第三十四章 ダームガーンの戦い -5-
アルキンは、イスタフルでも屈指の騎馬隊の指揮官だ。
その騎馬隊は、ペーローズやセリム・カヤと比べても遜色ない練度を誇っている。
それだけに、戦士長がハーフェズの側を離れた好機を見逃さない。
ペーローズを放置し、まっしぐらにハーフェズの首を取りに来る。
疾走。
その行く手には、ぼくらイ・ラプセルの騎馬隊十七騎が位置していた。
アルキンの挙動に気付いた高等科生たちにも、緊張が走る。
それでも、怖じた顔の者はいない。
大軍を相手にしたときの恐怖は、セリム・カヤのときに経験してきている。
その経験が、血肉となって生きてきているのだ。
中央から戻りきっていないペーローズの騎馬隊は、アルキンの動きに対応できない。
止められるのは、ぼくらだけだ。
そう覚悟を固めたとき、ノートゥーン伯が思わずと言った様子で鞍を叩いた。
「ナーディル、ナーディル・ギルゼイ! ここでそう動くか!」
伯爵の叫びに、視点を転じる。
ナーディル・ギルゼイの騎馬隊は、左翼でラハム将軍の騎馬隊を追い詰めていた。
少しずつであるが相手の動く余地を削り、包囲して矢を射込む態勢を取りつつあったはずだ。
「まさか」
だが、ナーディルはその絶対有利の包囲を捨てていた。
反転し、抜けつつあったアルキンの騎馬隊の後方に襲いかかっている。
確かに、一番近い位置にいたのは、彼の部隊だ。
だが、あれでは、ギルゼイ部族がラハムの部隊に後ろから食われることになってしまうのではないか。
「──ギルゼイ部族が挟撃されないか?」
「大丈夫よ、アラナン。ご覧なさい。あの連携、滅多に見れるものではないわ」
マリーが指差したのは、更にその右。
ラハムの騎馬隊に突っ込んだペーローズである。
敵前で後ろを晒したナーディル・ギルゼイ。
それは、ペーローズなら自らを援護してくれると信じてのもの。
咄嗟の判断であれができるとは、ナーディルもペーローズもやはり並みの武将ではない。
「アルキンが、方向を転じた。ナーディルの追撃で、急襲の失敗を悟ったな」
「焦ったで。せやけど、千載一遇の好機やろ? 普通なら無理してでも突っ込んでくるんちゃうか?」
「いや、アルキンは計算高い。危険は冒さないよ」
ジリオーラ先輩の疑問に、伯爵が簡潔に答える。
アルキンが転進したので、みなの緊張が少し緩んだようだ。
「ラハムがナーディルを止めると想定し、アルキンは突っ込んできた。でも、ペーローズがラハムを牽制することで、ナーディルが自由に動ける余地を作った。二将軍の連携が、アルキンの戦術を上回ったんだ。当初の想定が崩れれば、無茶はしない。アルキンは、そういう武将と見たよ」
「流石やな。相手の将軍の心理まで読みよるんか」
「たいしたことはない。こういうのは、エスカモトゥール先生の薫陶を受けたきみの方が得意だろう?」
「あほいいな。うちが教わったんは個人の動きであって、戦争の動きとちゃうで」
「根底にあるのは、同じさ。エスカモトゥール先生のは、人の心を読むということができて、初めて使える魔法だからね」
そんなものかもしれない。
武術にも、機というものはある。
優れた武術家は人の動きを見てそれを感じとることができるが、優れた将軍は兵の動きでそれをつかみ取れるということか。
まあ、ぼくはそこまで兵の動きで察知はできないと思うけれど……。
「潮時かな。今日はここまでのようだ」
撤収の鐘が打たれている。
まだ陽は高いが、初日ということもあって、無理はしないのか。
敵の先陣の将バルヴェーズを討ったカスパールも戻ってきている。
アルキンの動きに警戒を強めたのであろう。
「バルヴェーズの戦死後に指揮を引き継いでいたのは、大隊長のザルトーシュトだったな。明日は、あれがバルヴェーズの代わりに部隊を率いてくるだろうが、将としての力量は二段階は落ちる。損害も大きかったしな。千は死傷者が出ただろう。先陣はバハーラムかヴィスタムに代わるんじゃないか」
