第三章 黄金の鷲獅子 -5-
グライフェン湖からプフェフィ湖まで、出だしのペースならもう三時間掛かる予定だった。
だが、それを二時間掛からずに踏破してしまった。
ハーフェズのスピードアップの効果が大きいな。
後ろを歩いていたイグナーツの班を瞬時に振り切り、先行していたビアンカの班を捉える位置に付けている。
と言うか、あの莫迦やっぱりペースが落ちている。
最初に飛ばしすぎなんだ。
「ま、ハーフェズ様! なんて颯爽としたお姿!」
微弱な身体強化を纏ったハーフェズは、生命の活力に満ちているように見える。
ビアンカから見たら、本当に王子様にでも見えているもかもしれないな。
「あんまり無理しないようにね、ビアンカ。綺麗な顔が台無しだ」
心にもないことを言いながら、ハーフェズがビアンカの横を通り過ぎる。
ビアンカは付いていこうとしたが、ハーフェズの快足には追い付けない。
うん、ぼくやマリーが付いていくのにやっとなんだ。
疲労しているビアンカにはきついだろうな。
ま、このペースなら、今日中にヘルンリー山の手前にあるハウマ村まで行けるだろう。
どうせハンスの班もそこ泊まりだ。
明日が勝負になるかな。
「もうだめー。歩くだけがこんなにきついなんて!」
ハウマ村で学院の生徒であることを明かし、村長の家の屋根裏に宿を借りる。
ちなみに、ハンス・ギルベルトたちはこの下の二階に宿泊している。
先に彼らが到着したので、いい場所を取られたのだ。
ビアンカたちはどうするのだろう。
ハウマ村は、村長の家以外泊まれるほどの大きな家はない。
「待ちなんし。ちくっとマリーの足を冷やしんしょう」
干し草の上にひっくり返るマリーの足に手を当てると、冷気を発して熱を冷ます。
ファリニシュは器用だな。
それにしても、出会った頃のマリーはあまり喋らないし上品で洗練された淑女だと思っていたが、あれはかなり猫を被っていたようだ。
最近は結構活動的だし、地が出てきている気がする。
「あああああ、イリヤそれ気持ちいいわあ」
マリーは目を細める。
ファリニシュの冷気は、疲れた足には心地いいらしい。
それで明日もマリーが歩けるなら助かるな。
「アラナン、明日はわたしと魔物の討伐数の競争をしないか」
人が変わったようにハーフェズが笑った。
「わたしの退屈を紛らせてくれそうなのは、アラナンくらいだからね。イリヤの方が楽しそうだが、彼女は本気になってくれなさそうだからなあ」
「……やっぱり只者じゃなかったんだな、ハーフェズ」
「本当は、オニール学長に相手になってもらおうと思っていたんだけれどねえ。その前に前菜で楽しむのも悪くないさ」
ハーフェズは首もとから黄金の首飾りを取り出すと、宣言するようにぼくに向けた。
よく見ると、その首飾りには何か動物のようなものが彫られている。
「ヒッサールの黄金の鷲獅子に誓って、君にも本気になってもらうよ、アラナン」
ハーフェズの眼光が、鋭くぼくを射る。
猫の皮を被った獅子め。
こいつと初めて出会ったとき、全く気配を感じ取れなかったのを思い出した。
「……いまできる全力は尽くすよ、ハーフェズ」
魔術も神聖術も使うわけにはいかない。
それでこの化け物に勝てるかはわからないが、挑まれたからにはやってみるしかないだろう。
やれやれ、班の内部に一番の強敵がいたとはね。
しかし、やる気のない天才児に火を点けたのは、本当はファリニシュなのだろう。
ハーフェズは、ファリニシュが相手にしてくれないことがわかっている。
それでぼくを代理にしているんだ。
確かにぼくが全力を出しているとは思っていないだろうが、魔術や神聖術のことまで知らないはずだからな。
翌朝、ぼくたちはハンスたちと競うようにヘルンリー山へと向かう。
テス川沿いに進む山道とは一度別れ、山頂に向かう九十九折の道を登っていく。
ファリニシュは道に僅かに残る足跡を見つけると、近くに小鬼がいると断言した。
「わっちの鼻に賭けて、この先に三十ほどの小鬼がおりなんす」
「よし、アラナン、マリー、行くぞ」
見違えるようにやる気を見せるハーフェズが駆け出す。
くっ、身体強化の段階を三つくらい上げやがったな。
あっという間に引き離される。
ハンスの班を含めて、ハーフェズの後を追って駆ける展開になった。
流石に敵を視認する前に身体強化を無駄遣いする者はいない。
故に、ハーフェズは一人小鬼の群れと接敵することになった。
「ははは。アラナン、マリー、よく見ておくがいい。魔法の矢、いや、アルビオンでは魔法の矢だったか。わたしが使えば、初等科の魔法も、こうなる!」
息を切らせて駆け付けると、ハーフェズの周囲に無数の魔法の矢が浮かんでいた。
いやいや、あれはないわ。
余裕で百個くらいあるだろ。
同時展開にも程がある。
ぼくが魔術を使って風刃を限界まで出したとしても、二十から三十がいいところじゃないか?
本当にあれを全部制御できるの?
ハーフェズが手を振り下ろすと、次々と小鬼に向かって魔法の矢が飛んで行く。
「アラナン君、何止まっているんだ……」
追い付いてきたハンス・ギルベルトが、目の前に展開する光景を見て絶句した。
初等科の生徒で魔法の矢を使えるのはまだ数人。
その中で一番巧いのは何を隠そうぼくだ。
魔力を放出する感覚はすでにお手のものだし、身体強化みたいに戸惑う要素もない。
だが、そのぼくの放つ魔法の矢でも、一撃で小鬼を倒すのは難しい。
そこまでの威力はないのだ。
よほど急所に当てない限り、三、四発は当てないと倒せない。
だが、ハーフェズの魔法の矢は、その威力も桁外れだった。
魔法が当たったところが、まるで爆散したかのように吹き飛んでいる。
大抵一撃、悪くても二撃で小鬼は沈んでいった。
三十以上いた小鬼を片付けるのに、要した時間は僅か五秒くらいか。
「何だ、これは……どういうことだ」
流石のハンスも状況を受け入れられないらしい。
お陰でぼくは冷静になれた。
追い付いてきたマリーも唖然としているが、ファリニシュは当然のような顔をしていた。
あの狼、結構前からハーフェズの実力を見抜いてやがったな!
「これ……全部ハーフェズがやったの?」
「ああ、魔法の矢の同時展開で一瞬のうちに仕留めていた」
「童の繊手も長じれば岩をも貫きなんす。あれなら主様のよき遊び相手になりんしょう」
ぼくの遊び相手ねえ。
本気を出さなきゃ、無理そうなんですけれど。
学長が許可をくれるはずないしなあ。
ハーフェズが、息を乱しもせずにこちらに近付いてくる。
天使のような笑みを浮かべると、ぼくの肩を叩いてきた。
そして、耳に囁く。
次は君の番だよ、アラナン、と……。