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ルーの翼 ~アラナン戦記~  作者: 島津恭介
第三部 イスタフル激動編

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第三十一章 ハライヴァの猛虎 -10-

「パシュート人をイスタフルに引き入れるとは、どういうおつもりですかな殿下」


 敗れてなお、虎は堂々としていた。

 彼を縛る縄は特殊な魔法具であり、魔力と膂力を封じる特性を持っている。

 あれに縛られては、力なく大地に倒れ伏すしかないだろうに、毅然と頭を上げているのはたいしたものだ。


「決まっているだろう、ぺーローズ。魔王の侵略に立ち向かうためだ」


 ハーフェズの言葉には、迷いがない。

 あの自堕落でやる気のない男と同一人物とは思えないほどだ。


指導者(ラフバル)は、魔王の侵略に抵抗しない気だ。タメルランが落ちれば、イスタフルは一瞬でその膝に屈することになるだろう。指導者(ラフバル)は新しい魔王の国でそれなりの地位を得るだろうが、イスタフルは滅亡することになる。わたしは、それには肯じない。黒石(カアバ)がやらぬのなら、太陽神(ミトラ)がやる。魔王の鉾は、わたしが止める」

「──そのために、百万の屍の山を築いても構わないと?」

「魔王に隷従して生きていると言えようか? どのみち、西方侵攻の先鋒として使い潰されるだけだ。魔王のために戦って死ぬより、わたしは自分たちの国のために戦って、できれば生き残りたい」


 正直なハーフェズの科白に、ぺーローズは目を丸くする。

 そして、からからと哄笑した。


「面白いことを仰いますな、殿下。もっとも、無駄に死に急ぐ主に付いていく家臣もまたおりませぬ。ですが、タムガージュほどの大国が、容易く征服されておるのです。殿下は、如何にしてこの砂嵐に立ち向かうおつもりですか?」

太陽神(ミトラ)は、その使徒を見捨てはしない。見るがよい、お前を打ち倒した勇者の姿を」


 ゆっくりと、ハーフェズが右手の人差し指を上げた。

 その指の示した先は──。


 ぼくだった。


「エアルのアラナン・ドゥリスコル。トゥルキュト人に伝わる拳の源流となった、アセナの秘拳を継ぐ男よ。魔王の尖兵がどんなに強力であろうと、彼が打ち倒す。我々はアラナンを切っ先として、魔王の軍団に斬り込むのだ」


 ぺーローズの双眸が、挑むようにぼくに向けられた。

 ハーフェズの言葉は、イスタフルの未来をぼくに託すと宣言したに等しい。

 果たして、この若者がその大任を背負うに足る者なのか。

 ぺーローズの瞳は、そう語っている。


「アラナンの力は、身をもって知ったであろう? 虎の本気を出さなかったとはいえ、一撃で地に叩き落とされたそうではないか」

「──は。彼の実力を疑いはしますまい。生身で応戦したのが、それがしの誤りでした。もっとも、猛虎(ヴァグル)の力を解放しても、彼に及んだかはわかりませぬが。ですが、それでも、彼が魔王の尖兵に勝てるかどうかは、また別問題です」

「ヤフーディーヤで、マタザとやりあったそうだな」

「は。指導者(ラフバル)が、魔王の力を示すために仕組んだのでしょう。陛下の御前での試合で、完膚なきまでに叩きのめされました。むろん、猛虎(ヴァグル)の力を解放した全力で当たってのことです」


 ぺーローズが全力でなかったことに、驚きはしなかった。

 もとより、彼が全力を出す前に仕留めるつもりだったのだ。

 長引けば、それだけこちらの損害も大きくなる。


「あの剛槍が負けるとは、それがしには思えませぬ。連中は、トゥルキュト人の拳も歯牙にかけずに侵略してきております。彼奴らは魔力だけではない。武芸もまた、並外れております。そういう化け物が、ごろごろしておるのです」

