第三十三章 神鳥騎士団 -4-
「けろっとしてついてきやがる。ひょろそうに見えるのに食えねえガキだ」
ナーディル・ギルゼイが、ため息を吐く。
彼の馬の後ろを走っていたアンヴァルが、得意そうに嘶いた。
まあ、実際ぼくが駆けているわけではないので、アンヴァルのどや顔を止めることはできない。
「西方の若僧も、捨てたもんじゃないでしょう」
ぼくの返答に、ギルゼイの族長はふんと鼻を鳴らした。
「へたばって置いてきぼり食らうようなら、ちったあ可愛げもあるんだがな」
まあ、身体強化と魔力再循環では、パシュート人には遅れを取らない。
騎乗技術じゃ負けていても、持久力じゃあこっちのが上だ。
伯爵が、ギルゼイ部族との連絡要員として、ぼくの派遣を決めていた。
位置を捕捉されたナーディル・ギルゼイには、現在ふたつの騎馬隊と神鳥騎士団が向かってきている。
このままでは、左右と空からの挟撃を受けることになる。
だが、ストフェル・ヴァン・ノッテンのカラスが把握した敵騎馬の動きを、伯爵が念話でぼくに伝え、それをぼくがナーディル・ギルゼイに伝えれば──。
そうすれば、ギルゼイ部族は敵騎馬の挟撃を受ける形ではなく、各個撃破に動くことができる。
唯一の泣き所の空からの攻撃には、イ・ラプセルの騎馬隊が直掩につく。
一部隊だけが相手なら、ナーディル・ギルゼイは遅れを取るような武将ではない。
「こっちが進路を変えたことには、まだ気付いていませんね。連中、予想進軍ルートを挟撃の狩場にするつもりで進んできています。このまま行けば、バルディアー将軍の騎馬隊の後ろに食い付けるかと」
「アルキンとバルディアーなら、バルディアーの方が与しやすいからな」
帝国の四人の騎兵将軍のうち、二人が連携して進軍してきていた。
生粋のパールサ貴族であるバルディアー将軍と、トゥルキュト傭兵上がりのアルキン将軍である。
バルディアーは武門の家柄ではあるが、実戦の経験はさほどないらしい。
傭兵から叩き上げのアルキンと違い、判断がぬるいとナーディル・ギルゼイは評していた。
「すでに、やつはおれたちの動きを見失っている。敵の動きから目を切るような将は、それほど怖くはねえ」
「神鳥騎士を一人、ずっと張り付けておけばよかったんですがね。まあ、だとしてもぼくが排除していましたが」
「──かわいい顔して、怖い小僧だよ。西方の連中が、こんなに化け物だとは知らなかった」
「よしてください。魔王の麾下の方が、よっぽど化け物です」
「ふん、今代の魔王は、破壊神だからな。あんな東方の島に現出するとは思わなかったが、もう此処まで戻ってきてやがる。皇子殿下の神が健在だったら、易々と復活もできなかったろうに」
魔王テンマ・ゼクス。
ナーディル・ギルゼイの話では、この辺りでも名の知れた神のようだ。
かつては太陽神との戦いに敗れてこの地より去っていたようだが──。
神々が現世より去って久しい。
その力は、いまでは極めて限定的だ。
「かつては、パールサ人の神だったんですか?」
「セイレイスからイスタフル、シルカルナフラやタメルラン、シンドーラに至る地域は、ほぼ共通した神々が存在していた。太陽神教団が力を持っていた時代だ。おれたちの先祖も、太陽神信仰だった。破壊神は、シンドーラのあたりで特に信仰が多かった神だ。西方にはあまり知られていないと思うが、東では高名だ」
「それが敗れてタムガージュから東方の島国に逃れたと?」
「大陸の東方は、巨大な海が広がっているらしい。その島国より東には、行けねえ。逃亡者の行き着く先は、そこしかねえんだ」
大陸は地続きで、人は長い年月の間に驚くほどの距離を移動していくらしい。
パシュート人たちの先祖も、もっと北の草原地帯から南下してきたという。
神々が長距離を移動したとしても、不思議はない。
「大陸の中央は、黒石が席巻した。おれたちも、生きるためには黒石に身を委ねるしかなかった。敗れた古き神々は東方に逃げ去ったが、時々こうして地上に手を出してくる。──それが、魔王」
魔王とは、過去に敗北して姿を消した神そのもの。
確かに、昔は放逐されたかもしれないが──。
今や西方のルウム教会も、中央の黒石教団も、その背後となる神を失ってしまっている。
弱い加護はまだ残っているが、神の現身にはとても抗えまい。
ハーフェズが皇帝となろうとしているのは、単に自分だけのことではない。
大陸の存亡を賭け、荒ぶる太古の神に立ち向かおうとしているのだ。
「タムガージュほどの大国でも飲み込まれたのに、いい度胸していますね」
「はん。魔王は十分に軍を抱えている。高く買ってもらえるはずもねえ。パシュート人が山から出るためには、皇子殿下のような偏見のない統治者が必要なんだよ」
ナーディル・ギルゼイにとっても、大きな賭けなのであろう。
魔王の軍門に降っても、尖兵として使い潰されることには変わらない。
それなら、高く評価してくれる方に売り込もうってわけだ。
太陽神の力を、かなり高く評価しているのか。
「太陽神ってのは、世界中に信仰がある。東から西まで、場所を問わずな。大陸から神々が消え去った後も、これだけ力を残している大神は他にいねえ。賭ける価値は、十分にあるさ」
てめえみたいな小僧も、その力の一端だろう、とナーディル・ギルゼイが獰猛な笑みを浮かべる。
パシュート人の長は、部族の未来を太陽神とハーフェズに賭けた。
敗れれば夢は潰え、生き残ったとしてもパシュート人はまたシルカルナフラの山の中に逼塞するしかない。
だが、勝てば平地に出られる。
シルカルナフラの東部を領し、ナーディル・ギルゼイは太守として子供たちに未来を作ってやれる。
「──勝たなければ、なりませんね」
「負けていい戦いなんてねえさ、小僧。負ければ、部の民が血の海に沈む。てめえも、部下を持てばわかるさ」
口は悪いが、ナーディル・ギルゼイは思ったよりぼくを歓迎してくれていた。
随分と、内情を話してくれる。
東の情報には疎いぼくには、有難い話だ。
パシュート人には好かれていないと思っていたが、そうでもないのだろうか。
(──アラナン、前方をバルディアー将軍の騎馬隊が通りすぎるぞ)
伯爵が、ストフェルのカラスの情報を伝えてきた。
(了解。ぼくの神の眼でも捕捉した)
これくらいの距離なら、ぼくでも見える。
バルディアー将軍は、ぼくらがこの位置にいると思ってないせいか、斥候を放っていない。
じきに、その横腹をぼくらの前に晒すことになる。
「戦闘準備を。じきに、バルディアー将軍が、この丘の下の街道を通ります」
「待ってたぜ。こっちの準備は、とっくに終わってる」
右手を上げて馬を止めると、ナーディル・ギルゼイは部下と馬に身を伏せさせた。
今まで、街道を逸れて駆けてきたのは、敵に捕捉されないため。
この一撃で、バルディアー隊を粉砕するためだ。




