第三章 黄金の鷲獅子 -10-
翌朝早く、ゼルティン山へと出発する。
アッペンツェルからは、なだらかな牧草地帯が続く道だ。
緑の牧草の中には黄色いタンポポが咲き乱れ、目を楽しませてくれる。
落ち込んでいたハンスやビアンカも気分を切り替えたようで、暗い表情を払拭していた。
青空に牛の鳴き声が響き渡る。
この国は、何処へ行っても酪農が盛んだ。
山が多い地形が大規模な畑を作り難くさせているのだろう。
アルマニャック王国を旅しているときによく見掛けた小麦や葡萄の畑は、たまにしか見ることはない。
谷あいの道を抜け、ゼーアル湖畔で休息を取る。
水面を見ながらのんびりとしていると、小鬼の小集団が現れた。
十体程度の数だったので、ハンスとビアンカの班が飛び出して迎撃する。
ファドゥーツ伯の兵を相手にしていたときは、大きな盾と訓練された戦列に苦戦していたが、統制の取れない小鬼程度なら彼らもやられる気遣いはない。
ハンス・ギルベルトは流石の剣の冴えを見せ、二体を斬り伏せていた。
ハンスの剣技は幼少から訓練を積んだ本格的なものだから、安定感がある。
小鬼の剣など斬り合わずに、身をかわして一合で首を飛ばしてしまう。
剛の剣だな、あれは。
ビアンカも身体強化を使って男に負けぬ剣を振るう。
ハンスよりも力任せで荒い。
剣技がまだハンスほどではないのもあるが、性格だなあれは。
撃ち合った剣を弾き飛ばし、肋を叩き折り、頭蓋を砕く。
まさに蹂躙と言っていい戦いぶりだ。
ハーフェズが苦笑しているが、それでいいのかビアンカ。
やり切ったいい笑顔で手を振っている場合なのか。
さり気なくマリーも彼らに紛れ込んでいた。
小鬼の棍棒を華麗にかわし、細身の剣で喉を一突きである。
身体強化が敏捷性に特化しているので、攻撃が当たる気配もない。
ハンスでも攻撃をなかなか当てられないからな。
剣の技倆の差でまだハンスが有利なんだけれどね。
他の班員は、身体強化を使ってやっと小鬼と渡り合える感じかな。
必死に戦っている感じがある。
魔法も剣もまだまだ始めたばかりですってところだなあ。
ま、これが普通なのかね。
ポイントが零ではなくなったことに、大分みんなの顔も明るくなった。
ぼくも罪悪感を減らせてよかったよ。
ぼくとハーフェズの容赦のない魔法で割りを食っている人が多かったからな。
マリーも鬱憤を晴らせたようだ。
そんなことで時間を取られたものの、ゼルティン山頂までの四マイル(約七キロメートル)の道のりは順調に進んだ。
それでも、此処まで四日掛かっている。
馬を使ったサルバトーレなら、二日で辿り着いているだろう。
速度では圧倒的に負けている。
さて、結果はどう出るかな。
山頂の洞窟に入ると、中にはドゥカキス先生と先行した三班の生徒たちが待っていた。
ああ、案の定サルバトーレが得意そうな顔をしているな。
やつめ、前髪を掻き上げて斜め四十五度の角度で笑顔を作っていやがる。
死んでしまえ。
「イリヤさんもこんな能無しの班に入るから今頃到着になるんですよ。わたしと一緒に来ていればトップになれたものを」
「おや、わっちは負ける勝負事はしんせん。主様を信じなんす」
艶然と微笑むファリニシュだが、負ける要素は欠片もないからな。
そりゃ余裕にもなるだろうよ。
人が悪い──いや、狼が悪いな。
その間にハンスの班が学生証を結晶に翳す。
小鬼討伐のポイントは予想より高く、サルバトーレ以外の班には勝っていた。
だが、サルバトーレ班の一番乗りのポイントはかなり評価が高く、ハンス班ではひっくり返せない。
次に入ったビアンカ班はハンスよりポイントが低く、サルバトーレのトップは動かない。
サルバトーレの鼻は膨らむ一方で、満面に笑みを浮かべていた。
もう勝った気でいるのか、ハンスやビアンカやマリーにも、どや顔で自慢をしている。
あ、ビアンカがぶん殴った。
流石、ビアンカさん。
ぼくたちは心の中でビアンカに対する喝采を叫んだ。皆の意志が統一された瞬間である。
マリーとハーフェズが学生証を取り出したので、ぼくも結晶に向けて翳した。
結晶に光が吸い込まれ、ぼくたちの到着を認識する。
同時に、その情報を見たドゥカキス先生が蛙が潰れたような声を出した。
「一万六千三百……何ですかこの出鱈目な数字は! 何をしたんですか、アラナン君!」
確かに出鱈目だった。
トップゴールのサルバトーレが千六百、続くハンスが八百五十くらいの数字である。
まあ、仕方ないよね。
討伐数は六十を超える上、飛龍が含まれている。
魔物の格が上がるごとにポイントも増えるんだから、あれくらいにはなるだろう。
にやにやしていたサルバトーレが、一瞬で凍りついた。
あんぐりと口を開け、恰好を付けるのも忘れて立ち尽くしている。
「一万六千三百か。本気でやればもう少しいったよなあ、アラナン」
「そうだなあ、敵が少なくて女性陣が暇していたもんな。魔物さえもっといれば倍は堅かったかな」
サルバトーレの前で、ぼくとハーフェズがわざとらしく残念がる。
サルバトーレがかくんと口を閉じると、青ざめた顔色が見る見る真っ赤になった。
「フ、イカサマだ!」
サルバトーレは、わなわなと体を震わせた。
「危険度緑の魔物は一体百得点。百六十体も魔物を倒せるはずがない!」
「まあ、実際百六十体も倒してないなあ、アラナン」
ハーフェズが虫も殺せなさそうな笑顔で言うと、サルバトーレは得たりと頷く。
「それ見たことか! 不正を働いたに違いないのだ! 大体、アルビオンの野蛮人などが、そんなに得点が取れるはずがないのだ。勝利はこのメディオラの白い跳ね馬のものなのだから!」
無言のまま、ビアンカが正拳をサルバトーレの鳩尾に叩き込んでいた。
色々言いたいことはあるだろうが、あれは自分と紛らわしい異名を名乗るなと言う意思表示だろう。
サルバトーレは悶絶し、ぼくらの間でビアンカの株が急上昇した。
「痛そうなところ悪いが、一万ポイントは飛竜の分だな。危険度赤の魔物は一体でもそれだけ入る。ま、後は危険度緑の魔物だけれどね」
飛竜は、太陽神の翼と神剣フラガラッハの力があって倒したものだ。
個人的には学長の制限を外れているので外してもいいんだが。
それでも断トツのトップだしな。
ドゥカキス先生がやりやがったなこの野郎って目で見ているし……怖いよ!
ま、正直サルバトーレなんてどうでもいいんだ。
これからのことを考えれば、些細な問題だ。
ハーフェズの執事がギルド長を通して学長にも報告を入れるだろうけれど、一応先生の耳にも入れておこう。
「それと、イグナーツが手引きをして、ファドゥーツ伯がぼくらを襲撃してきた。無事に撃退したけれど、ハンス班のカレル・イェリネクが負傷した。ファドゥーツ伯は追い払って、イグナーツはハーフェズの執事が預かってフラテルニアに護送したよ。怪我をしたカレルと一緒にね。イグナーツの班の二人まではわからないけれど、途中でリタイアしているんじゃないかな」
カレルはボーメン王国のチェス人だ。
マジャガル人たちの北方にある王国であり、帝国の貴族であるリンブルク家が王位を継承している。
リンブルク家は帝国の帝位を狙うヴァイスブルク家とは好敵手の間柄で、エーストライヒ公爵領とボーメン王国には常にきな臭い匂いが漂っている。
もっとも、カレルはリンブルク家ではなく、その家臣の騎士の家柄だけれどね。
あまり成績もよろしくない。
「ファドゥーツ伯の背後にはエーストライヒ公がいるようだから、厄介なことになるかもね……あれ、先生?」
おっと、やばい。ドゥカキス先生が卒倒した!




