第三十四章 ダームガーンの戦い -4-
押し込まれた中央と、踏み止まった両翼の間には、僅かな前後の隙間がある。
そこを抜けて、右翼との隙間から戦士長カスパールが、左翼との隙間からペーローズが突っ込んできた。
ペーローズの騎馬隊は、いつの間に回り込んだんだろう。
アルキンを振り切ったのか、いい位置からここぞというタイミングでやってくる。
左右からの痛撃を食らい、前進を続けるバルヴェーズの足が止まる。
ペーローズはそのまま駆け抜けたが、カスパールは遮二無二バルヴェーズ軍に食い込んだ。
「ぬう、老人が、邪魔をするものだ!」
忌々しげに、バルヴェーズが舌打ちする。
左右を削り取られたバルヴェーズの部隊は、翼端から押し込まれつつある。
このままでは、押し包まれて、バルヴェーズだけ孤立する羽目になるだろう。
特に、いまもカスパールに食われつつある左前衛がまずい。
このまま中央を押し込んでシーリーンを討つか、カスパールを迎撃するか、珍しく迷いを見せる。
「推参なり、獣将よ!」
だが、その僅かな逡巡の時間があれば、カスパールには十分だった。
残りの距離を一息で蹴散らして、戦士長が迫る。
「ぬう、その首取れば、帝国無双の称号、儂に譲ってもらうぞ、ご老体!」
頭上から振り下ろされる三叉槍の一撃を、長戟で激しく撃ち返す。
騎馬の突進を加えた重撃を、咆哮とともに押し返した膂力と魔力は、やはりバルヴェーズが並みの武人ではない証だ。
「首狩りで満足しておればよいものを」
「笑止! いまこそ、老人の時代が終わりを告げるとき!」
立て続けに十余合を撃ち合う。
馬上から流星のごとく三叉槍を降らすカスパール。
地上から竜巻のように長戟を振り回すバルヴェーズ。
両者の力は互角に思えたが、しかし、じりじりとバルヴェーズが押されていく。
やはり、馬上から撃ち下ろすカスパールの方が、優位であることは間違いない。
「まだ若いのう、首狩り!」
「抜かせ! 儂の本気はこんなものではないわ!」
バルヴェーズの身体強化が、一段階跳ね上がる。
通常の強化から、魔力圧縮を加えたものに切り替わる。
ただでさえ豊富な魔族の魔力が、圧縮して運用されると、その威力は桁違いになる。
一段階目とはいえ、あれは高等科生の手には負えなさそうだ。
「──面白い。その域にまで至っておったとは思わなんだ」
急に速度と力強さを増したバルヴェーズの撃ち込みに、カスパールが押し負けた。
馬上で態勢を崩す戦士長に、首狩りが吠える。
「隙ありだ、ご老体!」
渾身の魔力の乗った重い一撃。
並みの武将なら、それで首を飛ばされていただろう。
だが、そこで戦士長は嗤う。
「青いな、首狩り」
崩れた態勢から、三叉槍の石突きが繰り出される。
バルヴェーズの力のこもった長戟の刃の前に、それは如何にも頼りなく見える。
石突きを蹴散らし、斜め下から胴を斬り上げ、両断する。
バルヴェーズには、そのイメージが幻視できていたはずだ。
しかし。
「な……んだと」
バルヴェーズの長戟が、三叉槍の石突きに、ぴたりと止められていた。
「帝国無双の異名を、伊達と思っておったか?」
長戟を弾き返したカスパールが、真っ向から三叉槍を振り下ろす。
素早く返される長戟。
だが、それを小枝のようにへし折ると、三叉槍はバルヴェーズの兜を砕いてめり込んだ。
「莫迦……な」
頭蓋を砕かれた猛将が、ゆっくりと崩れ落ちる。
戦士長は血濡れた三叉槍を掲げると、大きく咆哮した。
「指導者が先駆け、首狩りバルヴェーズを、皇帝が槍カスパールが討ち取ったり!」
その声を聞き、ハーフェズ軍の前衛に勢いが戻る。
バルヴェーズに蹂躙されていたシーリーンは、好機とばかりに部隊を前進させる。
ヤフーディーヤ軍の先陣中央は、カスパールとシーリーンのこの猛攻を受け、支えることができなかった。
「大丈夫だっただろう」
攻勢に出たシーリーンを見て、伯爵が笑みを浮かべる。
ぼくは頭を掻くと、降参とばかりに両手を広げた。
「ぼくの読みが甘かったですよ、伯爵」
「指揮官は、耐えるのも仕事のひとつだ。我慢できなくなって突出した結果が、敗北に繋がることもある。覚えておくがいい、アラナン。お前は、そういう勉強もしなくてはならない立場だろう」
高位貴族として、指揮官としての教育を受けてきたエリオット・モウブレーである。
実戦でその知識が経験で磨き上げられ、見事な指揮官へと成長している。
個人戦闘では負ける気はしなかったが、逆に部隊指揮では勝てる気がしない。
「いいですよ、その方面は伯爵にお任せするので……。ぼくは個人戦闘しかできませんから。それより、敵の先陣が崩壊した以上、このまま押し込めそうですかね?」
「優位に立ったことは確かだが……」
戦場の動きに目を移したノートゥーン伯は、暫く考え込む。
と、一点に目を止めると、さっと顔色を変えた。
「いかん、アルキンが動きを変えた」
アルキンの騎馬隊?
さっきから、縦横に駆け回るペーローズの騎馬隊を捕まえようと、必死に後を追っていたはずだ。
神出鬼没に動いているが、さっきは味方の左翼の辺りにいたはずだ。
その付近に目を転じると、砂煙が舞い上がっているのがわかる。
馬を潰さないように走っていたアルキンが、突撃速度に移っている。
その向かう先は──。
「こっちに来ていますね」
「狙いは、殿下だろう。戦士長の部隊が抜け、手薄になった本陣を突く気だ。バルヴェーズと並んで、危険な武将に挙げられていただけはある」
ハーフェズも、この動きに気付いたようだ。
神官長麾下の部隊から属性魔法の砲撃が飛ぶが、アルキンはその弾幕を抜けて風のように迫ってくる。
「位置的に、ぼくたちが迎撃することになりそうですが」
「まずいな。あの数とまともにぶつかれば、流石に我々だけでは対処できん」
イ・ラプセルの騎馬隊は精鋭が揃っているとはいえ、僅か十七騎に過ぎない。
五千の騎馬隊の前では、路傍の石のようなものだ。
百や二百は討ち取れるかもしれないが、抜けられた残りの兵がハーフェズの許に辿り着くだろう。
「ペーローズ将軍は……駄目か、まださっきの突撃から戻りきっていない。ラハム将軍の騎馬隊が間にいる」
アルキンを振り切って動いていたペーローズだけに、このアルキンの急激な転進に対応できる位置にはいなかった。
これは、マタザのために力を温存しておくのは無理そうだぞと思った、そのとき。
唐突に、ノートゥーン伯が鞍を叩いて大声で叫んだ。




