第三十四章 ダームガーンの戦い -1-
払暁から、動き出す気配があった。
到着したヤフーディーヤ軍の野営地から、炊煙が上がっている。
開戦前の腹拵えと言うわけか。
ハーフェズも、兵に食事を摂らせていた。
大食らいのうちの馬も、何処に消えていくんだという速度で詰め込んでいる。
奇襲の警戒もしていたが、仕掛けては来なかった。
ハーフェズの言うとおりだったな。
大将軍アシュカーンは、真っ正面から攻めてくる。
詭道は使わぬ、と。
朝食後、シーリーンの歩兵から戦列を整え始めていく。
野営地から前進し、横列を組み上げていく。
その左右を、パシュート人の騎馬隊が固める。
横腹を突かれないよう、また逆に敵の歩兵の横腹を突けるように位置取りするのだ。
相対する騎馬隊と激しくやり合うことになるであろう。
しかし、そこで違和感を覚える。
太陽神の神官騎士も動き始めているが、ペーローズのトゥルキュト人騎兵の部隊の姿が見えない。
あの騎馬隊は、決戦用の予備兵ではなかったか?
「──ペーローズは何処に行ったんだ?」
思わず漏れる呟きに、脇にいたマリーがいたずらっ娘のように笑う。
「あら、気付いてなかったのね。あの騎馬隊は、夜のうちに、出陣していったわ。敵に位置を把握されるのが、嫌なんでしょうね。ペーローズ将軍らしいわ」
そう言えば、ハライヴァ迎撃のときも、ペーローズの騎馬隊はそんな動きをしていた。
あの騎馬隊の位置を把握し続けるのは、ぼくの神の眼並みの索敵能力を求められる。
ヤフーディーヤ軍にとっても、厄介だろう。
ただ、アルキン将軍は、それでも対応してきそうな気はした。
「アルキン将軍には、ナーディル・ギルゼイでも追い込まれたんだ。ペーローズもそう簡単にはいかないだろうな」
「でしょうね。おそらく、アルキンの騎馬隊もすでに動いていると思うわよ。お互いに手の内を知る仲。相手がそう動くのを、予想しているでしょう」
いずれにせよ、勝敗は魔法戦、騎馬戦の出来次第だ。
歩兵のぶつかり合いでは負ける。
それは、ある程度戦場に慣れた者ならば、なんとなくわかる感覚。
シーリーンの中央の前衛からは闘気が立ち上っているが、右翼左翼の前衛はやや弱い。
敵は、その弱点を見逃しはしないだろう。
「向こうも、動き出しやがりましたよ」
ぶるりと、アンヴァルが体を震わせる。
神の眼で、敵陣を視ていたのであろう。
威容に、思わず身体が反応したのか。
だが、視えるということは、あのイフターバ・アティードほど怖くはないということでもある。
「アシュカーンは堅実な用兵家と聞くけれど、前衛のバルヴェーズ将軍は猛将よ。いきなり、噛み破られなければいいけれど」
「シーリーンには、将軍としての実績がないからな。でも、力があるのは間違いないよ。ハーフェズが信頼して、歩兵を託したんだ。大丈夫さ」
すっかり態勢を整えたハーフェズの軍団に対し、ヤフーディーヤ軍が静かに前進を開始する。
両者の距離は、まだ矢も届かぬ間合いである。
待ち受ける兵たちの緊張も高まっていく。
イ・ラプセルの騎馬隊は、ノートゥーン伯を衝角とした突撃陣形で待機していた。
二列目にはティナリウェン先輩とトリアー先輩。
三列目にジリオーラ先輩、ベルナール先輩、マリー。
四列目にアルバート・マルタン、ジュスタン・ド・ドゥヴァリエ、ソラル・ギザン、ストフェル・ヴァン・ノッテン。
五列目が、イザベル・ギーガー、ビアンカ・デ・ラ・クエスタ、アーデルハイト・シュピリ、ゲルハルト・ミュラー、ステファン・ユーベル。
ぼくと、ファリニシュは戦列から外れて待機している。
ぼくの役割はマタザを止めることで、ファリニシュの任務は敵の指導者を討つことだからだ。
伯爵たちは、残存する敵の飛行戦力を迎撃することになる。
神鳥騎士や、マタザの部下たちだ。
高等科生たちも戦闘に慣れてきたのか、開戦前に怖じた表情の者はもういなかった。
戦列はほぼ実力順に並んでいるので、下位の者は後ろに回される。
最後尾の五人など、以前は戦場の雰囲気に飲まれていたものだが、もう熟練の兵士の顔になっていた。
イザベル・ギーガーはもともとマティス護民官の秘蔵っ子であり、学院で鍛えて立派な兵士となるのが目標である。
それだけに戦意も旺盛だが、色を表に出すことはない。
自制心も強い彼女は、常に冷静であることを心がけている。
緊張と自制心がいい案配で調和し、ベストな精神状態にいるように見える。
ビアンカ・デ・ラ・クエスタは騎馬民族の血を受け継ぐスパーニア貴族なだけあって、イザベルと違って戦意を剥き出しにしていた。
怯懦と無縁な彼女ではあるが、高等科生としてはもっとも新参である。
それだけに気負いが無茶に繋がらないか、少し心配だ。
イザベルの内側に配されたのは、外側だと突出しかねないからだろう。
伯爵も、よく見ている。
アーデルハイト・シュピリは、フラテルニア市長のベルハルト・シュピリの次女だ。
将来、フラテルニア市民軍を率いる護民官になるために、学院で鍛えているという。
地道に努力をするタイプのようだが、残念ながら才能溢れるというほどではない。
それでも高等科まで上がってきたのだから、実力はある。
とはいえ、才能だけなら、イザベルの方が上だ。
負けじと頑張っているようだが、実力的には追い付かれてしまっている。
それでも、彼女が挫けたことはなかった。
常に上だけを見据え、アーデルハイトは一歩ずつ進んでいる。
ゲルハルト・ミュラーは、アルトドルフ市長のシリル・ミュラーの長男である。
戦う市長のシリル・ミュラーは、息子にも同じことを求めていた。
ただ、父親ほど熱心に鍛えている感じではない。
高等科で長いが、同じアルトドルフから来ているアルバート・マルタンの方が力は上だという評価だ。
アーデルハイトに比べれば才能はあると思うが、彼女ほど努力はしていない。
結果として、高等科下位から抜け出せていない状況だ。
だが、そんな彼でも、もう戦争を潜り抜けてきた兵士の顔をしていた。
それは、彼の隣にいるステファン・ユーベルも同じである。
ステファン・ユーベルは、ドゥレモ出身のヘルヴェティア国民だ。
アーデルハイトやゲルハルトのように父親が市長というわけではないし、イザベルのように護民官の弟子というわけでもない。
アルバート・マルタンと同じく、普通の市民である。
雷撃系の属性魔法を修得しており、最年少で高等科に進級した逸材だ。
だが、高等科で壁にぶち当たり、万年最下位に甘んじていた。
早熟の天才にありがちなのか、成長しても思ったほど伸びず、後から進級してきたジリオーラ先輩やマリーにあっさりと先を行かれる。
少年にとっては、つらい数年間だったかもしれない。
だが、ヴォフルガングとの交流が、そんな彼を変えた。
クリングヴァル先生に基礎魔法を叩き込まれたのもよかったのだろう。
いまや、五列目とはいえ、騎馬隊の戦列の外側を任されるくらいには序列を上げてきているのだ。
少々気負ってはいるが、やる気に漲っている。
そこにはもう、騎馬隊編成直後の新兵っぽさは見受けられなかった。




