第三十二章 聖戦の加護 -7-
咄嗟にかわしたのは、勘だけだった。
気がついたときには、頬を刃がかすめている。
障壁ごと、斬られた。
その事実に、肝が冷える。
「一刀両段ヲモ見切ルカ。イヤ、見テハオルマイ。タイシタ男ヨノ。勘ダケデ、カワシオッタ」
太刀筋が、見えない。
神の眼を全開にして、なおこれか。
剣の技倆が、桁外れに高い。
黒騎士を、超えているかもしれない。
「コノ豊後ニシテ、大陸ニ渡ッテヨリ、初メテノ経験ジャ。ククク……腕ガ疼キオル」
これほどの遣い手が、大陸のこんなところにうろついていることに粟が立つ。
マタザは、この男より強いのだろうか?
魔王の手下に過ぎぬ連中がこんな手練れ揃いでは、西側諸国に勝ち目があるまい。
対応できる人間の絶対数が、少なすぎる。
「──マタザは、おまえより強いのか?」
思わず尋ねると、剣士は再びにたりと嗤った。
蛇のような、爬虫類の笑みだ。
「戦場デハ、彼奴ガ強イ。ダガ、対面デ斬リ合エバ、勝ツノハワシヨ」
絶対的な自負。
強者のみ持つ威圧が、ぼくの体を打つ。
「又左ノ得手ハ槍。彼奴ハ戦場デハ無双ノ男ヨ。オヌシデハ、近付クコトモデキマイ」
ブンゴの構えは、再び受けを意識したものになっている。
無形と言っていたか。
こちらの攻撃に対し、どうとでも対応できるよう柔らかく構えている。
隙が、ない。
思わず、魔法の糸を使ったのは、ぼくの臆病心か。
無数の魔法の糸がブンゴを包囲し襲うが──。
剣士の領域に入った瞬間、溶けるように消え去った。
魔族というだけあって、この男の魔力も強大だが、何より衝撃的なのが。
こいつは 、魔力圧縮をかなり高度に使いこなしているということだ。
弱い魔力では、弾かれて終わってしまう。
そして、底の見えない剣の腕。
加護がなくともこれほど強い男は、初めて見た。
「──魔王は、おまえより強いのか?」
その問いに、ブンゴは痛快そうに哄笑した。
「クカッ、カッカッカッ。ワシヲアノ御方ト比ベルトハ。上様ハ、真ナル神デアラセラレルゾ。神ノオコボレヲモラッテイル人間トハ、根本カラ違ウワ」
聞いたことはある。
ぼくのように加護を受けるだけではなく、神をその身に宿せる存在。
それが、魔王の正体だと。
テンマがどんな神を宿したかは知らないが、これだけの配下を従えているのだ。
小さな神ではあるまい。
「魔王テンマ、その正体は暴風と破壊を司る牛首人身の神でござんす」
口を挟んだのは、ファリニシュだ。
この狼は、太陽神の眷属。
当然、神々についても詳しかろう。
「災厄と疫病を撒き散らす禍津神。あまり道端で出会いたくはなさんすな」
「ククク、ケダモノノ分際デ詳シイデハナイカ」
ブンゴは否定はしない。
ファリニシュの言は、当たっているということか。
「上様コソコノ大陸ヲ統ベル御方ヨ。我ラ響談ハソノタメノ刃。出逢エバスナワチ斬ル。何者デアロウトナ」
ゆらりと、ブンゴが動いた。
後ろに下げた左足に掛かっていた体重が、右足に移る。
無形を解くつもりか。
こちらが動かぬことに、痺れを切らせたと見える。
「思ッタヨリ厄介ナ孺子デアッタ。ソノ勘ノヨサ、十年後ニハ我ラニ届イタヤモシレヌ」
相変わらず、刀は微動だにしていない。
だが、動きだしを見てからでは、間に合わない。
ブンゴの斬擊は、それだけ脅威だ。
兆しがない上に、紙のように障壁を切り裂く威力。
クリングヴァル先生と対峙しているときのように、プレッシャーを感じる。
「魔王の刃か。生まれたときから、戦うために育てられたぼくと大差はないかもしれない。でもな、響談衆ブンゴ」
圧縮した魔力を研ぎ澄ます。
神の眼は、敵の僅かな揺らぎさえ見逃さない。
それでも、ブンゴの肉体にはいささかの魔力の偏りもなかった。
どんな鍛え方をすれば至れるのか。
達人の業に、思わず感嘆する。
「おまえは、壊すために戦う。護りたいものがあるぼくと、そこが違う」
クカー、クカカ!
ブンゴの哄笑が響き渡る。
「兵法ヲ窮メルコト。我ガ望ミハソレノミヨ。元々、ワシノ用ハコイツデアッテ、孺子、貴様デハナイ」
わかっている。
ブンゴが積極的に動かないのは、力を別なことに使っているからだ。
セリム・カヤを倒したのに、ぼくの加護が増えていない。
この魔王の眷属が、途中で力を止めているのだ。
恐らく、ブンゴの当初の目的は、セリム・カヤの加護を喰らうことだったのだろう。
それをぼくに横取りされたから、慌てて出てきたのだ。
ブンゴの目に、殺気が宿る。
──来る!
一刀両段か。
障壁を易々と切り裂く恐るべき豪の剣。
だが、それは一度見た。
ぼくならば、かわせないことはない。
太陽神の翼を全開にし、左足を軸に回転する。
刃が髪をかすめる。
紙一重で回避し、このまま旋火に繋げようとして……。
不意に視界が紅くなった。
「なっ」
鮮血が、噴き出ている。
右肩から、斜めに斬り裂かれていた。
斬られた──だが、かわしたはずだ。
どうやって、斬った?
「斬レヌモノヲ斬ル。ソレガ我ガ秘剣、水月ヨ。──仕留メタツモリデアッタガ、浅カッタヨウダノ。勘ダケデカワシタノダトスレバ、大シタモノジャ」
急速に力が抜けていく。
血は、魔力の源だ。
血を失えば、魔力もまた、失われる。
神聖術も、維持ができなくなる。
「主様!」
「アラナン!」
咄嗟に動いたのは、ファリニシュとノートゥーン伯か。
凍てつく空気が、ブンゴの一閃で斬り裂かれる。
──あれが、水月。
凍気だけでなく、加速で飛び込む伯爵も一緒に斬っている。
その、伯爵の血飛沫が、凍り付いた。
ファリニシュが、血止めで凍らせたのか。
気が付けば、ぼくの血も止まっている。
「無茶だ、伯爵。あの男の腕前は、黒騎士を超えています」
「無茶はわかっている。だが、アラナン以外でやつの剣速に付いていけるのは、わたしだけだ」
痛みに顔をしかめながら、それでも伯爵が加速を使う。
だが、粗い。
ノートゥーン伯は幼少から剣を鍛えてはきているが、近年は魔法に集中して鈍っている。
速度で誤魔化せる相手ならいいが、ブンゴ相手では致命的だ。
上段からの撃ち下ろしを、切り落とすようにブンゴの刃が動く。
防御がそのまま攻撃に直結している──。
あれをまともに食らえば、ノートゥーン伯は頭上から真っ二つに割られかねない。
「伯爵!」
ブンゴの哄笑が、砂塵を散らした。




