第二十九章 アローンの杖 -1-
死地。
周囲は全て敵、そして虚空との接続も断たれた状況。
だが、それでもこれは望んで入ったものだ。
包囲はされていても、騎士たちはそう簡単に手は出せない。
ぼくたちの回りを囲むように、大魔導師が強風の渦を作り出している。
たまに抜けてくる騎士は、ストリンドベリ先生の斧に粉砕されていた。
無論、それに手をこまねいているエーストライヒ公陣営ではない。
アローンの杖を持つエーストライヒ公は、大魔導師に向けて何度も巨大な雷を落としている。
裁きの雷。
ぼくの使う雷は自然現象だが、これは違う。
聖典教団の神が、地上に落とす断罪の刃だ。
並みの術者なら、あまりの高温で炎上し、骨も残らない。
だが、今のところ大魔導師は直撃を食らっていない。
どうやっているかはわからないが、裁きの雷が落ちる寸前に別の空間に逃がしているようだ。
学長は前から空間魔法が得意だとは思っていたが、あれほどの術を見せられると素直に感嘆する。
しかも、幾つもの魔術や魔法を同時発動しているしな。
神力を封じられた状態でこれができるのは、ティアナン・オニールしかいないだろう。
大魔導師が杖持ちのエーストライヒ公と騎士たちを抑えている間に、飛竜が甲冑のエーストライヒ公と対峙していた。
アセナ・イリグのレベルまで至れば、武器などは必要としない。
特に構えもせず、無造作に歩く飛竜。
一方、エーストライヒ公が構えたのは、槍だ。
禍々しさと神聖さが同居する、おぞましい槍。
見るだけでも魂が抜かれそうになるな、あれは。
「あれは神殺しだよ。かつて、アセナ・イリグはあの槍に敗れた」
口から溢れる血を拭いながら、センガンが言った。
「アシュタルテーの最愛の御子たる我が祖父が、イフターバ・アティードに遅れを取ったことがあるのさ。アローンの杖と、神殺しの槍の前にね」
イフターバ・アティードとアセナ一族とは、深い因縁がある。
薄々、状況は察してはいた。
部の民を率いる王であったアセナ・イリグが、何故ヘルヴェティアで家族と別れて飛竜として生きているのか。
その謎の一端が、目の前にある。
「こうしてまたまみえようとはな、イリグ。神殺しに刺されて生き残ったのは、貴様が初めてだ。誇るがいい」
「笑止」
閃光のごとく繰り出された槍が、飛竜の右手の螺旋によって弾かれる。
「その槍を破るために、生きてきた。誇るのは、貴様に勝った後だ、運命を開く者、いや、エシュア・ルーベン」
弾かれた槍から、呪われた力が漏れる。
黒い波動が傍らにいた騎士に直撃し、吹き飛ばした。
地面に転がった騎士の甲冑は黒く腐食し、煙を上げている。
悲鳴を上げる騎士。
腐食はあっという間に広がり、甲冑だけでなく肉体も溶かしていく。
「呪われた力よの、エシュア・ルーベン。本来、貴様こそルウム教会に神の御子として祭り上げられるべき存在だった。だが、歴史の変革があり、貴様はエルではなくネボを選んだ。そして、その槍でエルの御子を殺した」
槍を払った飛竜の腕には、腐食の効果は出ていなかった。
魔力操作に関しても超人的なあの老人に、魔力による侵食など効かないのかもしれない。
「御子を殺されたエルの怒りによって、貴様は世界から存在を消されたのじゃ。だからこその無色の貌。貴様は誰にでもなれるが──しかし、誰にもなれぬ」
「老人が世迷い言を」
エーストライヒ公が神殺しを振り回す度に、黒い靄が立ち込めていく。
あの槍は、空気まで呪っているかのようだ。
「飛竜が気になるか、アラナン・ドゥリスコル。余所見とは余裕じゃないか」
センガンが、遠間から双竜爪牙を撃ってくる。
神力を封じられているのはセンガンも同じ。
従って、放出してきたのは自分の魔力であるが、それでもこの規模のエネルギー量があるのは流石だ。
でも、単純な力押しだけで勝てるほど、いまのぼくは甘くはない。
これを見せ球にして接近してくるくらいじゃないと──。
ウルクパルとアルトゥンに叱られるぜ、センガン。
大地を蹴って、センガンが接近してくる。
だが、まだ肋骨の痛みがあるのか、僅かにトップスピードに乗っていない。
こちらからも飛び出し、センガンの突きを掻い潜って足を払う。
上への防御は鉄壁なセンガンだが、足下の警戒は二割落ちる。
アセナの教えにはない動きだが、どのみちアセナの拳の技術だけで戦っては、センガンには勝てない。
「また邪道な技を……!」
「お上品なのは苦手でね!」
転がった衝撃で肋骨が痛むのか、センガンの顔が歪む。
その隙に上から馬乗りになって、拳を顔面に振り下ろした。
「舐めるな!」
障壁を有り余る魔力で強化したか、拳が空中で弾かれた。
ち、力の乗らないこの体勢では、何万発撃とうとセンガンにダメージを与えることはできないか。
「ハッ!」
センガンが、両肘を大地に振り下ろす。
同時に、ぼくの乗っていた腹が大きく跳ね上げられた。
込められた魔力の大きさに、思わず腰を浮かせる。
瞬間。
拘束の緩んだセンガンが、半回転して抜け出した。
逃がすかと追撃しようとしたぼくの頭上に、いきなり強大な神力が発生する。
まずい、裁きの雷か。
大魔導師に通じないからと、狙いをぼくに切り替えやがった。
太陽神の翼が使えないいま、逃れるすべがない。
せめて神力を食ってやるかと身構えたとき、地上に向けて走った稲妻が途中で消える。
ふう、学長か。
ぼくの方まで、見てくれているようだな。
だが、その間にセンガンが体勢を立て直していた。
さっきまでの頭に血が昇った様子がない。
構えた両掌からは、隙が微塵も感じられない。
どうやら、本気になったようだ。
「体が温まらないと調子が出てこないのがボクの欠点だよね」
ゆっくりと右手を上に、左手を下にと動かした後──。
一気に左右の手を入れ換えつつ右足を強く踏み込む。
大地に魔力が走り、衝撃がぼくまで伝わってきた。
今ので身体強化をかけ直したか。
センガンの体から、魔力が炎のように噴き上がっている。
魔力隠蔽してもこれって。
魔力の泉を手に入れたときのぼくと同じだな。
あまりの魔力に、センガンの体も熱を持っている。
地面から何かが焦げるような音と臭いが届く。
間違いなく一撃食らえば骨を持っていかれるが──。
それではぼくには勝てないな、センガン!




