第二十九章 アローンの杖 -4-
かつて、フェストで戦ったギデオン・コーヘンは人狼だった。
黄金級冒険者に匹敵する身体能力に、不死に近い再生能力。
勝ちはしたが、面倒な相手だった。
その経験上、目の前のシュヴェルツェンベルク伯が、相当厄介な相手であることは推測できる。
高い身体能力に高度な魔術、それに再生能力。
吸血鬼だとしたら、簡単に倒せる敵ではない。
ギデオン・コーヘン以上に面倒な予感がする。
「──いいのかよ、貴族が吸血鬼だなどと明かしてさ。ルウム教徒の騎士から、化け物みたいに見られているぜ」
「ふふ、この戦争後、彼らはそのことを覚えていますまい。これまでも、そうでしたから」
重い曲刀を、片手で軽々と持ち上げる。
吸血鬼の筋力を潤沢な魔力で強化しているのだろう。
当たれば、ぼくの障壁でもただでは済むまい。
「フェストのように一対一で戦ってもいいんですがね。これはいくさなので、個人の武勇などにわたしは拘らない」
ぱちんと、伯爵が左手の指を鳴らす。
すると、控えていた騎士の列から、二人の男が進み出てきた。
「今さら普通の騎士を出してきたって、数にも入らないよ、伯爵」
「普通かどうかは、やってみればわかりますよ、少年」
咆哮をあげて、右から騎士が突っ込んでくる。
身体強化を乗せた馬上槍の突進は確かに破壊力は凄いが、それだけだ。
神力が使えなくても、馬より速く動けるぼくには、さほど脅威ではない。
大地に体重を乗せ、突っ込んでくる馬の顔に正面から拳を突き出す。
魔力が右拳の周囲で螺旋を描き、衝突と同時に炸裂する。
門の破壊者。
弾かれるように馬が吹き飛び、騎士も宙を舞った。
地面に叩き付けられ、硬直する騎士。
そこに撃ち下ろしの追撃を仕掛ける。
魔力が甲冑を徹り、心臓を破壊。
やはり、それなりの騎士でしかない──。
そう思い、次の騎士に向かおうとした瞬間、何故か嫌な予感がした。
勘に従って顔を横に動かすと、頬を掠めるように槍の穂先が通りすぎる。
ぎょっとして振り返ると、確かに心臓を潰したはずの騎士が、起き上がろうとしていた。
まさか、こいつも吸血鬼か?
「ふふ……その二人はわが眷属。そう容易く殺せはしませんよ」
「再生能力か。確かに厄介だけれどさ」
人狼に円眼の巨人と、再生能力の持ち主との戦闘経験はすでにある。
あの頃は有効な手段を持っていなかったが、今は違う。
飛竜の域までは無理だが、ぼくでもできるやり方がある。
立ち上がった騎士に、左足を踏み込んで肉薄する。
左の掌を押し当て、後ろに伸ばした右手から魔力を増幅して飛ばす。
体内を駆け抜けた魔力が、左掌から騎士の丹田を貫いた。
覇王虎掌で魔力の源を破壊された騎士には、もう再生能力は発動しなかった。
センガンと同じように、魔力が血管をずたずたに破壊し、全身から血を噴き出して崩れ落ちていく。
額の鮮血を拭うと、後方からの突進を跳躍して避け、そのまま魔力糸で馬から叩き落とす。
こっちの騎士は上手く着地したが、その隙に距離は詰めた。
すでに剣の間合いではない。
離れようとするも逃がさず、踏み込んで覇王虎掌を叩き込む。
「──お見事。これほどあっさりと、眷属が倒されるとは予想外でした」
「ぼくが倒してきたのは、アセナ・ウルクパル、アルトゥン、アセナ・センガンなんだぜ。こんな普通の騎士では数にも入らないと言ったよな」
全身から血を爆散させて倒れる騎士を見ても、まだシュヴァルツェンベルク伯は余裕を失わない。
だが、伯爵がいかに吸血鬼であっても、武術の力量は黒騎士より下だ。
単に魔力が大きく、膂力が大きい程度ではぼくには通用しない。
重心を前に移し、攻撃の姿勢を見せたぼくに、伯爵は薄く嗤った。
「貴方は、すでにわたしの掌中ですよ、アラナン・ドゥリスコル。戦いとは、事前に準備をしておくものです──ポルスカでも、フランヒューゲルでもお教えしましたよね」
曲刀を握っていない左手を前に出すと、伯爵はそれを握り締めた。
「魔血縛鎖!」
伯爵の言葉と同時に、ぼくの体がいきなり動かなくなる。
魔力糸で拘束されたときに近い──なるほど、騎士たちの返り血を利用して、ぼくの動きを封じているのか。
拘束力はかなり高い。
吸血鬼の魔力のせいか?
「何か言いたそうですねえ、アラナン・ドゥリスコル。まあ、もう動けませんか。貴方のような武術の腕しか考えないような連中は、割りと簡単なんですよ。残念なのは、恐怖に顔を歪める姿も見られないことくらいですか。顔くらい動かせるようにするべきでしたかね」
曲刀を無造作に担ぐと、伯爵がゆっくりと近付いてきた。
一応、魔術の警戒はしているようだ。
魔力障壁は厚く張っている。
風刃や聖爆炎程度では傷も与えられないだろう。
「貴方はわたしを侮っていたでしょう。シュヴァルツェンベルク伯程度は、いつでも倒せると。でも、こうなってしまってはもう終わりです。ふふっ、フェストの優勝者を殺すことで、本当に強かったのは誰かを帝国中に宣伝してあげますよ」
楽しそうに話す伯爵。
曲刀を振り上げると、その刃に魔力が集中する。
動けないいま、あれを食らえば一撃で障壁ごと断ち割られる。
そんな豪剣だ。
「さよならです、アラナン・ドゥリスコル。その首、プトヴァイスの城門に飾ってあげますよ。皇帝に逆らった愚か者としてね!」
唸りを上げて曲刀が振り下ろされる。
必殺の一撃!
だが、動けないと見てか荒い。
隙だらけだ。
ぼくはほくそえむと、体を捻り、踏み込んで左手を伯爵の丹田に突き込んだ。
予想外の一撃に、伯爵は全く対応できない。
覇王虎掌は、完璧に徹った。
「な……ぜ……」
曲刀を取り落とし、伯爵がよろめく。
ぼくは一歩下がると、血の付いてない体を見せつけた。
「魔力喰いで魔力を吸収しただけさ。いつでも抜け出せた。フェストで見せたはずだけどね。そして、破魔陣で障壁を無効化した。伯爵、ぼくを侮りすぎじゃないかい? ぼくは拳士じゃない──魔術師さ」
「ああああああ! アラナン・ドゥリスコルうううう!」
全身から血を噴き出しながら、伯爵が掴みかかってくる。
ぼくは右足を踏み込むと、右手に魔力の螺旋をまとわせた。
「さらばだ、伯爵。ポルスカとフランヒューゲルの借りは、返したよ」
門の破壊者の一撃が、崩壊しつつある伯爵の肉体を砕け散らせた。




