第二十九章 アローンの杖 -10-
目が醒めたのは、丸一日後だった。
ぼくはプトヴァイスの病院に運び込まれ、重傷者と一緒にベッドに放り込まれていた。
見渡せば、エスカモトゥール先生やストリンドベリ先生も寝ている。
ああ、クルト卿がいるところを見ると、黙っていたけれど彼も相当重傷だったんだな。
身体を起こしたが、傍にいたのは寝ている怪我人だけだった。
看護の人間はおらず、ぼくはまだ状況がよくわからなかった。
確か、決着は付いたはずだ。
あれがエーストライヒ公だったのか、イフターバ・アティードだったのか未だによくわからないが、エーストライヒ公国軍は負けた、という事実だけがある。
「なんだ、起きたのか、アラナン」
悠然と入ってきたのは、クリングヴァル先生だった。
「一日中寝やがって、いい加減看護の連中も倒れちまわあ。いま、おれさまが追い出してきたところだ。強行軍の疲れも抜けてねえくせに徹夜までしやがってよ。全く、いい根性してやがるぜ、ありゃあ」
誰もいないと思ったら、そういうことか。
思わず、心の中でマリーに謝る。
きみは、傍にいてくれていたんだな。
「じじい二人はもう戻ったぞ。ロタール公国の方もけりをつけなきゃなんねえんだとさ。ボーメン王は、城に入って、なんか協議をしてやがるよ。プトヴァイス宣言、とやらを出すそうだ。ま、おれさまが皇帝になるぞ、文句あるかって感じの内容になるらしいが」
「……それじゃ、クリングヴァル先生じゃないですか」
ぷっと噴き出すと、クリングヴァル先生はにやりと笑ってぼくの髪をかき回した。
「そんな宣言を出せるのは、アラナン、おまえの功績が大きいんだ。マジャガリーのファルカシュ・ヴァラージュを討ち取り、飛竜騎士団を半壊させただけでも大手柄だ。あれがボーメンを自由に動き回っていたら、ボーメン王はプラーガを出られなかった。正直、エーストライヒ公の戦略は、ボーメン王を上回っていたんだぜ。ボーメン王は南と東からプラーガを攻囲され、膝を屈する運命にあった。その戦略を叩き潰したのがアラナン、おまえだ。東からのマジャガリー軍の脅威を除き、南からのエーストライヒ公国本軍を遅滞させ、プトヴァイスを陥落から救った。ま、アルトゥンとセンガンを倒したのは、表向きの手柄にはなりにくいだろうがな」
アルトゥンとセンガンは、知名度は高くはない。
学院の首脳部しか、存在は知らないだろうからね。
でも、今回はたまたまうまくいっただけだ。
大軍相手に魔術で攪乱するのは有効だけれど、守勢には向かないのがわかった。
プトヴァイスが落ちなかったのは、クルト卿以下、騎士や衛兵たちが死力を尽くしたからだ。
ぼく一人では、全戦線に穴を空けないなんて無理だった。
「望めば、帝国騎士くらいにゃなれるだろうぜ。ボーメン王も、褒章はけちるまい。勲章もくれるんじゃねえか?」
「騎士に興味はありませんよ。面倒だし。先生の方こそ、クリングヴァル家再興のチャンスじゃないですか」
「ふん! おれさまが今さら騎士なんぞやると思うか?」
宮廷に伺候するクリングヴァル先生を想像すると、似合わないぶかぶかの宮廷服を着た先生が、皇帝の前で傲然と胸をそびやかしている姿が浮かんできた。
駄目だ。
この人に宮廷勤めとか、無理に決まっている。
「なんだよ、そのなま暖かい視線は。なんか変なこと考えているだろう」
「ええ……。どう考えても先生に貴族は無理そうかなと」
「言うじゃねえか、この野郎。じじいから魔力圧縮の秘奥を教わったからって、調子に乗ってんじゃねえぞ」
わしゃわしゃとぼくの髪の毛をかき回していた先生が、不意に表情を歪めた。
泣いているような、笑っているような、複雑な顔だった。
「──どうかしましたか?」
不安に思って尋ねると、先生は表情を真面目なものに改め、居住まいを正した。
「アラナン、おまえはもう学院の生徒の段階はとっくに超えているんだ。エリオットは学院の生徒としては優秀なやつだが、おまえはやつを一足飛びで追い越しちまった。もう、学院の教師でも、おまえに敵うやつは何人もいねえ。ということはだな、アラナン。そろそろ、おまえは卒業の試験を受ける時期だってこった。卒業の試験ってのは人によって違うが、おまえの場合は決まっている」
試験。
ぼくは今まで、中等科進級のときはシピの、高等科進級のときはダンバーさんの試験を受けてきた。
学院卒業となれば、残る黄金級冒険者は一人しかいない。
飛竜だ。
「わかっているようだな。そうだ。あのアセナ・イリグのくそじじい、やつに認められれば卒業になる。今までのように迷宮に行く必要はない。ベールの冒険者ギルド本部、そこが試験会場となる。試験はいつでも受けられるが──」
顎に手を当てると、先生はちょっと考え込んだ。
「軽い気持ちで行くと、死ぬぞ、アラナン。あのじじいは間違いなくいまのおまえじゃ相手にならないくらいつええ。せめて、そのばかでかくなった魔力を完璧に操れるようになってから、挑戦するんだな」
ふむ。
学院の進級試験は、今まで明確な課題があった。
シピのときは、魔力感知だった。
目に頼らずに戦うすべを、あそこでは求められた。
ダンバーさんのときは、魔法陣だ。
正直、あのとき教わった魔法陣がなかったら、名だたる強敵たちに勝てたかどうかわからない。
障壁を破る破魔魔法陣は、ぼくの切り札のひとつだ。
飛竜の課題が何か、それはいまのクリングヴァル先生の科白でわかった。
まあ、アセナの拳全般は基本として──。
なにより大切なのは、魔力操作だ。
地脈の把握だけで魔術もどきのことをやってのける飛竜だ。
自分の魔力を完璧に操るだけでなく、他人の魔力まで操ってしまう。
円眼の巨人を一瞬で倒したあの手並みは鮮やかだった。
凄すぎて、笑えたくらいだ。
ちょっと増えたくらいの魔力の操作に四苦八苦していたら、絶技を打たれて一撃で終わるってことだろう。
「アラナン、あのじじいに認められる一撃を繰り出すことだけを考えろ。おれさまは、それを突き詰めて雷光を編み出した。おまえなら、自分だけの一撃ってやつを作れるさ」
確かに、先生の雷光は、神聖術抜きの技としては傑出している。
あれは、基礎魔法を極めた先生だからこそ使える究極の一撃だ。
太陽神の翼を使えばそれ以上の速度の一撃を繰り出せるが、神聖術を使わない状態では雷光を超える速さは出せない。
ぼくの技は、だいたい人から教えられたか、盗んだものだ。
クリングヴァル先生のように、自分で編み出した拳技はない。
魔力操作を突き詰めて、自分の拳というものを作り出せ、ということか。
その課題、難易度高すぎるんじゃないかな?