「あっちは指導者の神官団も大将軍もマタザも出てきていない。様子見だったんだろうが、それでバルヴェーズを喪ったのは痛手だろうな」
ノートゥーン伯とティナリウェン先輩が、今日の戦闘を振り返っている。
前線に出ていた兵がかなり戻ってきているので、こっちも野営地に戻っていく。
ヤフーディーヤ軍も撤収しているので、全体的にのんびりとした空気が漂っていた。
今日は出番なしだったしな。
「向こうは陣を組み換えるでしょうね。バルヴェーズの部隊は下げて、バハーラムとヴィスタムの部隊を二枚前に出してくると思うわ」
「ザルトーシュトをそこまで信頼していないか。こっちも、歩兵の運用は再考するんじゃないか? 両翼が生かされていない。シーリーンの部隊はひとつにまとめられるだろう」
お互いに、明日の歩兵の部隊運用に課題を残しているようだ。
だが、中央の圧力が弱くなるなら、シーリーンも生き返る。
騎馬隊では優位に立っていたのだから、活路は見出だせるかもしれない。
ただ、初日からこっちはほぼ全ての手札を晒していた。
カスパールまで投入して、やっと敵の先陣を崩せたのだ。
それに比べると、向こうはまだ余力を残している。
予断を許さない状況だ。
野営地に着くと、イザベル・ギーガーとアーデルハイト・シュピリがてきぱきと野営の準備を始める。
もともとヘルヴェティアの兵として訓練を受けている二人は、こういうときによく動く。
外国から来た貴族出身の高等科生は、あまりそういう部分は得意ではない。
騎馬隊に放り込まれてからは大分変わっているが、それでも自分の身の回りのことをするので手一杯である。
だが、この二人はみなのために率先して行動してくれるので、助かる部分が多い。
ベルナール先輩は、ジュスタン・ド・ドゥヴァリエとソラル・ギザンの二人と、今日の魔法砲撃戦について熱く語り合っている。
彼らは、属性魔法が本当に好きなんだろう。
珍しくステファン・ユーベルがこれに加わり、結構盛り上がっている。
話題は、やっぱりハーフェズの竜炎魔法だ。
ベルナール先輩なら、身に付けられそうな気はするけれどなあ。
ティナリウェン先輩とアルバート・マルタンは、ずっと待機で強ばった身体をほぐそうと、軽く組手をしている。
あの二人が無手でやりあうのは珍しい。
魔力圧縮と武術の力量の双方でティナリウェン先輩の方が上手なので、必然的にアルバート・マルタンがやられている。
どんなにかわそうと、ティナリウェン先輩の拳が、ぴたりと急所で寸止めされてしまうのだ。
先輩、また腕を上げている気がする。
実戦で磨かれた先輩の技には、隙というものがほとんどない。
アルバート・マルタンはよくまとまった戦士ではあるが、ティナリウェン先輩から見れば隙だらけに見えるのだろう。
最近の先輩は、剣士としての威風が出てきた気がする。
白銀級に手が届くと言われているアルバートが、手も足も出ないんだからな。
「参りましたよ。どんなに動こうと、イシュマールさんの拳が離れず追ってくる。どんなからくりなんですか?」
何度目かの一本で、アルバートが両手を挙げてぼやいた。
拳を戻した先輩は、にやりと笑ってこっちに視線を向けてくる。
ぼくが見ているのに、気付いていたのだろう。
「なに、普段のアラナンの動きを真似ただけだ。おれの動きなど稚拙なものだから、あいつには通じないがな。それにやられているようじゃ、まだまだだぞ、アルバート」
「あいた。手厳しいですね、イシュマールさん。そういや、この前に突き出した両手は、アセナの拳でしたね。イシュマールさんほどになると、見ているだけで使えるんですか?」
「多少の手ほどきは、クリングヴァル先生から受けているからな。だが、所詮真似事だ。剣に生かせればいいってくらいだな」
「はあ、参ったもんですねえ。上がどんどん化け物になっていくんで、こっちは全然強くなった実感が湧きませんや」
頭を掻くアルバートに、ティナリウェン先輩がからからと笑う。
高等科生たちの振る舞いにも、余裕が感じ取れた。




