第三十一章 ハライヴァの猛虎 -2-
ノートゥーン伯の機嫌は、悪かった。
師匠のクリングヴァル先生のように、ぼくが勝手をすると思っているのだろう。
まあ、間違ってはいない。
ぼくの場合、一人で行動した方が被害が少なくて済む場合がある。
騎馬隊にはファリニシュがいるし、いざというときでも何とかなるだろうし。
「アラナン、わたしは軍議の前に、太陽神教団と打ち合わせをしておきたかったのだが」
「別に、ぼくが行く必要もないでしょう。指揮官はノートゥーン伯だし」
そもそも太陽神の祭司長であるぼくは、他の宗教集団の本拠地にいると居心地が悪い。
できれば、バクトラ市内には行きたくなかった。
「そうはいくか。先方の指名なのだ。アラナン・ドゥリスコルと会っておきたいとな。それを完全にすっぽかしてくれるとは。軍議には、太陽神教団の神官長も来るんだぞ」
「お偉いさんの相手は任せますよ。ぼくは貴族とか神官とか、そういう人の相手は苦手なんで」
「だが、きみはハーフェズやハンス、アルフレートとは普通に話していただろう」
「まあ、彼らは友人ですし」
ノートゥーン伯と不毛な言い争いをしていると、呆れた表情でティナリウェン先輩がぼくの頭を小突いた。
「いい加減遊ぶな、アラナン。ノートゥーン伯は真面目なんだ。からかうのはよせ」
「おや、半分は本気ですよ。──ですが、忠告には従いましょう。申し訳ございませんでした、ノートゥーン伯。ちょっと、気持ちの整理が必要だったもので」
「甘えるな、全く。それが許されない立場になったことがまだ受け入れられないのだろうが──この騎馬隊の生死はお前にかかっているんだ。自覚を持て」
ちえっ、やっぱりティナリウェン先輩にはお見通しか。
ぼくらの中では最も戦士としての心得がある青衣の民イスマール・アグ・ティナリウェンには、冷静に戦況を見る目がある。
ぼくの心の逡巡など、その慧眼で丸裸だ。
「お前さんだけじゃないんだ。オーギュストだって前回逃げ出しそうになったし、ジリオーラも泣いていた。このエリオットだって指揮官としての重圧にもがいている。おれだって、人のことは言えない。だから、アラナン。自分だけが大変だと思うな。少しは、エリオットを支えてやれ。戦い以外でもな」
「──わかりました」
真面目な顔でティナリウェン先輩に窘められては、おちゃらけることもできない。
仕方がないな。
腹を決めて、立ち向かうとするか。
この責任ってやつに。
「それでは、会議に行きましょうか」
謹厳な顔を作って言うと、ノートゥーン伯はため息を吐いたが、黙って歩き始めた。
ティナリウェン先輩は苦笑すると、その後に続く。
あまり苛めるなと、その顔は語っていた。
会議が行われる部屋には長い卓が置かれており、一番奥には当然ハーフェズが座っていた。
悠然と座るハーフェズの左右には、ダンバーさんとサツキが立っている。
サツキは、かなり言葉を覚えたようで、久しぶりに会ったときには帝国語で挨拶された。
マリーとジリオーラ先輩がサツキを連れていって何やら話していたが、内容は怖くて聞けなかった。
ハーフェズの右側の並びには太陽神教団の神官長がまず座り、左側の並びには同じく太陽神教団の戦士長が座っている。
この二人が、ハーフェズを支える重要な二本の柱である。
神官長の隣にはドラーニ部族の部族長と各氏族の長が座り、その隣にぼくたちの席があった。
まあ、末席と言っていいだろう。
その方が気楽でいい。
一方、戦士長の隣の席は、まだ空いたままであった。
当然、そこにはギルゼイ部族の族長たちが座ることになる。
ナーディル・ギルゼイ以下ギルゼイ部族の族長たちは、いままさに此処に向かって来ているところだ。
彼らが到着すれば、会議が始まることになる。
