第三章 黄金の鷲獅子 -9-
神の眼と太陽神の翼、神剣フラガラッハ。
この三つが出現した時間はほぼ一瞬で、まともに視認できた者はいない。
むしろ、何が起きたのかを質問されるくらいだった。
何か光ったと思ったら飛竜が両断されていた。
概ねそんな認識である。
身体強化の魔力を武器にまで伸ばし、楢の木の棒を強化することで竜鱗を斬り裂いたと説明したが、どれだけの人間が納得したであろうか。
正直、そんなことくらいで飛竜は両断出来ない。
フラガラッハの斬れ味が恐ろしすぎる。
まあ少なくとも、ハーフェズは剣を振るったことくらいはわかっているだろうな。
「参ったな。小鬼、:人面鳥、そして飛竜か。全部アラナン君の班に取られてしまった。これはうちの班の敗北は決定的か」
ハンス・ギルベルトが落ち込んでいた。
そんなハンスに、ハーフェズが近づいていく。
「しかも、ファドゥーツ伯爵が国境侵犯を図った挙句、マジャガル人の族長の息子が学院の生徒を襲うとか、何がどうなっているのかわからないよ」
「イグナーツを捕らえているからな。学長がヴァイスブルク家に償わせるだろう。それより、何でファドゥーツ伯爵の兵と戦いになったのだ。やつらの狙いはわかったのか?」
「道を封鎖していてね。それを咎めたらいきなり襲い掛かってきた。どうやってか人面鳥も従えていたから、余裕だと思ったんだろうな。狙いはわからないが、誰かを探しているようだったよ」
そりゃ、マリーを探していたんだよね。
ハンスの班なんて通してしまえばよかったのに、わざわざ引き止めるとはファドゥーツ伯は莫迦なのかな。
誰がマリーかわからなくて全部捕まえればいいやとか、そんな雑な仕事してないよね?
付近に魔物の気配はなくなってしまったので、ぼくたちはぞろぞろと纏まって移動していた。
下手に単独で移動して、またファドゥーツ伯みたいな連中に襲われても困る。
平気そうなのはハーフェズくらいで、他はみんな大なり小なり恐怖を抱いていたと思う。
マリーは責任を感じて元気がなかったし、ハンスも班員に怪我を負わせたせいか足取りが重かった。
「気休めかもしれないけれど」
マリーはファリニシュの後ろを難しい顔で歩いていた。
不意に声を掛けられ、考え込んでいたことにいま気付いたかのように顔を上げる。
「悪いのはあいつらでマリーじゃないからな」
「本当に気休めね」
マリーは苦笑していたが、怒ってはいなかった。
一人で考え込んでいること自体が嫌だったのかもしれない。
「ロタール公とエーストライヒ公が手を組み、エーストライヒ公の意を汲む帝国貴族が動き出している。それは恐ろしいことなのよ、アラナン。平気でヘルヴェティアの国境も侵してくる連中だもの。もしかすると、父様のところにも手が回るかもしれないわ」
マリーの故郷のアルトワ伯爵領は、帝国のフランデルン伯爵領と接している。
現在のフランデルン伯は、ヴァイスブルク家の出身だ。
マリーの心配は杞憂で片付けられない。
だが、それはぼくらじゃどうしようもないことだ。
オニール学長にでも任せるしかない。
あれ、ぼくが将来祭司長になったら、ぼくがこうやって色んなことを任されるのか?
何か嫌な未来を見た気がする。
気にしないようにしよう。
「オニール学長やギルド長が手を打っているさ」
我ながら気休めしか言えないな。
ファドゥーツ伯の襲撃は、ビアンカにも衝撃は大きかったようで、いつもの元気がない。
ファドゥーツ伯がエーストライヒ公の派閥なのはよく知られている。
そのエーストライヒ公はヴァイスブルク家の本家であるが、ビアンカの所属するスパーニア王国の王位もヴァイスブルク家が相続しているのだ。
エーストライヒ・ヴァイスブルク家とスパーニア・ヴァイスブルク家の仲はいいとは言えないが、ビアンカにとっては不安であろう。
ぼくも不安だ。
ロタール公の手は何処まで伸びているのだろうか。
そんな状態ではあるが、何とか夕方までにアッペンツェル村まで到達する。
流石にみんな疲れきっており、今日は此処で泊まるしかなかった。
正直ぼくも限界だ。
魔力は自然に多少は回復したが、蓄積した疲労は取れない。
神の眼の紋章解放は、やはりぼくの肉体にもかなりの負担を掛ける。
切り札ではあるが、濫用はまだきついな。
前回みたいに倒れないだけ成長していると思いたい。
アッペンツェルは小さな村だが、ビールとチーズは旨いものを作っていた。
チーズを摘まむとりんごの香りとスパイシーなコクがあり、独特の苦味もある。
慣れない人だと匂いがきついらしく、ビアンカとセヴェリナは遠慮すると部屋に戻ってしまった。
ハーフェズとマリーは平気らしく、癖になる味だと言っていた。
「アラナンは、学院で魔法を身に付けたらどうするんだ。そもそも、高等科は目指すのか?」
ハーフェズの問いは、学院に通う生徒なら誰もが悩む命題である。
大陸中から生徒を集めている学院だが、高等科に進めるのは祖国を捨ててヘルヴェティアの国民になった者だけだ。
祖国に帰る者は、中等科までしか魔法を学べない。
ハンスやビアンカなんかはこのパターンだ。
ぼくは当然高等科に進むつもりだ。
アルビオン王国などどうでもいい。
エアル島に何かあれば、オニール学長から指示があるだろう。
何と言っても、大魔導師がセルトの民の責任者なのだ。
ぼくがそこで学ぶのに支障があるわけがない。
「当然、ぼくは大魔導師の跡を継ぐ男だからね」
ちょっとハーフェズにはいい顔をしたくて虚勢を張る。
ええ、小さい人間です、すみません。
あの魔力量は正直羨まし……くないからね、ふん!
「そうか。アラナンは自由なのだな。国に戻らなくていいと言うのは羨ましいものだ」
ハーフェズが遠い目をする。
ぼくの小さい心はすぐに罪悪感で溢れた。
ハーフェズは、イスタフルに戻らないとならないのだ。
どんなに才能があっても、魔法の深淵まで辿り着けないのだ。
「わたしを哀れんだな、アラナン。くく、心配は無用だ。中等科まで魔法を学べば、わたしなら独学でその極みに辿り着く自信はある。大陸最高の魔法の天才だからな」
前言撤回。
こいつがそんな人間の範疇で収まるようなやつではないことくらい、とっくにわかっていたのにな。
心配して損したよ、本当。
「だが、その大陸最高の魔法の天才でも、アラナンがどうやって飛竜を倒したのかまるでわからない。その剣を抜いたのは辛うじて見えたんだが、あの速度は身体強化の範囲を超えている。身体強化を極めた超人ダンバーが言うのだから、間違いない。まるで光の洪水の中を駆け抜けたようにも見えたが……」
「いいところを突いているが、教えてやらんぞ。学長に使用を禁じられているんだ。場合が場合だから、イリヤの許可を受けて使ったがな」
「ふん、イリヤ・マカロワが特異な存在であることは理解しているがな。学長と同等の権限をアラナンに有しているとは、並みの教師を超えた存在ではないか?」
そりゃね。太陽神の眷属の狼だ。
ぼくやマリーや学長にとっては極めて重要な存在だよ。