「できれば、タメルランが健在なうちに、態勢を整えたいのだ。セイレイスとも、シンドーラとも、連携して魔王に当たりたい」

「──シンドーラは太陽神(ミトラ)教団の仇敵、セイレイスは指導者(ラフバル)の仇敵ではございませぬか。また、かなりの無茶を言い出されますな」


 苦笑するぺーローズ。

 言葉ではあきれているようであったが、その声に莫迦にした響きはなかった。


「本気で、やるおつもりですか。陛下のことは、どうなされるのですか」

「それについては、宮廷書記長官アクバル・ハマール・ディビールから聞くといい」


 ハーフェズが振り向くと、後ろに控えていたメルキオールが進み出た。

 気配と魔力を消していた彼に気付いてなかったのか、ぺーローズの表情に驚きの色が浮かぶ。


宮廷書記長官アクバル・ハマール・ディビール、陛下の懐刀が、なぜかようなところに」

「むろん、陛下のご下命があって参っておるのです。表向きは、殿下の挙兵への詰問使としてですが──」


 重要な情報を、衆人の許でさらりと言うメルキオール。

 いや、声は外に漏れないようにしているのか。

 風で音を伝わらないようにしているんだな。

 だが、ぼくの位置だと聞き取ることができた。


「陛下から、殿下をお助けするように仰せつかっております」

「──莫迦な。それでは、陛下は自らを息子に討たせるおつもりか」

「──陛下は、朕には指導者(ラフバル)の重石を除く力はないと仰いました。魔王の侵攻から、帝国を護ることもできぬ、と。それをなしうるのは、息子のハーフェズのみである。宮廷書記長官アクバル・ハマール・ディビールよ、シルカルナフラに赴き、朕の息子の覇業を援けよ、と。わたしはそれを伺ったとき、陛下の偉大さに打たれました。凡庸な君主に、かような決断ができましょうや。ぺーローズ将軍、あなたはイスタフルの護国の剣。その力は、外敵を払うためにこそ振るわれるべきです。立たれよ、将軍。そして、殿下の許で魔王の尖兵と戦うのです」

「おう!」


 いきなり、ぺーローズの身体が膨れ上がった。

 膂力と魔力を封じていたはずの魔縄がちぎれ飛び、身動きできないくらいのダメージを受けていたとは思えぬ勢いで立ち上がる。

 その頭は人間のものから獰猛な肉食獣のものへと変化を遂げており──。

 なるほど、猛虎(ヴァグル)の力とは、獣人化(ワータイガー)のことか。

 並外れた膂力や魔力、驚異的な回復力も納得できる。

 あの状態だと、領域支配ドミーネン・シュタイアルンクもそう簡単にはいかなさそうだ。


 立ち上がったぺーローズは、そのままハーフェズの前で膝を付き、頭を下げる。


「ぺーローズ・カーゼンブール、帝国のため、殿下に命を捧げることを誓いましょう。この身をもって、魔王の侵略を防ぐ盾と致します」

「汝の忠誠を受け入れよう、ぺーローズ将軍。ともに、イスタフルを護るのだ」


 ハーフェズが、猛虎(ヴァグル)の肩に手を置いた。

 うなだれたぺーローズが、僅かに嗚咽を漏らした。

 護国の剣と言われる男が、魔王の侵略を前に辺境で無聊を囲っていたのだ。

 内心では、戦いたいと思っていたのであろう。

 だが、帝都の首脳部は、侵略者に媚びを売って立ち上がろうともしない。


 ハーフェズの帰還は、そんなぺーローズにとっても嬉しい誤算だったのだ。


「ハライヴァに行くぞ、ぺーローズ。そして、次はサナーバードだ」

「サナーバードといえば、セリム・カヤ将軍がこちらに向かっております。数日でハライヴァに到着する見込みですが──彼はそれがしと違い、指導者(ラフバル)の敬虔な信徒。生真面目で潔癖なあの男は、殿下のことも嫌っておりまする。一戦は、避けられませぬぞ」

「たかが一万騎であろう。それに臆しているようでは、魔王とは戦えぬさ」


 爽やかに、ハーフェズが笑った。

 学院中の女子を卒倒させた笑顔。

 自信家で鼻持ちならないが、悔しいくらいに華はある。

 あいつに魅了された兵は、喜んで死地に赴くだろう。

 その無邪気な兵たちを死なせないために──。


 ぼくは頑張ろうと思う。

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