第二十九章 アローンの杖 -6-
閃光の後に、雷鳴が轟く。
一瞬の輝きが、反応する前に消えていった。
アローンの杖からぼくを狙って放たれた稲妻を、学長が別の空間に飛ばしたのだろう。
イフターバ・アティードは、得意の大地の魔術を封じられてアローンの杖の神聖術に頼るつもりのようだ。
選択肢としては悪くない。
正直、神聖術が使えないいま、稲妻を避けるなんて無理がある。
大魔導師がいなかったら、ぼくはイフターバ・アティードにあっさりと殺されていた。
「アラナン、目に頼っているうちは、師を超えることはできぬぞ」
こんなときでも、学長はぼくを鍛えようってか。
確かに、神の眼という神聖術があるだけに、それに頼っていた部分はある。
ウルクパルとの戦いで学んだだろう。
魔力の流れを読めと。
そうすれば、イフターバ・アティードが稲妻を発する兆しがわかる。
直線的な雷撃なら、タイミングさえ掴めればかわせるはずだ。
しかし。
口にするのは簡単だけれど、実行するのはそう容易くない。
相手が聖騎士だったら、僅かな体の動きで聖光の軌跡が読めた。
だが、イフターバ・アティードは、飛竜に匹敵する武術の腕も持っている。
しかも、魔術の腕は大魔導師並みだ。
どっちも格下のぼくでは、発動のタイミングがさっぱりわからない。
「いつまでそんな足手まといを護っているのだ、ティアナン・オニール。守勢一方では、余は倒せぬぞ」
「わしが無意味なことをしたことがあったかね?」
イフターバ・アティードの背後に、無数の雷が浮かぶ。
だが、目も眩むような数百もの雷撃も、こちらに届く前に全て掻き消える。
それどころか、その雷がイフターバ・アティードの頭上に現れ、一斉に落下した。
「す、すごい……あれを食らったらいくらイフターバ・アティードでも……」
「油断じゃぞ、アラナン」
光芒の中から、無傷のイフターバ・アティードが現れる。
埒のあかなさに業を煮やしたか、アローンの杖を構えて突進してくる。
接近戦かよ。
そうなれば、大魔導師が手を出しにくくなるだろうと思ったか。
イフターバ・アティードの一手目は、突進からの突き。
鋭い突き込みは、並みの術者なら一撃で絶命させる力はある。
大魔導師の一言がなければ、まともに食らっていたかもしれない。
だが、お陰で咄嗟に身を捻ることができた。
それでも、脇腹に激痛が走る。
軽く結界を貫通され、抉られたようだ。
「避けたつもりになっているか、アラナン・ドゥリスコル」
にやりとイフターバ・アティードが嗤う。
その瞬間、全身に衝撃が走った。
至近距離からの雷撃。
しかも、結界を砕かれている。
これをかわすのは、事実上不可能だ。
身体強化してある肉体をも焦がされ、思わず膝を突く。
神聖術の稲妻を食らって、よく死ななかったものだ。
素の魔力もかなり上がっているのかも知れない。
全身を貫く痛みを、一時的に感覚を遮断することで無視する。
ショックで息が吸えない──慌てず、息を吐ききる。
体内に空気がなくなれば、ちゃんと吸えるようになる。
指先に力を入れる──よし、動く。
まだ、やられたわけじゃない。
イフターバ・アティードの体は、そこにある。
手は、届くぞ。
右足を出すと同時に、右肘を突き込む。
体が覚えた閃火の動き。
何も考えずに楽に出せたのが、これだった。
ぼくがまだ動けると思ってはいなかったか、イフターバ・アティードは回避できなかった。
右肘は狙い過たず心臓に突き込まれ──そして止まった。
「愚かなり。余の結界をその程度の攻撃で破れると思うてか」
くそ、イフターバ・アティードは回避できなかったんじゃない。
回避しなかったんだ。
感覚的にわかる。
アローンの杖によって高められた神力の防壁は、同程度の神器じゃないと破れないと。
「参ったな……その杖、反則じゃないか?」
「神の御力を思い知ったか」
イフターバ・アティードの口が、嗜虐的に歪む。
直感で、もう一撃雷撃が来るのがわかった。
そして、もう一回至近距離で食らえば、今度こそ命がないことも。
「ええい、ままよ!」
鞘に納まったままのフラガラッハに手を掛けたとき、脳裏に閃く思い付きがあった。
うまくいくかは、わからない。
だが、やってみるしかなかった。
「今度こそ、さらばだ、アラナン・ドゥリスコル。──思ったよりは、楽しめたぞ。なに、すぐに師も送ってやる」
イフターバ・アティードの右手のアローンの杖から、膨大な神力が膨れ上がる。
至近距離からの、雷撃。
また、来るつもりか。
だが、今度は不意打ちではない。
一瞬ではあったが、確かにアローンの杖の神力を感じ取った。
それで十分だ。
「甘く見たな」
鞘ごと、フラガラッハを掲げる。
同時に、直撃する雷霆。
その食らった神力を、魔力食いで吸収し、神剣に注ぎ込む。
光を発するフラガラッハ。
柄を掴むと、一気に鞘から引き抜く。
その瞬間、フラガラッハを門として、ぼくの右手に膨大な神力が流れ込んでくる。
それは、センガンを倒して得た新たなる加護。
今こそ、ぼくの右手に、新しい紋章が刻み込まれる。
神剣解放。
フラガラッハの真なる力が、解き放たれる。
「なに!」
イフターバ・アティードの表情が歪む。
フラガラッハの神力を感じ取ったか。
だが、遅い。
フラガラッハを通じて神力が流れ込んだとき、すでに太陽神の翼の光がぼくを包み込んでいる。
アローンの杖を前に出すイフターバ・アティード。
都合がいい。
ぼくの狙いはただひとつ。
その忌々しい神の杖だ。
聖なる輝きを放ちながら、フラガラッハの斬撃が襲い掛かる。
神剣は不壊の神器に真横から吸い込まれるように入り、そしてバターでも切るかのように易々と両断した。
からん。
大地に、斬られた杖の下半分が落ちる。
愕然とするイフターバ・アティード。
絶好の好機ではあるが、しかし、ぼくももう限界であった。
痛みを誤魔化していたが、雷撃によって灼かれた肉体は悲鳴を上げ、顔を上げることしかできない。
だが、十分だ。
ぼくは、その役目を果たした。
「学長!」
「よくやったのう、アラナン。ぎりぎりではあるが、及第点じゃ」
大魔導師の体から、波濤のように神力が溢れ出してくる。
もう、ぼくらと虚空の接続を切っていたアローンの杖の妨害はない。
後は、ティアナン・オニールが、ヘルヴェティアの大魔導師が決着を付ける。




