第二十八章 激戦の彼方に -3-
翌朝、敵陣の配置は、マジャガリーのニトラ公の部隊が前面に出てきていた。
クルト卿の言った通り、カランタニア公の部隊は後ろに下がっている。
だが、ポルスカのマゾフシェ公は退いておらず、ゴプラン部族の兵を東の城壁の前に繰り出している。
そして、シュヴァルツェンベルク伯の陣にも何か慌ただしい動きがあるようだ。
「んじゃ、行ってくるぜ」
軽く散歩に行くかのような口調で、ふらりとクリングヴァル先生がニトラ公の軍の前に向かっていく。
昨日散々先生の武勇を見せつけられていたニトラ公の兵は、おののくように戦列の中央を開けた。
凄いな。
先生のあの域にはまだぼくは達していないや。
割れたニトラ公の兵の中から、当然のようにイシュバラが現れる。
この二人はお互いが出てくるのを予想しているのだろうが、巻き込まれる兵のことまでは考えていないな。
いや、クリングヴァル先生は、味方を巻き込まないように敢えて敵陣に突っ込んでいるのだが、イシュバラは味方の死に関心はないようだ。
開戦の狼煙のように始まった二人の戦いは、一瞬にしてヒートアップしていた。
積極的に攻勢に出るクリングヴァル先生。
対応して気勢を上げるイシュバラ。
昨日隠していた手の内を、今日は解放していこうとしているのか。
昨日は素手で戦っていた先生の手に、今日は槍が握られている。
雷光の煌めきが見えるが、イシュバラもその穂先を手甲で弾いているようだ。
一方、二人の激突を避けるように動いていたニトラ公の兵が、じりじりと前進してくる。
まとまらず、分散しながらの進撃は、ぼくやアンヴァルの攻撃を警戒しているのであろう。
実際、これをやられるとアンヴァルの紅焔での迎撃では、どうしても漏れる兵が出てくる。
その分、城壁のクルト卿たちの負担が増えるわけだ。
む、東の城壁はすでにゴプラン部族の兵が取り付き始めているな。
テオドール卿も真面目に迎撃しているようだが、数が違う。
あっという間に、城壁に兵が昇ってくる。
それを待ち受けているのが、ストリンドベリ先生だ。
今日は、重い戦斧を二挺、軽々と振り回しながら竜巻のように敵兵を屠っている。
並の兵では、あの颶風を止めることはできまい。
今日は、できれば南と東は二人に任せたい。
そう感じたのは、シュヴァルツェンベルク伯の陣から霧が出始めてきたからだ。
あの赤い霧は、見覚えがある。
フェストでシュヴァルツェンベルク伯が使っていた。
鮮血の霧。
魔力を食う霧だ。
アルトゥンの生死球に魔力を吸われたときを思い出し、ぶるっと震える。
大地に落下し、死にかけた。
あんな経験は、何度もしたいとは思わない。
フェストでシュヴァルツェンベルク伯と対決したルイーゼさんは、暴風であの霧と対峙していた。
中途半端な風では魔力を吸われて霧散してしまうが、圧倒的な暴風なら、あの霧を吹き飛ばせる。
そして、魔力の泉の加護を得たいまのぼくなら、その程度の嵐を生み出すことくらい難しいことではなかった。
霧の周辺の空気を上空に向けてやれば、穴を埋めるように風が流れ込んでいく。
熱を加えることで、霧も晴れて一石二鳥だ。
シュヴァルツェンベルク伯は、帝国では有数の魔法の使い手であろうが、魔術が使えるぼくの相手にはならない。
鮮血の霧が吹き散らされるのに、十数分もあれば十分だろう。
さて、霧に紛れて前進を始めていた若手の帝国騎士たちが、ぼくの暴風で立ち往生しているな。
さっきの上昇気流で雲もできているし、雨を降らせるのも簡単だ。
さらに、おまけで稲妻もプレゼントしてあげよう。
目まぐるしく変わる気象状況に、さしも勇猛な騎士の軍馬も怯えを見せ、前進を止めて右往左往している。
シュヴァルツェンベルク伯がこの状況を変えようと思えば、ぼくにセンガンをぶつけてくるしかないだろう。
だが、昨日の様子では、怪我を理由に引っ込む可能性もある。
ん、稲妻を突破して、一騎果敢に前進してくる騎士がいるな。
あの初老の騎士には、見覚えがある。
ブライスガウ伯ルドルフ・フォン・ツェーリンゲン。
あのユルゲン・コンラートの頭の固い父親じゃないか。
ベールでは、えらく世話になったものだ。
「アラナン・ドゥリスコルウウウ!」
泡を吹きながら叫ぶブライスガウ伯。
何か、執着を感じるな。
ユルゲン・コンラートにぼくが勝ったから?
それとも、行軍の途中でブライスガウ伯の部隊をぼくが散々痛め付けたのがばれたのかな?
槍を構えて疾駆してくる。
意外と、身体強化もしっかりしているし、軍馬も武装も質がいい。
考えてみれば、エーストライヒ公が先陣を任せようとしていたんだ。
それなりに武勇があっても当然だな。
ブライスガウ伯に続いて、十数騎の騎士たちが駆けてきた。
ブライスガウ伯の麾下の騎士だろう。
主君を護ろうとする気迫は見事だが──。
残念ながら、そこは紅焔の範囲内だ。
右手の紋様が輝き、紅蓮の渦が逆巻く。
放たれた業火の奔流は、一瞬で騎士たちを飲み込む。
彼らが燃やし尽くされるのに、長い時間はいらなかった。
ちょっと優秀なくらいの騎士の障壁じゃ、紅焔の高熱は防げない。
武術の腕があろうと無意味だ。
突出したブライスガウ伯の騎士団が壊滅し、帝国騎士たちの進軍速度も鈍った。
誰だって、僅かな時間で骨も残らず燃やされたくはないものだ。
だが、無謀な若い騎士の中には、この機会に手柄を立ててやろうと狙っているやつもいるようだ。
真新しい甲冑に身を包み、遮二無二馬を駆り立てている。
神槍を放って、そんな騎士の盾ごと甲冑を貫く。
そのまま槍を遊弋させ、落雷を乗り越えてくる騎士を屠り続ける。
忽ち、十数騎が馬上から転がり落ちた。
流石に被害の大きさにたまりかねたか、帝国騎士たちも後退を始めていた。
それに替わって、十数人の魔法師が前線に出てくる。
暴風と豪雨と落雷に辟易したか、雲を吹き飛ばそうとしているようだ。
だが、その程度の風に押し負けるほどやわではない。
常人の体内魔力を幾ら振り絞ろうと、この規模の魔術の前では蟷螂の斧だ。
稲妻を走らせると、一、二発は耐えていたが、すぐに障壁も砕け散った。
虎の子の魔法師部隊かもしれないけれどさ。
正直、アルトゥン一人の方がよほど怖かったよ。
そんな風に魔法師部隊に気を取られていたのもあってか。
はたまた、雷鳴と風雨の音で聞き逃したか。
背後の城壁から、怒声のようなものが切れ切れに届いてくるのに、気付くのが遅れた。
振り返って見てみると、城壁の上の衛兵たちが右往左往し、グスタフ卿が叫んでいるようだ。
その理由も、すぐにわかる。
西の城門が、軋む音とともに開き始めていたのだ。
ゆっくりと、内側から。
それを認めたとき、ぼくはシュヴァルツェンベルク伯の策略に引っ掛かったことを悟った。
あからさまな騎兵突撃も、魔法師部隊も、ぼくの目を惹き付ける囮に過ぎなかったのだ。




