第三十一章 ハライヴァの猛虎 -9-
嘲笑。
そう受け取ったか、ぺーローズが吠えた。
噴き上がるように魔力が肉体を強化し、再び重い鉄棒が唸りを上げる。
だが、遅い。
威力はあるが、神の眼と太陽神の翼を全開にしたぼくとアンヴァルにとっては、反応できないレベルではない。
センガンや黒騎士のが、速度では上だ。
繰り出される鉄棒に合わせて、剣を振る。
フラガラッハの斬撃を受けた鉄棒は、覆った魔力ごとバターのようにすっぱりと切れた。
飛竜の竜鱗すら切り裂く神剣である。
ぺーローズの障壁はかなり強固であったが、神の域には達していない。
「莫迦な!」
その結果が受け入れられなかったか、ぺーローズの動きが一瞬止まった。
ぼくには、その一瞬の隙で十分だった。
太陽神の翼で、馬上からぺーローズの懐に飛び込む。
虚を突かれたぺーローズであるが、咄嗟に障壁を強化。
その反応は見事!
だが──。
「悪いが、この距離なら、ぼくのものだ」
右掌がぺーローズの障壁に触れる直前。
領域支配で、それを打ち消す。
遮るもののない右掌がぺーローズの胸に叩き込まれ。
吹き飛ばされたぺーローズは、馬から大地に転がり落ちる。
「ぐ──う」
それほど力も込めていないし、魔力も乗せていないが、生身で身体強化のかかった竜爪掌を受けたのだ。
肋にひびくらいは入ったであろう。
大地で背を打った衝撃もあり、呼吸も苦しそうだ。
追撃をかけてもいいが、すでにパシュート人の戦士たちが殺到していた。
初めの二、三人は素手で吹き飛ばしたぺーローズであったが、衆寡敵せず。
取り押さえられ、縛り上げられる。
その時点で、ハライヴァ軍の敗北は決まった。
機を見るに敏なトゥルキュト人傭兵たちは、すぐに逃亡を開始する。
武器を捨てて降伏する者もいたが、逃げた兵の方が多かった。
それは、まだハーフェズの軍団が帝国に勝てると思われていないと言うことだろう。
「ご苦労様、アラナン。だから、できると言っただろう」
ノートゥーン伯が、馬をゆっくりと歩かせてきた。
イ・ラプセルの騎馬隊には、死者はいないようだ。
傷を負った者はいるようだが、ファリニシュの再生で問題ないだろう。
「簡単そうに言うけれど、ぺーローズの力を出させなかっただけですからね。まともにぶつかれば、もっと苦労する相手ですよ」
少なくとも、ぺーローズは武術の腕前や魔力の量はノートゥーン伯より上である。
速度と攻撃力で上回っていたから完封できたが、一撃でももらえば危険な相手なのだ。
ノートゥーン伯とて、わかっているから自分では行かなかったのだろう。
「凄いわね、アラナン。まるで、飛竜みたいだったわよ」
伯爵の後ろから、マリーとジリオーラ先輩が興奮して駆けてくる。
「竜爪掌の一撃だけとか、ほんま飛竜の再来やっちゅうねん! あれを見て、ハライヴァ軍の兵士の心がぽきぽきに折れとったで!」
それは、そうだろう。
ハライヴァ軍は、ぺーローズ・カーゼンブール個人の武勇と軍略に負うていた部分が大きい。
その支柱を外されれば、後は分解するしかない。
指揮官を失ったと知れば、城もすぐに落ちるだろう。
サナーバード軍と合流されると厄介だったが、どうやら各個撃破できそうだ。
「──アラナン、あの一撃、どうやったんだ? 障壁を砕いたんじゃなく、消えたように見えたが?」
おっと、流石にティナリウェン先輩は鋭いな。
あの一瞬の領域支配に気が付く人がいるとは思わなかった。
「飛竜の奥義ですよ。まあ、ぼくにはほんの触りしかできませんがね。威力はまあ、ご覧の通り。基礎魔法の鍛練を欠かさず続ければ、先輩たちにだってできるようになりますって」
ぺーローズの巨体を運ぶのは大変なので、彼は縛り上げられたまま見張られている。
アフザル・ドラーニはハライヴァを落とすためにそのまま進軍を続けているが、ようやくナーディル・ギルゼイが追い付いてくる。
ぺーローズに引っ掻き回されたナーディルは、大分苛立っていたようであった。
訛りの強いパシュート語で喚かれても、何を言っているのかはわからないけれどね。
「アラナンってのは、お前か」
縛られたぺーローズのところにいたナーディルが、つかつかとぼくのところにやってきた。
今度はイスタフル語だから、何とかわかる。
だが、ちょっと様子がおかしいな。
目に警戒の色が出ている気がする。
「皇子殿下が連れてきたって聞いてはいたが、とんでもねえな。ぺーローズの鉄棒を斬り飛ばし、素手で甲冑を割り砕いたって? おれたちの精鋭でも、あいつの突破を易々と許したってのによ。魔王の尖兵と戦いに来たらしいが、てめえならできそうな気がするな」
「西方にも強い人間がいるってことを、証明しないといけないですからね」
「全くな。だが、気を付けろ。ぺーローズが言うには、てめえの一撃は帝都でマタザと仕合ったときよりは軽かったらしいぜ」
「──肝に命じますよ」
そうか。
ぺーローズは、魔王の尖兵と刃を交えているのか。
実際、どれくらいの強さかは気になるところだ。
ナーディルやぺーローズは、このあたりでは強者の部類に入るだろうが、それでもターヒル・ジャリール・ルーカーン級でしかない。
飛竜やクリングヴァル先生の強さに触れてきたぼくから見れば、怖くはない相手だ。
だが、マタザはわからない。
ぺーローズが苦もなく捻られたくらいなら、センガン並みの強さはあるかもしれない。
「しかし、西方にはたいした強者はいねえって聞いていたがな。皇子殿下は、何処からこんな連中引っ張ってきたんだ?」
ナーディル・ギルゼイの瞳にあるのは、得体の知れないものに対する恐怖か。
彼は強いだけに、ぼくの強さがわかるのだろう。
まあ、飛竜は元々西方の人間ではないし、その技を受け継ぐぼくらが西方のレベルを超えているのも不思議はないんだけれどね。
「ぼくの技は、滅亡した東方の王家に伝わっていた武術らしいですよ。昔は、タメルランの北の方にいた部族らしいですけれどね」
「トゥルキュト人の仲間か? おれたちの先祖と出身は近いかもしれないな。確かに、あのあたりじゃ組み打ちの技も鍛えているはずだが、それにしても一撃でぺーローズの障壁を貫いて甲冑を割るやつは滅多にいねえ。ま、中には化物もたまにいるがな……」
歓声が近付いてきた。
ナーディルは言葉を切ると、東の山道に目をやる。
黄金の鷲獅子の旗が道を進んできていた。
ハーフェズが、到着したのだ。
「虎を捕縛したそうだね」
ダンバーさんとメルキオールを伴いながら、機嫌よくハーフェズが馬を歩ませる。
「流石はアラナン。イスタフルの武人では、いまのおまえの相手にはなるまいよ。さて、ぺーローズのところへ案内してもらえるかな」




