第三十章 卒業試験 -6-
ベールに移動するときも、ハーフェズはついてきていた。
そういえば、こいつが一人でいるのは珍しい。
いつもは、必ずダンバーさんが張り付いていたのに。
「わたしとアラナンがいて、誰が襲ってこれるというんだね?」
護衛はいないのかと聞くと、ハーフェズは笑ってそう答えた。
確かに、アセナ・イシュバラでも来ない限り、やられるようなことはないだろうけれど。
「コンスタンツェ・オルシーニは、まだベールにいるんだろう?」
「解放はされたけれどね。ルウム教会と話し合いはついたみたいで」
「ルウム教会は、実質的に旧ヴィッテンベルク王国領内の支配権を失ったに等しい。大小の司教領が食われていくのだろうな。聖修道会はやり手だから」
総主教の大柄な体に似合わぬ優しそうな瞳を思い浮かべる。
だが、性格は温厚でも彼が凄腕の宗教家なのは間違いない。
ヘルヴェティアからルウム教会を追い払っただけではなく、ラーヘ・ランデン、ヴィッテンベルクと着実に勢力を伸ばしている。
聖修道会もルウム教会と同じようにエルを祀っているように見せているが、実態は別だ。
なんせセルトの祭司長たるティアナン・オニールと組んでいるのである。
信者の力は、エルではなく、セルトの神々に行くようになっている。
ルウム教会の退魔師が衰退し、ヘルヴェティアの魔法学院が力を持っている背景が此処にあるだろう。
ぼくだって、その恩恵に預かっているのだ。
そうでなければ、ルーの加護があれほど強力であるはずがない。
ベールの冒険者ギルド本部。
ぼくとハーフェズが中に入ると、喧騒に溢れていた一階が急に静寂に包まれた。
次の瞬間、歓声とともにぼくたちに向かって人の波が押し寄せてくる。
「アラナンさんだ!」
「おい、小竜だぜ!」
「フェスト見てました!」
「きゃー、ハーフェズ様もいるわ!」
フラテルニアでは、こういう騒ぎはない。
やはり、フェスト開催地であるベールならではの知名度なのかな。
しかし、これは──。
進めないよ、これじゃ!
「静かにせい。二人は、こっちへ来い」
騒ぎを聞き付けた飛竜が降りてくると、冒険者たちは一斉にお喋りを止めた。
厳格な先生に叱られた生徒みたいね。
「思ったよりは早かった。だいぶ成長しておるようだな」
「でなきゃ、ウルクパル、アルトゥン、センガンと戦えませんよ」
「──そうだな」
飛竜のいらえは、短い。
だが、その間に彼の色々な思いが詰まっている気がした。
家族を捨てざるを得なかった男が、鋼鉄のような表情になった理由のようなものが。
アセナ・イリグに続いて歩くと、本部の地下へと降りていく。
ギルド本部の地下は、模擬戦ができるように訓練場があった。
飛竜がぼくとハーフェズを連れてそこに向かったということで、ギルドの冒険者たちは何が起こるかを察したらしい。
ぼくたちの後ろをひしめき合いながら付いてきて、訓練場の外に鈴なりになって並んでいる。
彼らの興奮が、熱く伝わってくるようだ。
無理もない。
フェスト史上最強の男と、前回優勝者との対決なのだ。
金を取ってもいいくらいだ。
ぼくだって、当事者でなければ見物したい。
「アラナン、ちょっと先にわたしにやらせてくれないか?」
緊張をほぐそうと体を動かしていると、ハーフェズがぼくの肩を掴んで話しかけてきた。
「男なら、自分がどれくらい強くなったか、試してみたくなるもんだろう?」
そういう気持ちはぼくにもあるが、いきなり頂点に挑むのは流石にハーフェズくらいじゃないか?
大魔導師相手じゃないとやる気がしないと言っていた学院時代を思い出す。
「ハーフェズはこう言っていますが、どうします?」
「構わぬ。来い」
飛竜は、別にハーフェズの飛び入りも気にしないようだ。
じゃあ、譲ろうか、とぼくが思ったときには、ハーフェズはもう動き出していた。
飛竜の周囲にいきなり出現する百個以上の魔法陣。
いきなりの奇襲とは、ハーフェズもやり方がえげつない。
しかも飽和攻撃を仕掛けるとは──。
あれはぼくも散々やられたな。
魔法陣から大量の属性魔法が飛竜に向けて放たれる。
その予想は、次の瞬間見事に外れた。
大量に展開された魔法陣が、一斉に全部消え去ったのだ。
「なっ」
流石のハーフェズも目を剥いた。
ぼくも思わずあんぐりと口を開ける。
その一瞬の虚をついて、滑るように飛竜がハーフェズの懐に飛び込んでくる。
神聖術は使っていない。
だが、速い。
アセナの歩法、瞬歩。
それを極めて高いレベルで行使している。
この動きについてこられたのは、訓練場ではぼくと──。
ハーフェズも反応している。
飛竜の攻撃は、右の竜爪掌。
アセナ・イリグの最も得意とする基本技だ。
絶技、竜爪破邪の起点でもある。
その一撃を、ハーフェズは両手を前に出し、障壁を強化して受けようとする。
ハーフェズの膨大な魔力が注ぎ込まれた魔力障壁。
一撃くらいで砕けるようなやわな代物ではない。
ハーフェズは接近戦も苦手ではないが、超一流の魔法技術に比べると一段劣る。
障壁で耐え、その間に距離を取る選択は悪くはないと思ったが──。
飛竜には通じなかった。
竜爪掌が障壁を嘘のようにすり抜け、ハーフェズの胸に叩き込まれる。
一撃で出る致死判定。
体内に叩き込まれた衝撃に目を白黒させたハーフェズであったが、判定を見ると両手を広げてため息を吐いた。
「やれやれ、頂は険しいね。まさか、三秒と持たないとは。だが、見たぞ、飛竜の領域支配。これを見るために、此処まで来た」
振り返ったハーフェズは、片目をつぶってみせた。
「初手の魔法陣潰し、二手目の魔法障壁の無効化、何れも飛竜の領域支配によるものだ。おのれの体内だけではなく、体外の魔力まで操作し、支配してしまう、飛竜ならではの奥義だな」
「──基礎魔法の魔力操作も、突き詰めると此処までの技になるんだな」
嘆息するぼくに、ハーフェズはにやにやと笑った。
「わたしは、これを身に付ける。一度見たからな。さして難しくもなかろう。アラナン、後はおまえの番だ」
ぽんと肩を叩くと、ハーフェズが後ろに下がる。
途端に、重圧がのし掛かってきた。
あのハーフェズを一蹴した飛竜の実力。
最強の名に、偽りなし。
あんな怪物を相手に、ぼくは何処までできるのだろうか。




