第三十二章 聖戦の加護 -2-
翌日、サナーバード軍の先鋒が哨戒網に引っ掛かった。
通常の騎馬では敵の速度と差を付けられないので、哨戒にはイ・ラプセルの騎馬隊が出ている。
二騎一組で出撃し、先行偵察して情報を持ち帰る。
敵の進軍を視認したのは、オーギュスト・ベルナール先輩とアルバート・マルタンの二人組であった。
ベルナール先輩は、高等科生随一の属性魔法の使い手だ。
流石にハーフェズほどではないが、基礎魔法を鍛えたお陰で魔力の運用能力が上がり、継戦能力が格段に上昇している。
剣の腕は高等科では低い方だが、圧倒的な属性魔法の力量で上位の席次を保っている。
その割には心が弱いのが課題ではあるのだが──。
図太さでは、アルバート・マルタンの方が上だ。
アルバート・マルタンは、魔法も剣も特に得手不得手のない万能型の魔法剣士である。
アルトドルフの冒険者ギルド支部長の息子であり、もうじき白銀級に昇格するだろうと噂される実力者だ。
剛胆な性格で、イ・ラプセルの騎馬隊創設以来、彼から一度も弱音を聞いたことがない。
剣ではティナリウェン先輩に、魔法ではベルナール先輩に及ばないが、剣と魔法のバランスのよさでは高等科一だろう。
そのアルバート・マルタンの表情が、ひきつっていた。
イ・ラプセルの騎馬隊は、神馬の加護を受けた特別な馬を与えられている。
その疾駆の速度は、並みの騎馬隊の及ぶところではない。
それは、パシュート人の行軍に付いていって、よくわかっている。
本気で駆ければ、追い付ける敵はまずいないだろうと思っていたが──。
ベルナール先輩と、アルバートが追い詰められていた。
「聖戦の加護は、馬にまで及ぶのか」
ノートゥーン伯が、驚きを込めて呟いた。
だが、意外なことに、そこに焦りの響きはない。
「その割には落ち着いていますね」
「馬の速度は、こっちの方が速い。追い付かれそうなのは、騎乗技術の差だね。生まれたときから馬に乗っている連中には、流石にかなわない。でも、危ないと思ったら、馬の方で速度を上げるさ。アンヴァルは、そう指導している」
「当然でいやがりますよ」
馬の姿のままで、器用にアンヴァルが得意そうに鼻を膨らませる。
「振り切ったら、敵を引っ張ってこれないじゃないですか。アラナンも、もう少しその足りない脳みそを使って考えやがれです。筋肉ばかり鍛えていないで」
「──晩飯はいらないらしいな」
「アラナンが莫迦だなんて誰が言ったんですか? アラナン天才! 素敵!」
無言でアンヴァルの首をつねると、神馬は不満げに嘶いた。
緊張感のないやつめ。
必死に駆けるベルナール先輩に悪いと思わないのか。
──それにしても、凄い形相だな。
あれじゃ体も固くなって、いい動きはできまいに。
「心配はいらねーですよ。ほら、年増が援護に入りやがりました」
アンヴァルの指摘の通り、別の方角から戻ってきていたファリニシュとマリーが、ベルナール先輩たちの支援に入った。
先頭を駆ける十数騎が、瞬時に凍りつく。
障壁も強化されているはずだが──。
砂漠で水系統の魔術は制限されていてこの威力。
流石は氷雪の魔狼。
並みの術者では、こうはいくまい。
ファリニシュを警戒してか、僅かにサナーバード軍の足が鈍った。
その隙に、ベルナール先輩とアルバートが、安全圏に抜け出す。
瀟洒なヴィフルールっ子であるベルナール先輩が、髪も振り乱して見る影もない。
だが、二騎で一軍に追い回されていた恐怖を考えれば、致し方のないことなのかもしれない。
もう笑顔になっているアルバートの方が異常なのだ。
「見ろ、アラナン。アフザル・ドラーニが行くぞ」
ノートゥーン伯の指し示す先を見ると、ちょうどパシュート人たちが突っ込むところであった。
剽悍なパシュート人たちは、定住化したパールサ人に比べて勇猛さにおいて数段上回る。
それでも、草原の生活者たるトゥルキュト人とはそれほど大きな差はない。
ぺーローズも抱えていたトゥルキュト人傭兵は、サナーバードの騎馬隊でも中核となっている。
それを考えると、アフザル・ドラーニの突撃はそう簡単に成功すまいとは思っていた。
だが、その想定は大分甘かった。
パシュート人たちは、サナーバード軍の戦列を崩すどころか、ぶつかった瞬間に追い散らされていた。
「──相手になってねーですね」
アンヴァルは、神の眼ではっきり戦況を見てとれる。
それだけに、その感想は正確だ。
「ちょっと強すぎるな、聖戦。あれがイスタフルの東の守りを任されたのも納得できる。あの将軍を抱えていて、なお魔王の侵攻に膝を屈する指導者の思惑がわからん」
「それでも、流石はアフザル・ドラーニだね。戦線を崩壊させずに、仕事はきっちり果たしているよ」
メルキオールの言うとおりであった。
アフザル・ドラーニに与えられた任務は、サナーバード軍を撃ち破ることではない。
所定の位置まで、サナーバード軍を引っ張ってくることだ。
西方の軍ならすでに指揮系統も寸断され、ばらばらになって敗走するような状況でも、アフザル・ドラーニは兵を意志をもって動かしている。
きちんと、予定通りの方向に、サナーバード軍を誘導していた。
「うまい。流石にアフザル・ドラーニは老獪だ。わたしやナーディル・ギルゼイでは、あの味は出せない」
ノートゥーン伯が感嘆するだけのことはある。
アフザル・ドラーニは、崩壊ぎりぎりの線を見切って、敗走をうまく誘導に変えている。
一歩間違えれば全滅も免れない危険な綱渡りを、アフザル・ドラーニは飄々とこなしていた。
「しかし、メルキオール卿、あの軍は異様に強い。誘い込むのはいいが、それで勝てるのか?」
ノートゥーン伯の疑問は、ぼくがずっと抱いているものだった。
ドラーニ部族を一蹴するほどの精鋭が相手では、シーリーンの歩兵では荷が重い。
鎧袖一触で蹴散らされるだろう。
仮にナーディル・ギルゼイと挟撃したとしても、その程度で勝てるとは思えない。
「心配ご無用だよ、伯爵。サナーバード軍は、聖戦の加護を得て、勢いに乗っている。自分たちは無敵だと思っているだろう。そういう相手ほど、隙はできやすいものだ」
「少々の隙くらいでは、負けると思っていないのではないか?」
「その通りだよ。そして、その傲りが、最大の隙となるんだ。聖戦は確かに大きな加護だけれど、セリム・カヤはわたしの加護を知らない」
そう言えば、メルキオールも太陽神の加護持ちだった。
でも、何の加護かは、聞いていない。
そもそも太陽神信仰を隠していたメルキオールの加護は、一般には知られていないのだ。
「セリム・カヤの敗因は、わたしの加護を知らなかったこと。では、今からそれを立証しようか」




