第三十一章 ハライヴァの猛虎 -7-
ナーディル・ギルゼイが、ペーローズ・カーゼンプールを追い回していた。
深入りは危険だと思ったが、これは意図的にやっているようだ。
その間に、前軍のドラーニ部族が、進み始めている。
ペーローズの騎馬隊の動きを封じ、一気にハライヴァを落とす作戦のようだ。
「大胆な作戦だね」
ノートゥーン伯の許に戻る。
伯爵は、ため息を吐いて肩をすくめた。
「メルキオールの指示だ」
その言い方だと、伯爵はこの作戦を気に入ってないようだ。
彼は、どちらかと言うと堅実な用兵家だからな。
あの宮廷書記長官のように、大胆にはなれないのだろう。
「アフザル・ドラーニは、もうハライヴァまで一日のところに来ている。何もなければ、ペーローズのいないハライヴァを楽に落とすだろう。だが、猛虎と呼ばれた男が、みすみすそれを許すかな?」
「見た限りでは、ナーディル・ギルゼイは巧くペーローズを追い詰めていましたけれどね。八千騎を二手に分け、ペーローズの進路を少しずつ削っていましたよ」
ペーローズの戦術眼はたいしたものであったが、ナーディル・ギルゼイも並みの武将ではない。
兵力差を上手く生かして、ペーローズの進路を誘導していた。
包囲を避けようとすると、ハライヴァから遠ざかる方角しか空いていない。
ペーローズであれば、自分が嵌められていることに気付くだろう。
だが、ナーディル・ギルゼイ相手に兵力差を埋めるのは、そう容易くないはずだ。
「おっと……それでも、反転するのか」
神の眼で、ペーローズの騎馬隊の動向は見張っていた。
彼は、ギルゼイ部族の包囲をうまく避ける方向で立ち回っていたが、自分がハライヴァから離れていくのに気が付いたようだ。
兵をまとめると方向を変え、一気に包囲の一角を急襲に出た。
ペーローズの剛勇の前に、ギルゼイ部族の精兵が粉砕された。
こちらの包囲はナーディルの麾下の氏族であり、ナーディル自身の氏族ではなかったことも、ペーローズには幸いした。
ペーローズを先頭にした突撃を止められる武人が、この氏族にはいなかったのだ。
「ノートゥーン伯、ペーローズの騎馬隊がナーディル・ギルゼイの包囲を突破しました。ハライヴァに戻るつもりか、それともアフザル・ドラーニの背後に食い付くつもりか──こっちに向かってきています」
先頭を駆けるドラーニ部族の兵と、後を追おうとするペーローズの騎馬隊との間に、ぼくたちの騎馬隊がいる。
このまま行けば、遠からずぼくたちはペーローズの騎馬隊と接敵することになるだろう。
「──そいつは厄介だな」
意外と、ノートゥーン伯は動じなかった。
眉根を寄せると、難しい表情のままティナリウェン先輩を呼ぶ。
「イシュマール、街道から外れるぞ。じきに、ハライヴァの騎馬隊が後ろからやってくる。捕捉されない範囲まで離れるぞ。アラナンは、引き続き敵の動きを見張っていろ」
ほう。
流石に、正面から二千騎を受け止める無謀は犯さないか。
西方諸国の騎士ですら、二千は手に負えない数だ。
いわんや、魔族の同類みたいな連中の二千においてをや。
ノートゥーン伯の指示で街道から逸れると、ぼくたちはペーローズの騎馬隊の到着を待つことにした。
正面から受けることはできなくても、ペーローズの騎馬隊がドラーニ部族と戦闘を始めたときに、決定機を作ることはできる。
ノートゥーン伯はイザベルをアフザル・ドラーニの許に伝令に出し、後方からペーローズが追ってきていることを伝えていた。
「やっと出番かいな。待ちくたびれたでほんま」
