第三十章 卒業試験 -7-
飛竜。
冒険者ギルドの本部長にして、三人しかいない黄金級冒険者。
大魔導師と並び称されるヘルヴェティアの切り札。
かつてイフターバ・アティードに滅ぼされたサビルの王。
アセナ・イリグ。
その実力は、何度か見ているつもりだった。
だが、これだけ力の差を感じたのは、初めてかもしれない。
確かに、ハーフェズは武術を優先して修得しているわけではない。
だが、ダンバーさんに鍛えられているこの天才は、並みの騎士なら魔法を使わなくても軽くひねれるくらいの技倆はある。
それを、手も足も出させず、瞬殺したのだ。
まあ、あれ、竜爪掌耐えてもそのまま竜爪破邪に繋がって結果は変わらなかっただろうけれど。
「では、参れ」
ハーフェズが下がり、ぼくの番となる。
鮮やかな飛竜の勝利も、視認できていた者はほとんどいない。
観衆は静まり返っており、ひそひそといまの結果について囁きあっている。
だが、ぼくが前に出ると、冒険者たちは一気に沸き返った。
フェストに出たハーフェズの人気も低くはないが、優勝者であるぼくの試合はやはり別格のようだ。
だが、いまはこの期待が重いぜ。
ハーフェズのように、一撃で終わったらどうしよう。
ま、やるだけのことはしないとな。
問題は、あの領域支配か。
あれが、どれくらいの効果を発揮するのか、それを確かめないといけない。
まずは、飛翔歩で飛び込んでみる。
奇襲攻撃に最適なこの歩法は、遠間から一歩で飛び込めるアセナの秘奥のひとつだ。
繰り出すは右手の門の破壊者。
最大の威力を持つこれで様子見を──。
あれ、魔力が右腕で螺旋を描かない。
衝撃音とともに、障壁に拳がぶつかる。
魔力をまとっていない門の破壊者は、ただの突きでしかない。
飛竜の障壁は、微動だにしなかった。
そして、飛竜もまた、動かない。
なるほど。
試験だからな。
まずは、この障壁を何とかしてみせろってことか。
しかし、参ったな。
飛竜の領域支配の前では、魔力を外に出したら制されるってことか。
体内の身体強化は問題なく行えているから、支配はぼくの体内までは及んでいない。
いや、多分触られたら、体内もやばいな。
円眼の巨人を思い出せ。
あの巨人は、触れられただけで体内の魔力を狂わされていた。
だが、考えてみれば、体外の魔力の操作は魔術師の得意技だ。
普通の魔法師は自分の魔力しか操作できないが、魔術師は自分以外の魔力も操作できる。
ならば、ぼくにはこの領域支配に対抗する手段があるはずだ。
そうでなければ、飛竜とてこの試験を実施しないだろう。
飛竜の領域支配の正体──それは、大気の魔力の掌握だ。
一定の空間の魔力をおのれの支配下に置き、異なる魔力が紛れ込めば即座に察知、それも自分の支配下に書き換える。
飛竜は以前大地の魔力も支配下に置いていたが、あれも同じであろう。
魔術師も顔負けのこの力。
試しに支配を奪い取ろうと試みたが、がっちりと捕まれてて動かせない。
風系統の魔術も封じられたようなものだ。
「本当に凄いな……」
クリングヴァル先生が、軽い気持ちで行けば死ぬって言っていたのも納得だ。
まともに戦えば、いまのぼくでは相手にならない。
研鑽を積んだ年月が違いすぎる。
だが、それでも──。
これは、試験なんだ。
勝利が目的ではなく、試験官に認められる回答を出せば、それでいい。
基本的に、魔力操作は自分の肉体に近いほどやりやすい。
生物の体内の魔力を遠距離から操れないのは、このためだ。
どんなに習熟していても、相手の魔力が妨害し、接触しないと相手の体内の魔力の操作はできない。
実際、飛竜もぼくの身体強化は止められないのだ。
無敵に見える領域支配にも、欠点はある。
それならば、極めてぼくに近い距離なら、飛竜から支配を奪い取れないだろうか。
まずは、体内の魔力を自分の外へと拡散させるイメージを持つ。
そうだ。
自分の薄皮一枚外まで、おのれの領域を拡げるのだ。
額に脂汗が浮かぶ。
飛竜の抵抗は、予想以上に強い。
だが、ぼくもセルトの魔術師だ。
魔力の泉のお陰で、この程度で魔力が尽きることはない。
「う……く」
神経を極限まで集中させ、何とか皮膚を覆うように自分の領域を作り出す。
ごく僅かな範囲だが、此処はぼくの王国だ。
飛竜の支配には、屈しない。
「ほう」
初めて、アセナ・イリグの目に興味の色が浮かんだ。
「面白い。だが、それで動けるのか?」
痛いところを突いてくる。
飛竜から領域を奪い取るのに全神経を集中させているいま、他の動きはできない。
動けば、この僅かな制空圏が、たちまち霧散するだろう。
だが、それでも。
それでも、だ!
「行かない理由は、ないんだよね!」
両手を前に突き出し、アセナの構えを取る。
じりじりと進むが、飛竜の領域がぼくの行く手を阻むかのように立ち塞がる。
重圧が形になり、堅固な壁になったかのようだ。
いや、実際、ぼくの僅かな領域と、飛竜の強大な領域がぶつかり合って、激しく支配を奪い合っている。
沼の中に引きずり込まれたかのように、体が重い。
「どうした、アラナン! 蝿が止まるぞ」
ハーフェズめ、面白がっているな。
観客にはわからないだろうが、あいつにはこの魔力の鍔迫り合いが見えているはずだ。
一歩進むのに、大岩を持ち上げるより大きな労力を費やしていることも。
「ぐうっ」
無論、魔力食いも通用しない。
魔力操作の練度が違いすぎる。
しかも、飛竜に近付くにつれ、その支配力は更に強まっていくのだ。
歯を食い縛って耐えるが、間合いまであと一歩というところで進めなくなる。
飛竜は構えも取らずに、ただ立っているだけだというのに。
その一歩。
あと一歩が──。
遠い。
これ以上進むには、どうしたらいいのか──。
(いつも言ってるだろう)
ぼくの耳許で、クリングヴァル先生が笑った気がした。
(お前は魔力圧縮が甘いってな。それじゃあ、一流には通用しねえ。おれやイシュバラに通用しねえってことは、あのじじいには尚更だぞ)




