第二十八章 激戦の彼方に -9-
南の城壁前の敵の布陣は、前段にマジャガリーのニトラ公、中段にカランタニア公、そして後段にエーストライヒ公と言う分厚いものだ。
ハンスとともに来た五十騎は選りすぐりの帝国騎士ばかりであり、黒騎士が手塩に掛けた彼らは明らかな精鋭であったが、それでもニトラ公の前段を突破できれば御の字であろう。
マジャガリー北部の部族の連合体であるニトラ公の部隊は、数こそ多いものの装備もまちまちで、重装備の兵は少なかった。
思い思いの武器を構え、隊列もろくに組めていないマジャガリー兵を恐れる必要はない。
だが、大魔導師のように、平然とそれに向かって歩いていけるかと言うとちょっと言葉に詰まる。
大体、大魔導師とか、飛竜とか、クリングヴァル先生とか、恐怖と言う言葉を何処かに忘れてきたんじゃないかって思うくらいの人たちだ。
一緒にされても困るよ。
「エスカモトゥール先生は、怖くないんですか? 前の三人に付いていったら、命が幾つあっても足りませんよ?」
「ふふっ、いいかい、アラナン」
クリングヴァル先生の後ろを歩くエスカモトゥール先生を捕まえて尋ねると、愚問だと言う顔をされる。
「あたしが敵なら、前を行く三人からは全力で逃げるさ。一万の兵より、あたしはあの三人のが怖いさね」
なるほど、もっともだ。
反論する言葉を失うぼくに、エスカモトゥール先生は更に笑った。
そして、無秩序に前方に展開するニトラ公の歩兵を指差す。
「ほら、大魔導師が仕掛けるよ。ご覧、アラナン。勉強になるさね」
こちらに向かって動き出そうとする一団に、大魔導師が杖を掲げる。
魔力のうねりを感じた瞬間、向かおうとしてきた兵士たちが糸の切れた人形のように一斉に崩れ落ちた。
「あれは──麻痺させたんですか?」
「麻痺をあれだけ同時に掛けられる人は、そうはいないよ。アラナンは自然現象を操るのは得意でも、こういう芸当は苦手さね。よく見ておくがいいさ」
大規模に自然現象を操っていると、細かく人を狙うことは難しい。
だから多くの稲妻を走らせていたりしても、それほど命中精度はよくない。
それに比べると、大魔導師の魔法の精度は鮮やかなものであった。
この大魔導師の魔法で、ぼくたちが攻撃の意志を持っていると判断したようだ。
たった六人で城外に出てきたぼくたちに戸惑っていたニトラ公の兵たちが、積極的に動き始める。
前方から、左から、右から、三百人くらいの部族集団がそれぞれまとまりとなって殺到してくる。
剣と盾を構えて突進してくる兵士たちを見て、大魔導師の隣のもう一人の老人が進み出た。
飛竜アセナ・イリグ。
魔力の操作において、この人は大魔導師に優るとも劣らない力量の持ち主だ。
駆け込んでくる兵を睨め付けると、飛竜は右足で大地を大きく踏み込んだ。
どしんという音とともに、前方から駆け込んでくる敵兵が吹き飛ばされるように宙に舞う。
百人ほどが一度に吹き上げられ、そして激しく落下して地面に叩き付けられる。
呻き声をあげる彼らの横を、飛竜は悠然と通り過ぎた。
一体、何をしたんだろう。
「大地の魔力の流れを掌握して、地上の兵に向けて突き上げたのさね。魔術の領域に近いけれど、これもいまのアラナンにはまだ難しい技術だねえ」
単眼の巨人討伐のときにも思ったが、飛竜はアセナの拳を使わなくとも十分化け物だ。
魔力操作の技術を突き詰めただけで、此処までできるようになるものだろうか?
飛竜に掛かっては、魔術師も形無しである。
散歩でもするかのようにニトラ公の陣を通り抜けたぼくたちの前に、重装歩兵の横隊が立ち塞がる。
カラント人は古くから文明圏に近かっただけあって、グレイス人やラティルス人の軍事思想の影響が強いようだ。
整然と並ぶ槍の穂先を見て、なかなか突破は難儀だなと嘆息したとき、クリングヴァル先生が負けじと進み出た。
「爺さんたちに出番を取られっぱなしってのは性に合わなくてなあ、アラナン」
にこにこしながら武闘派の科白を吐くクリングヴァル先生に、心の中でぼくを巻き込むなと思いっきり否定をしておく。
だが、そんなぼくの内心など無頓着に、上機嫌のままクリングヴァル先生は重装歩兵の戦列に向けて両の掌を向けた。
「センガンの双竜爪牙あるだろ。あれをおれさまがやれば──こうなる!」
竜の顎のように開いた両掌に、膨大な神気が集束する。
その神力が先生の掌から放たれた瞬間、業火となって前方に放出された。
ドラゴンブレス──威力はぼくの紅焔と同じくらいか。
炎に包まれたカラント人の重装歩兵は阿鼻叫喚の叫びをあげながら転げ回っている。
いや、それは温度の低い炎の周辺部にいた兵だけだ。
中心部にいた連中は、鎧ごと溶かされて瞬時に絶命している。
そんな異様な熱気のこもる焼け跡を、平然とクリングヴァル先生は進んでいく。
大魔導師と飛竜も意にも介していないようだが、常人はこの高温地帯に足を踏み入れるのは無理だ。
仕方ない。
エスカモトゥール先生の周囲の空気の熱を奪い、体感気温を調整してあげる。
これで凌ぎやすくなるだろう。
え、ストリンドベリ先生?
男は自分で何とかしろよ。
これも修行だ、修行。
「──あれは、アラナンでもできるわね」
エスカモトゥール先生が、クリングヴァル先生とぼくを見て頭を抱えた。
脳筋を見るかのような視線で、ぼくと先生を同一視しないでくれませんかね?
全く、失礼な話だ。
さて、クリングヴァル先生の強引な突破で、目の前はもうエーストライヒ公の本隊である。
これだけ堂々と突破してくれば、向こうも待ち構えているわけで。
二百挺近い銃口が、左右からぼくらに向けられていた。
ポルスカ軍団には及ばないものの、これだけの火器を揃えているのは、流石エーストライヒ公だ。
だが、大魔導師は一向に慌てない。
この程度では、自分たちを傷つけられないとでも言うかのように。
高々と杖を掲げる学長。
そこに向かって、轟音とともに一斉に弾丸が発射される。
一瞬ひやりとしたが、弾はこちらまで届かなかった。
大魔導師は、ぼくらの周囲の空間をねじ曲げて飛んできた銃弾をそのまま射手に返したのだ。
自らの銃弾を浴びて倒れる銃兵たち。
それを見た後ろの騎士たちに、動揺が走る。
エーストライヒ公は、一喝して騎士たちに退くように命じた。
左右に騎士たちが割れる。
正面に、イシュバラとセンガンを従えたエーストライヒ公。
それが、二人いた。