ジリオーラ先輩は、随分好戦的だな。
いや、昔からそうか……。
一時期はずっとぼくと戦いたがっていたっけ。
「まあ、ああいう野蛮そうな相手はジリオーラにはお似合いよね」
「おおし、マルグリット、その喧嘩買うたろやないか」
「やめろ、二人とも」
いがみ合う二人を、ティナリウェン先輩が窘める。
最近、ティナリウェン先輩はよく部隊内の人間関係に気を遣っている気がするな。
「で、どうするんだ? いくら横腹を突いても、十七騎程度じゃ風穴も開けられないぜ?」
「連中、一騎一騎が学院中等科生上位程度の魔法障壁を持っているようだしね。魔力が潤沢なせいか身体強化も強いし、厄介な相手ではある。でも、我々で勝つ必要はない。要は、ペーローズの姿勢を崩せればいい。そうすれば、パシュート人なら十分勝機を掴めるだろう」
ノートゥーン伯のパシュート人に対する評価は結構高いんだな。
ドラーニ部族は、アフザル・ドラーニと三氏族が先行し、半数の三氏族でペーローズを迎撃する姿勢を見せている。
暫く耐えれば、後方からナーディル・ギルゼイも追い付いてくるはずだし、一撃で食い破られなければ大丈夫だろう。
ペーローズは好んで死地に飛び込んできたように見えるが、彼はそれでも打開する自信があるのだろう。
猛虎の異名に相応しい果敢な男だ。
「そろそろ来ますよ」
神の眼が、接近するハライヴァ軍を捉えている。
先頭を駆ける巨漢が、ペーローズ・カーゼンプールか。
魔力が、炎のように体から立ち上っている。
あの鉄棒で殴られれば、一撃で頭を潰されるだろう。
「アラナン、お前はペーローズに備えておけ。周りの兵は、わたしたちに任せろ」
ノートゥーン伯が、長大な騎士槍を構える。
剣を使う印象だったが、彼も訓練を受けた騎士だ。
当然、槍の扱いも慣れているだろう。
普通の騎士槍はすぐ砕けるが、ノートゥーン伯は魔力で槍をコーティングしている。
あれなら、強度も十分だろう。
ドラーニ部族が待ち受けているのを見て、ペーローズは訝しげに首を振った。
彼も、まさか自分の行動が筒抜けだとは夢にも思ってないだろう。
だが、それでも騎馬の足は緩めない。
駆けてきた勢いのまま、ドラーニ部族の兵へと突っ込んでいく。
ペーローズの鉄棒が振るわれると、迎撃に出たドラーニ部族の先頭が吹き飛んだ。
真っ正面から、断ち割るつもりか。
剛勇が、遺憾なく発揮されている。
ドラーニ部族の兵も、西方なら十分並みの騎士より強いレベルだが、それが一合と交えることなく蹴散らされていく。
これが、大陸に冠たるイスタフルの驍将の実力と言うわけだ。
アフザル・ドラーニのいない半数の兵では、あれを正面から止めるのは難しい。
だから、ノートゥーン伯はぼくたちを待機させたのか。
「行くぞ」
限界と見たか、ノートゥーン伯が合図を出す。
ごくりと、ビアンカが唾を飲み込んだ。
初陣に緊張しているのか。
その肩を、ジリオーラ先輩が叩いて落ち着かせている。
彼女は、かなりビアンカを気にかけているな。
ノートゥーン伯を先頭に、イ・ラプセルの騎馬隊が動き出した。
神馬の力を授かっている馬たちは、疾駆の速度も速い。
駆け続けているペーローズの騎馬隊に比べれば、その速度差は圧倒的だ。
放たれた矢の如く丘を駆け降りたノートゥーン伯が、ハライヴァ軍の横腹に突っ込む。
刹那。
三人の騎兵が馬上から弾け飛んだ。
あれは──。
クリングヴァル先生の雷光。
ノートゥーン伯め、限定的に加速を使うことで、クリングヴァル先生の技を真似るのに成功したのか。