「きみがアラナン・ドゥリスコルかい? 何だかひ弱そうだけれど、本当にあのマタザと渡り合えるのかい?」
そして、ハーフェズのちょうど正面には、この何故かぼくに話しかけてきている軟弱そうな男が座っていた。
そもそもこの人物がどうしてこの場にいるのか、それが意味不明である。
何故なら、彼はイスタフル皇帝の使者として、ハーフェズのシルカルナフラ制圧を詰問に来ているのだから。
どう考えても、この場に相応しいとは思えない。
「そういう貴方の方がよほどひ弱そうですけれどね」
ひょろりとした青年は、武術とは縁遠い体つきであった。
文官ならこんなものなんだろう。
だが、ぼくは普段から鍛えてちゃんと必要な筋肉は付いている。
ひ弱と言われる筋合いはなかった。
「あいた、ハーフェズが言うより手厳しいね」
男は大仰に額を右手で叩いた。
「わたしは、これでもハーフェズの親友なんだよ。きみも、彼の友人だそうじゃないか。よければ、わたしとも友人になってほしいな」
へらへらとしながら、男は胡散臭そうなことを主張してきた。
「あれ、信用していない? お兄さん悲しいなあ。わざわざハーフェズのために、皇帝陛下に願い出てまでやってきたのに」
「願い出て──?」
疑問の声を上げようとしたとき、廊下を甲高い靴音を立てて複数の男たちが歩いてきた。
来たか。
ギルゼイの猛将たちが。
乱暴に部屋の扉が開く。
「遅くなった」
左目に黒い眼帯を付けた巨漢が、割れ鐘のような声で叫ぶ。
後に続く男たちも、いずれも粗野な山賊のような風体の連中だ。
正直、イスタフルに近いドラーニ部族の族長たちの方が、大分文明的だ。
だが、いくさに強いのは、断然ギルゼイ部族のこのむさ苦しい男たちだった。
「ご苦労、ナーディル」
礼儀には頓着しないハーフェズが、鷹揚に言った。
「東部の制圧は完了したようだね」
「使者を送った通り」
荒々しく椅子に座る。
ナーディルの巨躯には、ちょっとこの椅子は小さすぎたようだ。
窮屈そうだが、それでも壊しはしないところを見ると、力の制御はできるのだろう。
「プシュカラ以西は、もはや殿下の旗が翻っている。若き鷲獅子に反抗する勢力は、もはやない」
「ならば、約束通り、ナーディルをプシュカラの太守に任じよう」
シルカルナフラにクジュラ王国があったのは、千三百から千六百年くらい前の話だ。
それ以来、パシュート人は、山の中に押し込められた生活をしてきた。
権力をふるってきたのは、他の魔族たちである。
だが、いま初めてパシュート人を認める王が現れた。
それだけで、十分だった。
ナーディル・ギルゼイは立ち上がると、剣を抜いて柄をハーフェズに向け、差し出す。
ハーフェズも立ち上がり、剣を受けとると、跪くナーディルの肩に刃を押し当てた。
「我が忠誠を、主に」
「堅苦しくするなよ、ナーディル。わたしはこういう儀式は苦手なんだ」
どうせ、面倒だからだろう。
学院の初等科の頃、あいつはいつも昼寝をしてさぼっていた。
「余の者にも、相応の地位を与えよう。わたしが皇帝になれば、シルカルナフラはパシュート人のものだ。それは、確実に約束しよう」
めんどくさがりのハーフェズであるが、やつは人種で人を分け隔てすることはなかった。
学院時代女子に熱狂的なファンが多かったが、どんなファンにも笑顔で接していたし。
男には、あまり笑顔を振り撒いていた気はしないが。
「さて、それでは諸君、軍議を始めよう。わかっているとは思うが、我々はシルカルナフラの北部、南部、東部を押さえた。次にどうするべきかは、メルキオール、お前から言ってくれ」
面倒になったか、ハーフェズは作戦を他人に任せ、椅子に座った。
代わって立ち上がったのは、ぼくの隣にいた例の皇帝の使者──こいつがメルキオールだったのか!




