第三十三章 神鳥騎士団 -8-
「ちょっと暴れすぎじゃないか?」
ハーフェズが唇を尖らせる。
機嫌が悪いのは、自分に出番がないせいだ。
だが、まあ仕方ないだろう。
この軍のトップは、彼なのだ。
軽々しく前線に出られても困る。
ダームガーンにハーフェズが到着したのは、あれから一ヶ月も経ってからだった。
やはり、歩兵の進軍速度は亀のようにのろい。
ヤフーディーヤを出立した敵の本隊はさらに遅く、もう二、三日はかかるようだ。
ハーフェズは、ダームガーンの南に軍を展開させ、待ち受ける態勢を取っている。
騎馬は動き回っているが、小競り合いはあっても本格的にはぶつかっていないようだ。
「そのために、ぼくをヘルヴェティアから呼んだんだろう」
ダームガーンを陥落させた後、ハーフェズは領主館を接収し、そこに居座っている。
ぼくらは基本的に街の外で野営していたが、今日は呼び出しを食らったので、出向いている。
メンバーは、ぼくとマリーとビアンカだけだ。
ハーフェズ曰く、久しぶりに同期で飯でも食おうと言う趣旨らしかった。
ファリニシュは、カウントされていないらしい。
「皇子殿下とご一緒できるなんて、光栄ですわ」
何枚猫を被っているか疑わしい口調で、ビアンカが微笑む。
そういや、こいつは昔からハーフェズのファンだった。
日頃の粗暴さを見ているマリーが、驚きのあまり葡萄酒を飲もうとしてむせている。
ぼくも、思わずビアンカを凝視してしまった。
余計なことを言ったら、殺すわよ。
ぼくの視線に対して、ビアンカが笑顔でそう語ってくる。
この女は、本気でやるから怖い。
「いや、ともに初等科で机を並べた仲じゃないか。他人行儀な態度はやめてくれ」
軽く手を振るハーフェズ。
相変わらず、ひとつひとつの仕種が絵になる男である。
ビアンカがのぼせるのも、無理はない。
だが、ハーフェズの後ろにはダンバーさんと神官長バルタザールが控えていて、なかなか砕けて喋るにも気まずい。
ダンバーさんはともかく、バルタザールの冷たい視線は居心地が悪い。
ビアンカくらい空気が読めない図太さがないと、迂闊に軽口も叩けないのだ。
「あら、でも殿下はあまり机に座っていらっしゃらなかったわ。中庭でお昼寝するのがお好きだったのでしょう?」
くすくすとマリーが笑う。
ハーフェズは、ばつが悪そうに頭を掻いた。
「まあ、本気を出すほどの相手がいるとも思っていなかったのだ、あの頃は。鼻持ちならない態度で悪かったよ」
「殿下は、アラナンのことがお好きでいらっしゃいますものね。ヘルヴェティアまで出迎えにいらっしゃるくらいですもの」
「わたしが本気で戦える相手は、そう多くなかったのだ。同世代では、特にな」
「殿下ほど天賦の才がおありでしたら、そう思われても仕方ありませんわ」
貴族らしい典雅さと、底意地の悪さをマリーが見せる。
ジリオーラ先輩と言い合っているときはもっと直接的に言葉をぶつけ合っているが、今日はちょっと皮肉っぽい。
「だが、わたしでもフワルシェーダに必ず勝てるとは言いがたい。少なくとも、ヘルヴェティアに行く前は、わたしはあの男に苦もなく捻られていた。だから、帝国の実権を指導者に奪われていたのだ。──アラナン、よくあの男に勝てたな。戦場ではダンバーに任せようと思っていたのだが」
「うーん、どうかな。いまのハーフェズなら、勝てそうな気もするけどな。魔力量じゃひけを取らないし、魔力操作ならハーフェズの方が精密だ。接近されたら苦労しそうではあるが」
フワルシェーダと違い、ハーフェズはかなりの鍛練を積んできている。
魔力操作の練り上げ方は、半端じゃない。
ぼく以上とも、言える。
いまのハーフェズなら、遠距離からの魔法戦でフワルシェーダを打ち負かせるのではないか。
そう思わせるくらいの力はある。
「わたしもそう簡単に遅れを取るつもりはないが、如何せん実戦の経験はそう多くはない。アラナン、貴様やダンバーのように、死線を潜り抜けては来ていない。だから、万が一のある相手とはやらせぬと、バルタザールに睨まれておるのだ」
ハーフェズは肩をすくめる。
すると、今まで黙って控えていた神官長が、口を開いた。
「当然だ、愚か者。お前は目を離すと、ろくなことをやらん。立場というものを、もっと理解しろ」
「これだよ」
皇子に対する言葉遣いとも思えないが、イスタフルでは帝権に対する神権の優位性は大きいようだし、それほど変わったものでもないのだろうか。
西方もルウム教会の権力はかなり大きいが、皇帝に対して此処まで無礼な態度ではない。
一応、礼儀は尽くす。
表面上は。
だが、ハーフェズの態度を見ていると、特に気にしている様子もなかった。
むしろ、母親の小言を嫌がる反抗期の子供。
そんな雰囲気すら感じさせる。
成る程、彼らの間には、言葉を取り繕う必要性がないのだろう。
そんな雰囲気だ。
「バルタザールは、もう少し大魔導師に学ぶべきだと思うのだ。彼は、此処まで口うるさくなかったぞ」
「ティアナン・オニールは比類ない術者だが、政治思想は感心せん。魔法以外で、彼から学ぶべきではない。皇帝となるなら、それくらいわきまえろ」
そう言った後、バルタザールはちらりとこちらを見て、口を閉ざした。
ぼくらが、学長の弟子であることを思い出したようだ。
「ごほん。お前の友人も一緒だ。軍議に呼んでも顔も出さん。いつも、来るのはノートゥーン伯だ。指揮官は確かに彼だが、今回のヘルヴェティアの一団の中心的人物はお前だろう、アラナン・ドゥリスコル。大魔導師と飛竜の後継者と聞く」
「その辺になされませ、神官長」
バルタザールの叱責がこっちにも飛び火したとき、静かに執事がそれを制した。
「今日は殿下が学友と旧交を温めるのが主題の会合です。猊下の説教の場ではありませぬ」
「む、そうだな。失礼した、アラナン。許されよ」
明らかにほっとした表情で、ハーフェズが安堵の息を吐く。
お説教を苦手としているのだろう。
ぼくも得意ではない。
ダンバーさん、いい仕事をしてくれた。
「構いませんよ。それより、ハーフェズ。ヤフーディーヤを発った帝国軍は、どういう編成なんだ? 騎馬隊には何度か遭遇しているが、他に警戒する相手がいるのかね」
「ん、まあ大将軍アシュカーンは当然警戒するべき相手だろう。麾下には、三人の騎兵将軍と、四人の歩兵将軍がいる。十万を超える軍勢は、それだけで驚異だな。そして、指導者の率いる神官たち。とはいえ、正直なところ、このイスタフルの軍で、マタザを抑えられる者はもういるまい。唯一、フワルシェーダのみが、マタザの警戒する相手だったはずだ。フワルシェーダ亡きいま、帝国軍は完全にマタザに牛耳られているだろうな」




