軍団の侵攻を撥ね返したことがあるのだ。
あの程度の軍など、本気を出せば相手にもなるまい。
全体を見ながらも、マタザの動きからは視線を外さない。
クリングヴァル先生に武術を習った際に、教わったことだ。
一箇所に意識を集中させると、そこに囚われて逆に動きが固くなる。
意識を固定化させるな。
クリングヴァル先生は、口を酸っぱくして言っていた。
神の眼を使えば、ぼくの視界は人間の領域を遥かに凌駕する。
だが、意識が囚われていては、せっかくの加護も宝の持ち腐れだ。
だから、初めは神聖術を使うことを禁じられていた。
使わずに戦えてこそ、神聖術を使ったときにその能力を十二分に発揮できる。
そう、わかっている。
マタザの兆しを読み取るのは、そう難しいことではない。
彼はもう、意を消していないのだ。
神力のうねり。
その波の起こりから、観ることができる。
ぼくの周囲ごと吹き飛ばす威力。
離れていた場所にいるマタザの家臣やイ・ラプセルの騎馬隊も、巻き添えを食うのは間違いない。
後方に逃げたハーフェズの兵にも甚大な被害が出るだろう。
「やれやれ」
ため息を吐くと、ぼくは一気に踏み込んだ。




