第二十八章 激戦の彼方に -5-
「フェストでは、そんな紋様はなかったはずです。その異様に増えた魔力がアルトゥンを倒した結果だとしたら、その紋様は、まさか──」
シュヴァルツェンベルク伯が、ぼくの右手の紋様を凝視する。
そう簡単に加護が増えないことは、伯爵もよくわかっているだろう。
短期間でふたつも加護を増やすなど、常識ではありえない。
それを可能にするとしたら、加護を持つ者を倒して神力を奪い取るしかないのだ。
「消息を絶ったのは、一人じゃないだろう、伯爵。お陰で忙しい日々だったけれどね!」
右手を突き出し、紅焔が渦を巻く。
超高温の炎の放出に、伯爵は一歩も動けない。
麾下の兵もろとも火炎の渦が伯爵を飲み込み、一瞬で焼き尽くした。
どろどろに溶けた甲冑だけが、後に残る。
──いや、シュヴァルツェンベルク伯の分がない。
あの一瞬で、転移して逃れたか?
思ったより、転移の発動速度が早い。
フェストで見たときも、瞬間的に発動していただろうか?
やはり、伯爵は侮れない実力を持っている。
ぼくの戦力を過小評価していたからこそ前線に出てきたのだろうが、もうこんな大胆なことはしそうもないなあ。
此処で彼を討てなかったのは失敗だったか?
だが、城門の突破は防げたし、よしとするしかないか。
「グスタフ卿、城門を再度閉めておいて下さい。ぼくは、周囲の状況を確認します」
「わ、わかった。──シュヴァルツェンベルク伯を討ち取ったのか?」
「いえ、恐らく彼だけは転移で逃げたかと。もうそう簡単に前線に出てこないでしょう。城門を閉めて、城壁の守りに戻って下さい」
グスタフ卿、従士が二人、衛兵が十人。
これでも、よく生き残った方か。
あちこち傷だらけになっていたが、グスタフ卿はもう怯えてはいなかった。
危地にあって、逆に肝が太くなるとは意外と戦士に向いているのかもしれない。
上空に上がって周囲の状況を観察する。
西門は、シュヴァルツェンベルク伯の退却を知ってか、帝国騎士たちも退いた。
ハンスと味方の騎士たちが駆け回りながら警戒しているが、伯爵は再編成で時間を取られているようだ。
一時的にであるが、西は猶予ができたかもしれない。
だが、東は情勢が逼迫していた。
すでに城壁に多数の兵が取り付いており、ストリンドベリ先生が孤軍奮闘でそれを撃退している。
テオドール卿の姿は、見えなかった。
やられたのか。
衛兵が数人まだ生きていたが、城壁の上には敵の方が多い。
突破されるのも、時間の問題だ。
ちらりと南を見ると、劣勢ながらもまだ耐えてはいるようだった。
アンヴァルの存在が大きいのだろう。
かろうじて、均衡は保たれている。
優先するべきは、西。
それも、一刻の猶予もない。
「ストリンドベリ先生!」
城壁の上にいる敵兵に風刃をばら撒きながら、先生の巨躯の隣に降り立つ。
刹那、刃風を上げて斧が振り下ろされ──。
ぼくの目の前で止まった。
「アラナンか、すまん。もう周囲に敵しかいないと思っていた」
「頭をかち割られるのは御免ですよ。城壁の上の敵は一掃しました。でも、ちょっと苦しい状況ですね。増援がないと、東は突破されかねない」
「増援と言っても、ない袖は振れんぞ?」
「危険ですが、北の城壁のギュンター卿を呼び戻しましょう。それと、ハンスが来ています。こっちに回ってもらいましょう」
「ハンス? ザッセン辺境伯が来たのか?」
「いえ、ハンスはいま黒騎士と一緒ですよ。先行して、百騎だけ率いてきたようです」
「百騎も来たか」
数千規模の敵軍に比べれば、百騎程度の援軍など焼け石に水である。
だが、もはや二、三十人程度まで減ったであろう味方にとっては、百騎の騎士の援軍は有り難かった。
衛兵と違い、騎士なら程度はともかく身体強化くらいは使えるはずだ。
城壁に登ろうとする敵兵を無数の風刃で切り裂き、一時的に敵の攻勢を退けると、西に戻って遊弋するハンスのもとに舞い降りる。
ハンスの剣には強化された炎が宿っており、全身を輝くような魔力が覆っていた。
一見して、かなり鍛え上げられたのが見てとれる。
ストリンドベリ先生とも、五角に戦えるのではなかろうか?
「助かったよ、ハンス。いいところで来てくれた。狙っていたのか?」
「まさか。必死で駆け通してたまたまさ。途中、マジャガリーの騎馬隊とも遭遇するし、大変だったよ。何とか振り切ったが」
「マジャガリーの騎馬隊が嫌な位置にいるんだよな。一応、ノートゥーン伯が牽制に動いてはいるが」
ファリニシュとは念話で何度か話している。
いっそこっちに呼ぼうかとも思ったからだ。
だが、南に急行するボーメン王国軍を狙って、マジャガリーの騎馬隊が動いている。
行軍隊列のまま横擊されては、ボーメン王国軍に甚大な被害が生じるだろう。
それを阻止するには、どうしてもノートゥーン伯にファリニシュの助力がいる。
残念だが、こっちはこっちで何とかするしかない。
「それで、ハンス、できれば東のポルスカ王国軍の牽制に回ってくれ。指揮していたテオドール卿もやられ、ストリンドベリ先生が孤軍奮闘しているがもう持たない。支援してやってほしい」
「構わないが、西は平気なのか?」
「平気じゃないが、今は東が先だ。行ってくれ、ハンス。それと、連中、雷鳴の傭兵団を連れてきている。銃撃には、気を付けろよ」
「騎士殺しがいるのか。厄介だな。だが、銃撃の数射で障壁を割られるやつは、此処にはいないぞ。任せてくれよ」
面頬を上げると、ハンスは爽やかに笑った。
笑顔が眩しいやつだ。
ハーフェズがいなければ、初等科生時代は彼が女生徒の一番人気だっただろう。
残念ながら、あの天才のせいで黄色い声援は全部持っていかれてしまった。
でも、騎士を率いて突撃するハンスは男が見ても格好いい。
悪いが、貴族の雰囲気の強いノートゥーン伯や、南方大陸の戦士であるティナリウェン先輩とは、醸し出す空気が違うのだ。
面頬を下げ、右手を振るとハンスは騎士を率いて北に駆け去った。
敵のいない北側から東へ回り込むのだろう。
ぼくも、もう一度上空へと上がる。
南は激戦が続いている。
でも、アンヴァルがそろそろ限界だな。
神力の底が見えてきて、火勢が衰えている。
足止めされていたマジャガリー軍団が、それを見て攻勢を強めてくるのは必至だ。
そうなると、南もきついことになりそうだ。
聖典教団の蜂起は落ち着いたみたいだから、城内警備の兵を南に向けるべきか?
しかし、この人数だから仕方ないが、本陣も伝令もないのが問題だ。
クルト卿自身も絶え間ない戦闘状態で、周囲の戦況に気を配るどころではない。
よくこれで戦線が維持できているよ。
ほとんど綱渡りに等しい。
お、東でハンスがポルスカ軍団に急襲を仕掛けたな。
後方に控えていた雷鳴の傭兵団が一斉に射撃を開始するが、流石に手練れの重装騎士が揃っているだけあって、障壁が厚い。
一射撃では脱落する者はいなかった。
よし、これで東の攻勢が鈍る。
突撃するハンスの騎馬隊を見ながらそう考えていたときだった。
南から、大きな歓呼の声が上がる。
同時に掲げられる、王冠を戴く真紅の獅子の紋章の旗。
来るとは思っていたが、味方の衝撃は大きい。
ついに──。
エーストライヒ公が着陣したのだ。




