第三十章 卒業試験 -3-
ピラトゥス山。
かつては、人面鳥が大量に巣食う魔境の山だった。
だが、レオンさんたち白銀級冒険者によって人面鳥は殲滅され、未だにその勢力は復活していない。
レオンさんとの旅を思い出しながら、ピラトゥス山に降り立つ。
あのときは馬車だったが、今回は空だ。
アンヴァルに乗ってきてもよかったが、どのみち試験は一人で受けるのである。
仲間の力を借りなくてもできることを証明しなければならない。
ピラトゥスの上級迷宮は、山の中腹に入り口がある。
切り立った崖に舞い降りると、違和感がぼくを包んだ。
必ず入り口にいるはずの、ギルドの人がいない。
建物はあるのに、しんと静まり返っている。
とりあえずシピに連絡すると、珍しく慌てた様子の返事が返ってきた。
すぐに影渡りで、黒猫がやってくる。
「おかしいわね。ここには、常に五人の冒険者が詰めているのよ。それも、一人は白銀級なのよ」
「誰がいたんです?」
「魔法の箭よ。レオンに匹敵する実力者なんだけれど」
ああ、なんか聞き覚えはある。
レオンさんとルイーゼさんと一緒に、人面鳥退治した人だ。
でも、フェストでは予選でハーフェズに負けていたしな。
ほとんど印象に残っていない。
「状況がわからない以上、一人で行くのは危険よ、アラナン」
「大丈夫ですよ、シピ。こういう状況で、支部長が冒険者に言う科白はひとつでしょう」
ぼくが笑顔を見せると、シピは器用に肩をすくめた。
その顔は、男って仕方がないわねって言っている。
「アラナン、あなた師匠に似てきたわね」
「先生なら、シピに連絡する前に突入してますよ」
「──悔しいけど、その通りだわ。アラナンに言い負かされる日が来るとはね。いいわ、アラナン。白銀級冒険者の貴方に、クエストを発注します。上級迷宮に入って、この事件の原因の調査をなさい。貴方にとっては、ちょうどいいでしょう?」
「かしこまりましたとも、黒猫どの」
恐らく、シピは気付いている。
数人の人間が、上級迷宮に入った痕跡が、地面に残っている。
冒険者たちは、迷宮に入ったのだ。
では、なぜ見張りを放棄して中に入ったのか。
仮にも、レオンさんとチームを組んでいたほどの冒険者もいるのだ。
任務を放棄したということはあり得ない。
むしろ、任務を遂行するために入ったのだろう。
入り口の門をくぐると、軽い浮遊感がある。
異なる空間に運ばれる感覚。
迷宮の一層に移動したのだろう。
かっと眩しい陽差し。
思わず、手でひさしを作る。
上級迷宮の一層は、予想していたような暗い地下道ではなかった。
太陽の降り注ぐ広大な草原。
見渡す限り、丈の短い草と灌木が、何処までも続いている。
「迷宮の中に地平線があるかよ……」
死の騎士が出てくると聞いていた。
陰鬱な暗闇を想像していたのに、これでは雰囲気が台無しだ。
だが、騎士の脅威は、この草原フィールドでいや増すのは確かだ。
騎士の最大の武器は機動力。
狭い空間では、十全な力は発揮できまい。
すると、これが適した空間ってことなのか?
しかし、思ったほど魔物が出てこない。
まあ、ぼくの魔力を普通に解放していれば、そこらの魔物は恐れて近寄っては来ないのだが、此処は上級迷宮だ。
弱い魔物などいないはずなのだが。
考えられるのは──。
誰かが、先に付近の魔物を一掃してしまったということか。
照りつける陽光にも辟易としながら、先へ進む。
外の本物の太陽の光なら、どんなに照らされても加護を持つぼくが力を失うことはない。
だが、これは別の空間の偽物の太陽。
容赦ない陽射しが、確実に体力を削る。
魔術で温度調節くらいはしてもいい気はするが……。
飛竜の査定にマイナス評価を付けたくない。
それにしても、こう魔物が出てこないのは計算外だ。
神の眼を使えば、簡単に見つかるだろうが……。
──いや、そろそろ一掃された魔物が、また再出現してくる頃合いか。
ちょうど、ぼくの正面に一体の死の騎士が出現する。
黒光りする甲冑、妖気を発する黒槍と盾、兜から覗くふたつの赤い輝き。
漆黒の悍馬に跨がった騎士は、紛れもなく恐るべき手練れの雰囲気をまとっている。
赤い双眸が閃光を発すると、死の騎士の妖気が膨れ上がった。
やつの初手は恐怖か。
物理一辺倒の魔物だと思っていたら、精神系の魔法を使ってくるとは。
でも、その程度では、ぼくの増大した精神障壁は突き破れない。
流石に、魔力の泉のオンオフはできないしな。
恐怖が抵抗されたと知った死の騎士は、槍を構えて突撃態勢に移る。
紅焔一発で簡単に仕留められると思うが、今回は接近戦をしなければならない。
それには、あの長い騎士槍を掻い潜って、突進する馬に飛び込む必要がある。
並みの度胸では、とてもできない芸当だ。
そもそも、太陽神の翼も神の眼も使えない状況で、死の騎士の動きに付いていけるのか──。
土煙を上げながら、死の騎士が疾駆してくる。
速い。
あの馬の突撃速度は、通常の馬の倍はある。
流石は危険度赤。
重厚感のある槍が、勢いを付けて迫る。
あれから逃げれば、後ろから踏み砕かれるか貫かれるかするだけだ。
此処は、歩法を使う。
回避する動きは、ウルクパルの円環の拳。
槍の正面を避けて回り込めば、自然と目の前に馬腹が飛び込んでくる。
そこに魔力を乗せた竜爪拳を入れれば──。
吹き飛んだ馬から、死の騎士が振り落とされ、大地に叩き付けられた。
「流石に、この程度じゃ終わらないよな」
馬は立ち上がれないようだが、甲冑の騎士はすぐに起き上がった。
機動力は奪ったので、間合いはこっちの自由にできるはず。
槍を構え、待ちの姿勢を取る死の騎士。
そこに向け、今度はアセナの歩法で一足飛びに間を詰める。
騎士の槍は、技も速度もかなりのものであった。
砂漠の鷹ターヒル・ジャリール・ルーカーンに匹敵すると言ったら言い過ぎか?
だが、それだけの重さの槍が、頭上から振り下ろされてくる。
回避の動きを取れば、踏み込みが浅くなる。
そうなれば、あの甲冑を壊す威力が足りなくなる。
左手を掲げ、左螺旋で槍を外側へ弾く。
その目論見自体は成功したが、予想以上に重いな、この槍!
ずしりと左腕に衝撃が残り、しかも槍に触れた瞬間、ごっそり生命力と魔力を持っていかれた。
あの槍には触っても駄目なのかよ!
だが、まずは、その──。
「目障りな盾をもらうぜ!」
門の破壊者の一撃。
騎士の体を隠す丸盾を、粉々に破壊する。
遠かった甲冑は、もう目の前だ。
そこで、左足を一歩。
左手がまだ痺れてるが、此処で行かなきゃ勿体ない。
ぐるりと上半身が回転し、力が右手から左手へと駆ける。
覇王虎掌が甲冑に押し当てられ、中の核ごと貫いた。




