第三章 黄金の鷲獅子 -4-
野外実習の出発は、早朝の学院からである。
ドゥカキス先生が点呼を取っているが、全員ちゃんといるようだ。
うん、一番遅いハーフェズが来ている時点で全員いると思うよ。
毛並みの美しい白馬に跨ってきたサルバトーレが、ぼくの前で素早く馬を下りると恭しく一礼した。
「ん、御苦労」
右手を上げて労ってあげると、何故か激昂して詰め寄ってくる。
「き、貴様にじゃあないんだよ、下郎が!」
「いいのか、イリヤが見てるぜ」
胸倉を掴むサルバトーレに言ってやると、はっとしたように手を離してぱっぱっと服を払う。
絹の服とは豪華なやつだ。
そして、戦う気がないな。
「おはよう、お嬢さん」
そして、何処からともなく取り出した薔薇をファリニシュに贈っている。
ファリニシュは興味がなさそうにそれを受け取ると、ふっと息を吹き掛けた。
薔薇は一瞬で凍り付き、氷の薔薇になった。
ファリニシュがぴんと指で弾くと、きらきらと朝日を浴びながら崩れていく。
ファリニシュは艶然と笑った。
「人の思いは儚いと聞きなんすが、まことでござんすなあ」
ショックを受けたサルバトーレが、大地に膝を突いている。
やるな、ファリニシュ。
あれでサルバトーレの出足が遅れるかもしれない。
それにしても、ファリニシュの今の魔法は見事だったな。
呪文もなしに、花一輪完璧に凍り付かせた。
高度な技法を何でもないようにやってのけるのは達人の証だ。
少なくともぼくにはできない。
流石に太陽神の眷属だけのことはある。
ああ、マリーはまだ魔力を飛ばすことができないから、真似しようとしても無理だぞ。
「何よ」
「いや、練習してることは知っているよ」
身体強化の次の講義が、魔法の矢なんだよね。
これは魔力を体から放出するため、難易度が一段階上がる。
ここで躓いている人は多いんだ。
身体強化が得意な人ほど、意外にこれが苦手でね。
ハンスやマリーでも難しいらしい。
ぼくはもうこの感覚は慣れているんで、ここで躓きませんよ。
ドゥカキス先生の点呼も終わり、簡単な注意を受ける。
魔物の討伐数が大きなポイントになるが、討伐しなくても実習はクリアできる。
下手に強い魔物に突っ込んで勝手に死んでも自己責任だからな、莫迦野郎ども。
意訳するとそんな感じだ。
まあ、そんな無茶する莫迦はいませんよ。
ぼくは安全第一です。
第一ですからこっち見ないでくれませんか、先生!
「ゼルティン山の山頂の洞窟にある結晶に学生証を翳せば、野外実習の単位が入手できますからね! 無茶はしないで下さいね!」
確かに単位は入るが、ポイントを稼がないと中等科のクラス分けで希望通りのクラスに行けなくなるのだ。
例えば、属性魔法が希望でも、定員が五名なら、六番目の希望者は別のクラスに振り分けられる。
「じゃあ、いいですね。それでは出発して下さい!」
ドゥカキス先生の宣言で、それぞれの班が学院を出て街中の雑踏に消えて行く。
「のろまのアラナン、ゆっくり来いよ!」
白馬を歩かせながら、サルバトーレも出て行った。
あの大きな馬体では、地味に街中では邪魔に思われるだろう。
ぼくらは当然歩きだ。
山越えをするのに、馬車は邪魔である。
ハーフェズのやる気が一気に減少しているが、ぼくは彼の尻を蹴って歩かせた。
マリーとファリニシュは、歩くのに苦痛はないらしい。
ま、ファリニシュは当然だよな。
馬車のが苦手のようだった。
フラテルニアの街中では、みんなそんなに差はつかない。
馬と馬車組がやや先行していったかな。
三班が湖畔沿いのルートを選んだようだ。
そっちのルートは乗り物を使って出発している。
山越え組は四班。
ぼくら、ハンスの班、ビアンカの班、イグナーツの班だ。
やれやれ、面倒なことになりそうな予感がする。
ハンスの班は軍隊のように整然としていて、一定の歩調でずんずん歩いていった。
流石ハンス・ギルベルト。班員への訓練も抜かりがない。
ビアンカの班はやたら元気がよく、駆け足で去っていった。
意外と熱血気味であったが、あれは途中でばてるんじゃないか。
イグナーツの班員二名は明らかにやる気がない。
のろのろとイグナーツの後ろを付いていっているだけだ。
そんなイグナーツの班とペースが変わらないのは、うちもハーフェズと言うやる気のない男がいるせいである。
出発して三時間ほどで、グライフェン湖の北辺まで辿り着く。
予想していたよりペースが遅い。
これは、今日中にヘルンリー山に着くのは無理だな。
マリーが苛立った目でハーフェズを見ているが、当人は涼しい顔だ。
顔がいいだけに腹が立つな。
「いい湖畔だね。この先がグライフェン村だろう。そこで昼食にでもしないか」
ハーフェズの呑気な発言に、マリーがぷるぷるしている。
うーん、よくない傾向だな。
「ちょっと遅れているからこのまま進むよ。昼食はイリヤの焼きパンでも歩きながら食べよう」
「そうかい、残念だな。ダンバーの紅茶で一息入れたかったが」
ダンバーってのは、ハーフェズの執事の老人の名前だったっけ。
アルビオン出身のアングル人だったから、記憶に残っている。
一分の隙もない完璧な身のこなしで執事の職務を遂行していたな。
さりげなくファリニシュを警戒していたのが印象的だった。
「キアラン・ダンバー、執事とは懐かしき名でござんすな」
ファリニシュは執事のことを知っていた。
ハーフェズは当然のように頷いた。
「アルマニャックの黒猫、ヴィッテンベルクの飛竜、そしてアルビオンの執事。何れも巷間に名の知れた黄金級冒険者でござんすなあ」
「流石、ダンバーが自分に匹敵すると評しただけのことはあるな、イリヤ・マカロワ。アラナンも面白いが、お前の特異性は異常なほどだ」
ハーフェズは大きく伸びをすると、後ろを付いてくるイグナーツたちの班を見た。
「あんなのにずっと付いてこられても迷惑だ。いいだろう、アラナン。少しだけわたしも真面目にやってやろう」
ハーフェズが美しい金色の髪を振ると、その体に微量の身体強化が掛けられた。
彼は今までののろのろしたペースとは比べものにならぬ軽快な歩調で、さっさと歩き出す。
唖然としていたぼくとマリーは、慌ててその後を追った。
「お、おい、ハーフェズ。身体強化なんて使って、魔力は保つのか?」
「心配するな、アラナン。わたしは人より何百倍も魔力量が多い。これくらいで尽きたりしないさ」
微量とは言え、常時身体強化を使っても尽きない魔力だって?
そんな人間は聞いたことがない。
本当のことだとすると、とんでもない天才だ。
「ね、ねえ、アラナン。ハーフェズのやつ、急にどうしたのかしら」
「うーん、わからないけれど、何かがあいつの琴線に触れたんだろうな。しかし、あれがあいつの実力だとすると、ぼくやハンスも相手にならない。初等科一番は、あいつかもしれないな」
ハーフェズの身体強化は、恐ろしいほど滑らかで美しかった。
野生の獣のようなしなやかさだ。
前にファリニシュがハーフェズを見習えと言ったのは本気だったんだと、今更ながら思い至る。
と言うか、こっちは生身で歩いているんだ。
ぼくは体力には自信があるが、このペースだとマリーがまずいな。