第三十章 卒業試験 -5-
こうして佇んでいると、ハーフェズからは魔力を全く感じなかった。
湖のように澄み、さざなみひとつない。
余裕のある笑みで、自信に満ち溢れている。
「で、本当に腕試しに来ただけだってか? いまのお前なら、上級迷宮の一階層や二階層の魔物など、何十体いようと歯牙にもかけないだろう」
軽く睨み付けると、ハーフェズは面白そうに笑った。
「アラナンが飛竜に挑むと聞いてね」
何処から聞き付けたのかって、ダンバーさんか。
黄金級同士なら、情報も筒抜けだろう。
「その対決を見届けに来た。むろん、大魔導師と飛竜の許可は取ってある」
「ぼくの手の内でも探ろうってか? ぼくだって、あの頃のままじゃあないんだぜ?」
「ああ。よくわかるよ、アラナン。魔力隠蔽は随分上達したが、その魔力の巨大さは隠しきれない。近付くだけで、火傷しそうだ。燃え盛る炎のような魔力だね」
ぼくの本質をずばりと言い当ててくる。
太陽神の加護を持っていることは言ってなかった気がするが。
昔から、こいつはいい目をしていた。
「随分余裕じゃないか。イフタフルでは、だいぶきな臭い状況になってるって、セイレイスの皇帝が言っていたぜ」
「あっはっは! セイレイスの梟雄、皇帝ヤヴズに一泡吹かせたそうじゃないか。噂はわたしのところにも届いているよ。だが、そうだな。正直、わたしはイスタフルにはいない。わたしがいるところは、シルカルナフラのバラヒッサール城。太陽神信仰の根拠地さ。そこで黒石の指導者を打倒する兵を集めている。火蓋は、いまにも切られんとしているよ」
「へえ。そんな状況なのに、よくふらふらこんなところに来てるよな」
「これも必要なことなのさ。さて、アラナン。そろそろ混沌の粘体が再度沸いてくる頃だ。いまのお互いの実力を、ちょっと披露し合わないか?」
ハーフェズは、初めからこれがやりたくてうずうずしていたんじゃなかろうか。
いい笑顔で提案してくる。
光っている歯が眩しいぜ。
「はいはい。わかったよ。ほら、十体くらい沸いてくるぜ。普通の冒険者パーティーなら、簡単に壊滅する数だな」
「わたしには問題ない」
ハーフェズが指を弾くと、混沌の粘体の下に一斉に魔法陣が描かれる。
早い。
あの数を一瞬で描くだと──ダンバーさん並みの構築速度だ。
そして、魔法陣からは色々な属性の魔法が放たれる。
炎柱、氷柱、土柱、竜巻──。
その一撃で、防御力の高い混沌の粘体が次々と屠られていく。
信じられん。
ハーフェズのやったことは、かなり難易度の高い技術だ。
普通、複数の敵を攻撃するなら、聖爆炎のような範囲の広い魔法を使って巻き込む。
単体攻撃呪文の複数化もできるが、それは基本同じ呪文を増やす形で行う。
しかも、対象を増やせばある程度威力は弱まるし、照準も甘くなる。
ぼくは、風刃なら百体くらいに飛ばせるが、急所に当てなきゃ殺傷力は低くなる。
でも、とても全部急所は狙えないので、適当に切り裂くだけになる。
ハーフェズは、それを別々の呪文で、しかも魔法陣で威力を上げつつ、照準も完璧に行う。
しかも、あの一瞬で、刻々と変化する混沌の粘体の弱点属性まで的確に見抜いている。
「属性魔法の練度が半端ないな。学院の属性魔法のアンリ・ラ・トレモイユ先生より凄いんじゃないか?」
「中等科で彼に師事していたから実力は知っているがね、アラナン。わたしは、属性魔法では学院の誰にも負けない自信はあるよ」
元々、属性魔法による遠距離攻撃が得意なやつだったが、更にそれに磨きが掛かっている。
今なら、聖騎士の聖光にも対応しそうだな。
「じゃあ、次はアラナンがやってみたまえ。魔術でも魔法でも好きなのを使って構わない」
「いや、魔術も魔法も使わない。ぼくが使うのは──」
右手をハーフェズに向けて突き出すと、ぼくも挑発するように笑った。
「この拳さ」
この言葉に、流石のハーフェズも目を丸くした。
混沌の粘体は、物理攻撃無効。
打撃で倒そうなどという莫迦は、まずいない。
ああ、ぼくも正気か、と思うよ。
でも、それが指示だから、仕方がない。
「まあ、見てろよ」
驚愕を顔に貼り付けたままのハーフェズを後目に、悠然と沸いてきた混沌の粘体に向かって歩を進める。
普通なら、混沌の粘体がこちらを認識し、得意属性の魔法を飛ばしてくるところだ。
だが、魔力隠蔽の技術が高ければ、その認識を欺くことも可能だ。
ぼくの魔力隠蔽は粗雑だの騒がしいだのよく言われるが、この程度の魔物に探知されるほどではない。
混沌の粘体には視覚はなく、魔力感知でしか敵を捉えられないのだ。
「見事だ、アラナン・ドゥリスコル。おまえにその芸当ができるとは、学院時代想像したこともなかった。それだけ近付けば、おまえでもその混沌の粘体の弱点属性がわかろう。おまえの得意の風系統だ──」
「悪いが、ハーフェズ」
ぺらぺらと喋るハーフェズに振り向きもせず、声だけで制止をかける。
「やろうと思えば、簡単に魔術でも仕留められる。だが、それじゃつまらないだろう?」
「は!」
破顔したハーフェズは、そのまま天を仰いだまま前髪をかき上げた。
「ははは! 確かにそうだ。面白い、アラナン。物理攻撃無効の魔物をどう打撃で倒すのか──わたしに見せてくれ」
ま、やることは、今までやってきたことの集大成でしかない。
魔力隠蔽で近付き、掌に魔力を乗せて打つ。
ただ、それだけだ。
別に破壊力のある技はいらない。
ただの竜爪掌で十分だろう。
要は、魔力のコントロール。
魔徹がどの程度のレベルにあるかって話でしかない。
魔力の制御が甘ければ、どんなに大きな魔力を込めても、それはダメージとして伝わらない。
だが、もうぼくは力の伝わり方については、いやというほどやってきている。
大地を踏み込んだ力を右手に乗せ、竜爪を混沌の粘体に突き立てる。
当然、柔らかいスライムボディはその衝撃を吸収し、一切ダメージは伝わらない。
だが、触れた瞬間、魔力の流れから魔物の核が何処にあるかは掴むことができる。
あとはそこに向け、魔力を徹すだけだ。
属性化していない純粋な魔力。
通常なら、属性魔法に比べれば威力は弱い。
しかも、体内には敵の魔力もある。
慣れてない者がやろうとしても、減衰され、核まで届かないのが落ちだ。
ぼくも、初めは圧縮した魔力の勢いだけで押しきってきた。
だが、散々覇王虎掌を使ってきたお陰で、ぼくも「徹す」ということの意味が、わかってきた気がする。
打ち破るのではなく、すり抜けるのだ。
「──見事」
核を撃ち抜かれ、消滅する混沌の粘体。
それを見たハーフェズは、喘ぐようにその一言だけを絞り出した。




