第三十五章 狗神 -3-
夜の間に、ヤフーディーヤ軍は再編を終えていた。
右前備のバハーラムの軍に、旧バルヴェーズ軍を預かるザルトーシュト軍が合流している。
損害が大きい両軍を合わせ、右翼を立て直すつもりだろう。
そして、その右にはラハムの騎馬隊を合わせたアルキンが控えている。
バハーラムの右手を守るつもりか。
だが、それはペーローズを自由に動かすことになる。
一見して敵の右翼は立て直ったように見えるが、急造の部隊は連携も難しい。
付け入る隙はあるはずだ。
三日目の戦闘は、激しい属性魔法の撃ち合いから始まった。
太陽が昇ると同時に、両軍の歩兵が動き始める。
だが、前進は容易ではない。
ハーフェズとバルタザール麾下の神官たちは、初日から大火力で敵の歩兵に砲撃を行っている。
一方、割りと大人しめであった指導者と黒石の神官団も、今日は積極的に攻撃を行ってきている。
お互いに遠距離の属性魔法を撃てる術者は貴重である。
百人前後というところだろうか。
だが、魔力が豊富な東方の民だけあって、その火力は凄まじい。
中でも、ハーフェズと指導者は別格である。
両軍とも、最前線の戦列が薙ぎ倒され、歩兵は前進できずにいた。
バハーラムもヴィスタムも、盾を構えて魔法の連射にじっと耐えている。
バルヴェーズのような蛮勇がないと、この砲撃中を突き進んではいけないものだ。
膠着状態になる──と思われたとき、シーリーンの怒声が戦場に響く。
「これしきの魔法に臆したか! 進め──進め、ハライヴァの勇者たちよ! ペーローズ将軍の名を辱しめるな!」
シーリーンの旗が、前線に向かって動き出す。
あの砲撃の中、指揮官が前進していくとは気が狂っている。
だが、そうでもしないと、兵は怖じけて付いてこないのも事実。
シーリーンの狂気が伝播したか、ハーフェズ軍の歩兵が前進し始める。
「おいおい、シーリーン将軍、バルヴェーズ並みにぶっ飛んでいるじゃないか」
ぼくの呟きに、ジリオーラ先輩が反応した。
「うちにはわかるで。シーリーン将軍は、ああするしかないんや。まともにやっとったら、歴戦のバハーラムやヴィスタムにはかなわんさかい」
「それにしても、あれは蛮勇だ。歩兵だけじゃ、バハーラムとヴィスタムは崩せない」
「歩兵だけちゃうんやろな」
ジリオーラ先輩が首を振る。
だが、昨日激戦を繰り広げた敵右翼は、まだアルキンとナーディルが牽制するようにやりあっているだけだ。
すぐ突破できるようには見えない。
敵左翼の騎馬隊は、バレスマナスとアフザルの両将軍の力は拮抗している。
二日間戦って、お互いに少しずつ削りあっただけだと思うが……。
「ああ──そう来るか」
駆け回るバレスマナスの騎馬隊の後背から、ペーローズの騎馬隊が湧き出てくる。
ペーローズの今日の狙いは、バレスマナスの騎馬隊か。
騎馬隊を一つずつ潰し、敵歩兵の護衛を剥ぎ取るつもりだ。
そうすれば、シーリーンの歩兵と連携して敵の左翼を潰走させられる。
しかし、狙いはわかるが、それまでシーリーンは保つのだろうか。
「今日のペーローズ将軍、気合がちゃうで。一気に行きよる」
ジリオーラ先輩の言うとおり、ペーローズは広がって矢を放っていたバレスマナスの騎馬隊を背後から一息に突き破り、まっしぐらに敵将を目指していた。
ペーローズが向かってくるのを見たバレスマナスも、逃げられぬと悟ったか馬首を巡らしひょうと矢を放つ。
バレスマナスの矢は火炎箭。
炎をまとった矢が、弧を描いてペーローズを狙う。
アフザルもこの炎の矢に苦しんでいたが、ペーローズは意に介さなかった。
鉄棒一閃。
それだけで、爆散するかのように、炎の矢が弾け飛ぶ。
白煙の下、ペーローズの速度にはいささかの衰えもない。
流石にバレスマナスも驚いたが、歯噛みをすると次は一気に三本の火炎箭を放つ。
その技倆は侮れないものがあるが、ペーローズを射抜くには速度とパワーが足りなかった。
同時に飛来する矢を、ペーローズは鉄棒の一振りで全て叩き落とす。
バレスマナスが目を見開いたとき、ペーローズはすでに眼前に迫っていた。
弓を投げ捨て、剣を抜こうとするバレスマナス。
だが、それが抜かれることはなかった。
ペーローズが通り過ぎたとき、バレスマナスの頭蓋はすでに鉄棒によって叩き潰されていたのだ。
「速いわね。バレスマナス将軍だって、かなり強い騎士だったわよ。少なくとも、わたしやジリオーラでは勝てるかわからないくらいには」
「せやな。一撃で仕留めるとは驚きや。ペーローズ将軍もまた化けもんやで。アラナンは、あれをようやっつけよったな」
マリーとジリオーラ先輩が唸る。
ペーローズは、まだ本気を出してはいまい。
獣人化してないからだ。
それでも、あれだけの強さがある。
だが、マタザは本気のペーローズ将軍を簡単に撃ち破っている。
ほんと、とんでもない。
ペーローズ将軍の強さを確認する度、マタザの脅威を再確認させられる。
バレスマナスを討ち取ると、ペーローズはすぐに離脱していった。
残敵を押し包むのは、アフザル・ドラーニに任せているのだろう。
ペーローズ自身は、ヴィスタム将軍の歩兵へと向かうようだ。
「シーリーン将軍はまだ頑張っている。此処でペーローズ将軍が突っ込めば、敵の左翼は崩壊するぞ」
「シーリーン将軍の叱咤、鬼気迫っとるで……。狙い撃ちされとるんにようやるわ」
シーリーンは強引に前進を続けている。
当然、敵の魔法砲撃は集中し、シーリーンの兵は次々と倒れた。
シーリーン自身も直撃や至近弾を受けているが、かろうじて障壁で耐えているようだ。
しかし、それも長くは続くまい。
ハライヴァの兵は、シーリーンを孤立させまいと必死に前進していた。
かなりの犠牲を出しながらも、ヴィスタムの陣に攻め込みつつある。
当然、限界は近いだろう。
あの様子では、一点が崩れると戦線が崩壊する。
薄氷を踏むかのような攻め。
ペーローズも、それがわかっているのだろう。
バレスマナスの騎馬隊から、ヴィスタムの歩兵に転進することに迷いはなかった。
「流石に、ペーローズ将軍の騎馬隊も勢いが弱いな」
「騎馬隊への突撃で足を使ったさかい。しかも、あの魔法の弾幕が降る中やで。あれでも十分。シーリーン将軍が生き返っとるで」
ペーローズが左から突っ込んだことで、シーリーンの前進を阻んでいたヴィスタムの戦列が崩された。
それを見逃すシーリーンではない。
喉も裂けよと絶叫しながら、剣を振り立てて前進してくる。
日の出から二時間。
ヴィスタムの左前備は大きく押し込まれ、敗勢は濃くなる一方であった。
それを見た大将軍アシュカーンは、ついに自身の後軍を動かす。
無傷の本隊三万。
そのうち、歩兵一万がヴィスタムの軍を後ろから支えるように前進してくる。
そして、別の歩兵一万が、左翼の更に左に翼を広げるように展開してきた。
あの歩兵は、アフザルを牽制するつもりか。
だが、ペーローズは意に介さない。
咆哮を上げると、彼の顔が猛き虎へと変貌していく。
ついに、ハライヴァの猛虎が本気となった。




