第三十二章 聖戦の加護 -5-
いきなり、セリム・カヤが膨れ上がった。
いや、体が大きくなったのではない。
だが、そう感じさせるほど、存在感を増したのだ。
この迫力、威圧感──。
初めて、アセナ・センガンと出会ったときにも味わったことがある。
「アラナン・ドゥリスコル、貴様は知らぬかもしれないが」
突きつけられた剣からは、静かな殺気が感じられた。
「セイレイスの長老は黒石の正統ではない。イスタフルの指導者こそ、真に神の預言を司る御方。ゆえに、セイレイスの連中よりは、わたしの方が格段に強い」
「別に、黒石で誰が正統だろうと、ぼくにとってはどうでもいいことですよ」
右手をかざすと、その手中にフラガラッハが現れる。
それを見たセリム・カヤが眉をひそめた。
「その剣も神器だと。一介の戦士にしては、加護も武器も強すぎる」
「ぼくは、太陽神の祭司長だ。いくらイスタフルの黒石が正統だろうと、セリム・カヤ、あなたは指導者ではない。それでは、ぼくには勝てませんよ」
「ほざけ!」
見下した科白に、セリム・カヤの頬が朱に染まる。
刹那、電光のような左右の斬撃が襲ってきた。
それをフラガラッハで打ち払うと、剣に僅かな違和感を感じる。
「──これは、弱体化の呪い、ですか。その剣の能力と言ったところですか。自分は強化し、相手を弱体化させる。いやらしい手段を使ってきますね」
「ふん、これは神罰というものだ。神敵、アラナン・ドゥリスコル。貴様には神の怒りが降りかかっていると思いしれ」
「いえ、別に、たいした問題じゃありませんし」
確かに、セリム・カヤの神剣と数合撃ち合うと、体が重くなってくる感覚がある。
これが、黒石の呪いというものだろう。
だが、神器にも、格というものがある。
格上の神器には、その程度の呪詛は通用しないのだ。
「世迷い言を。もう、明らかに力が落ちているではないか。いま、その素っ首、叩き落としてくれるわ!」
だが、セリム・カヤには理解できなかったようだ。
右手の神剣を振り上げ、斜めから振り下ろす。
超速の剣技ではあるが──。
黒騎士との戦闘で、高速の斬撃には慣れている。
相手の剣筋に合わせ──。
無造作に刃を斬った。
「なっ」
半分ほどの長さになった神剣を見て、セリム・カヤが絶句する。
折れたのではなく、斬った。
この意味がわかったのか、一気に顔が青ざめる。
「確かに、あなたの加護も剣技もなかなかのものではありますよ、セリム・カヤ。でも、それだけですよね」
神剣解放の加護を上乗せすれば、フラガラッハの格は一段上がる。
その真の力は、神器に対する特効だ。
アローンの杖ほどの高位の神器すら斬ったフラガラッハに、セリム・カヤの持つ神器程度の呪詛が効くはずがない。
加護と武術で上回るから勝てていただけの男に、負ける心配はなかった。
「確かに、あなたの魔力は膨大で、加護も強力だ。それに、たいていの者を圧倒できる剣技と二振りの神剣。イスタフルでは、敵なしだったでしょう。でも、それだけだ。あなたの魔力は、練り込まれていない」
クリングヴァル先生なら、雑魚がと言って笑うだろう。
セイレイス最強の男、サルキス・カダシアンの方が手強かったと言うだろう。
セリム・カヤは、加護と神器に溺れ、基礎魔法の研鑽を怠った。
学院に入る前なら勝てなかったであろうが──。
数多の強敵と戦ってきたいまなら、セリム・カヤの限界がはっきりと見える。
「な、何故だ! わたしの剣速に追い付けるはずが──」
「残念ながら、黒騎士の抜き撃ちには及ばないようですがね」
馬首を翻そうとするセリム・カヤに、アンヴァルが加速して並び、幅を寄せる。
「おのれ!」
斬撃では遅いと思ったか、セリム・カヤは残った神剣で突き込んできた。
魔力を乗せた必殺の刺突。
だが、突きであれば、ぼくはクリングヴァル先生の最上のものを見慣れている。
フラガラッハを跳ね上げ、手首の動きで神剣を絡めとる。
流石にセリム・カヤも手練れ。
その動きに反応して、逆回転で剣を捻った。
だが──。
螺旋の速度と力で、ぼくが上回る。
魔力圧縮の練度の違い。
それが、こういう瞬間的なところで現れる。
あっと剣を取り落としたセリム・カヤに、ぼくの斬撃を防ぐ術は残されていなかった。
フラガラッハが走り、セリム・カヤの首が落ちる。
「賊将セリム・カヤ、ヘルヴェティアのアラナン・ドゥリスコルが討ち取ったり!」
すかさず、ノートゥーン伯が声高に叫ぶ。
返り血を拭いながら、豪快にトリアー先輩が笑った。
変幻に剣を振るっていたジリオーラ先輩も、ファリニシュに意味ありげに片目をつむって合図をすると、ぼくとアンヴァルに馬を寄せてくる。
「ちょっと脅かしてやりいな、アラナン。それで、蜘蛛の子散らすように逃げ去るやろ。もう一回この包囲突破して帰るんは、うちらにはちっと骨やわ」
戦場は、不気味に静まり返っていた。
セリム・カヤの聖戦の恩恵を受けていた兵士たちには、まだ将の死が受け入れられないのだ。
だが、まだ敵の数の方が多い。
西方の兵ではないのだ。
一人一人が、侮れぬ魔力を持っている。
戦意を維持されると、厄介であった。
となると、一発で気力を挫くような派手なものがいい。
雷撃は砂漠では相性が悪く、広範囲に出しにくいので──。
「アンヴァル、やっちゃってくれ」
ぽんぽんと、アンヴァルの首を叩く。
「自分でやりやがれですよ。全く、超過労働もいいところです。いたいけなアンヴァルをこき使うなんて、ひどいアラナンですよ」
悪態を吐きながらも、アンヴァルは空へと舞い上がり、茫然と見上げるサナーバード軍に向けて紅焔を掃射する。
横一線に薙ぎ払われた地域は、神の炎が燃え上がり、人も馬もその中に飲み込まれていく。
「セリム・カヤは死んだ! おまえたちには、もう戦う理由はないはずだ。それでもまだやろうと言うなら、全員この炎の中で魂まで焼き尽くされると知れ!」
紅焔が魂を灼くかどうかは知らないが、その虚喝は思った以上に効果があった。
虚脱状態だった傭兵たちは、立ち上がって我先にと逃げ出していく。
セリム・カヤの聖戦があればこその士気。
支えがなくなれば、傭兵は自分の身を第一に考える。
「ははは! 思ったより呆気なかったね!」
トリアー先輩が近付いてきて、ぼくの背中を叩いた。
いまのぼくの障壁だと痛くはないが、衝撃に目を白黒させる。
もう、ばか力なんだから。
「もう、トリアー先輩に叩かれたらぼくみたいにひ弱な男は地平線まで吹っ飛ばされちゃいますよ」
「はん! それがアプフェル・カンプフェンであたしを吹っ飛ばした男の──」
トリアー先輩は、最後まで言いきることができなかった。
一本赤い筋がトリアー先輩の右肩から脇腹にかけて走ったかと思うと、次の瞬間、盛大に鮮血が噴き出した。




