第三十五章 狗神 -6-
轟、と大地が震えた。
頭上から振り下ろされたマタザの槍を、余裕をもってかわす。
技と言うほどのものではない。
ただ、力任せに叩き付けてきただけだ。
予備動作もはっきりと見える。
左に避けて、逆撃を試みようと思ったとき。
衝撃がぼくの障壁を襲う。
「──くっ、当たってないのに……」
マタザの一撃の余波で、撤退しつつあるシーリーンの部隊の最後尾が蹴散らされている。
でたらめにもほどがあるってもんだ。
恐らく、これでもまるで本気ではない。
遊んでいるだけだろう。
「なかなかすばしこいな。だが、いつまでそれが続くかだ」
マタザの神力は圧倒的だ。
竜化したクリングヴァル先生に匹敵するんじゃないか?
まともに受ければ、骨も残らずに消し飛びかねない。
回避してなお、余波がこちらに届く。
それにしても、この威力を無尽蔵に放出できるものなのか?
まあ、下級とはいえ、相手は人ではなく神だ。
これくらいの芸当ができても不思議はないが……。
フワルシェーダと同じ下級神なのに、出力がこんなに違うものなのか?
「多少は力を使えるようだが─」
矢継ぎ早にマタザが槍を振り回す。
まあ、速度だけなら黒騎士や聖騎士の連続攻撃に慣れたぼくなら対応できなくはない。
問題は、威力だ。
ぎりぎりにかわしては、余波で障壁が削られてしまう。
それだけに、回避に余裕ができない。
一瞬の油断が、命取りになる。
「所詮はその程度か。あの狼ほどの脅威はない」
マタザの口が、僅かに歪む。
その槍が、頭上へとかざされた。
振り下ろすためではない。
その先は、上空のファリニシュへと向けられていた。
「雪……」
前方の敵陣に、静かに白いものが降り始めている。
その勢いは次第に強くなり、そして風も吹き始めていた。
「砂漠を氷雪の地へと変える。恐るべき狼よ。あれだけの芸当、貴様にはまだできまい。このマタザに当てるならば、あの狼にするべきだったな」
砂漠では、ファリニシュの氷雪の魔術は威力がかなり減衰するはずだ。
個人を凍結させることくらいはできても、地域全体に吹雪を起こすことなどできない。
魔術とは、あくまでもその土地の魔力を利用して事象を惹き起こすものだからだ。
「そうか。あれは魔力を使っていない。神力で起こした吹雪なのか」
だから、ファリニシュは人間の姿ではなく、狼の姿に戻った。
神力を思う存分振るうために。
「貴様も神の真似事はできるようだが、あれが本物の神の力よ。地上の理など、神には関係ない。それは、このマタザも同じこと。貴様に勝機などないことが理解できるか?」
魔術は、この世界の理に縛られている。
だから、砂漠で吹雪は起こせない。
だが、神聖術は違う。
ファリニシュは、灼熱の大地にあのメートヒェン山の万年雪の氷河で体験した猛吹雪を現出させている。
「神力は魔力とは違う──」
頭では、わかっているつもりだった。
神力は、この世界の力ではない。
だから、魔力とは別の法則がある。
だが、ぼくは今まで魔力と同じ使い方しかしてこなかったのではないか?
「ヒトでは、カミにはなれぬ。背伸びをしても、無駄なことだ」
マタザの槍に、膨大な神力が宿る。
確かに、その神力のエネルギーは神を名乗るに足る大きさだ。
だが、おかしい点もある。
威力が、大きすぎる。
余波だけでぼくの障壁を砕き、遠く離れた位置にいる軍兵を容易く蹴散らす。
ぼくが神力を放っても、こんな芸当はできない。
「何が違う……」
槍がまた振り下ろされる。
膨大なエネルギーが放出され、砂岩を削りながら突き進んでくる。
余裕をもってかわすが、そこにマタザの追撃が迫る。
単発の攻撃から、連撃に切り替えてきたか。
だが、飛竜の竜爪破邪を体験したことがあるぼくから見れば、これくらいの連打は全て予測の範囲内だ。
かわす動作が大きくなるが、まともに喰らうことはない。
右、左、返しの追撃。
一撃ごとに攻撃が鋭くなり、どんどん隙がなくなっていく。
余裕を見せている場合ではない。
集中して回避していても、次の攻撃を読むことが難しくなっていく。
こいつ──。
今まで武術の素人のような準備も丸わかりの攻撃を見せていたのは、まるで本気ではなかったと言うことだ。
歴戦の武人に相応しい技倆。
それに神力のパワーが加わると、正直反撃する糸口すら見えない。
だが、振り回している分、まだ回避は間に合う。
恐らく、本命はこれまで見せていない突き……。
それを、何処で使うか。
「余裕がなくなってきているようだな」
落ち着き払った声。
まだ、マタザには余裕がある。
こちらが切迫してきているのも悟られているだろう。
それでも、まだ手がなくはない。
事前に用意しておいた切り札を、どう使うか……。
回避しながら、その算段を立てる。
ぼくがこいつに勝つには、神力の使い方を盗むしかないのだ。
だが、いまのマタザは、まだ本気の一撃を出していない。
これでは、その使い方がよくわからないのだ。
会得しようと思うなら、彼に全力を出させる必要がある。
余力を持たせては、誤魔化されてよくわからない。
「そういう割には、なかなかぼくを仕留められないじゃないか、マタザ」
だからこそ、あえて挑発する。
口角を上げ、余裕そうな表情を作る。
戦闘には、駆け引き、騙し合いも必要な要素。
聖騎士には通用しないかもしれないが、マタザの本質は剛直な武人。
引っ掛かるか──もしくは、わかっていても踏み込んでくるタイプと見た。
「ほう、まだ、何かを持っているようだな」
旋風のように槍を振り回しながら、マタザが嗤った。
「そろそろ、終わりにしたいと言うことか。よかろう、のんびりしていると、あの狼も終わらせてしまう。彼奴に邪魔されるのは、こちらも面倒」
颶風のように荒れ狂う槍。
それを大きくかわしながら、油断なくマタザの動きを見る。
マタザの動きには、もう隙はほとんどない。
もし隙が見えたとしたら、それは誘いだ。
「なかなか楽しめたぞ、アラナン・ドゥリスコル。だが、その力量では、我らには通用せぬ。さらばだ」
閃光。
言葉とともに、一直線に槍が迫る。
予測していた突き。
咄嗟に身を捻る。
マタザの手練の技は、クリングヴァル先生の雷光に匹敵するか──。
だが、来ると思っていれば、回避は可能……!
そう思った瞬間。
衝撃とともに、身体の半分が吹き飛んだ。




