第二十八章 激戦の彼方に -1-
ためらわずに、フラガラッハを抜く。
魔力を打ち消すなら、物理で破壊するしかない。
神剣の斬れ味は、ぼくの持っている武器の中でも最上級だ。
飛竜の鱗すら紙のように斬り裂く。
幸い、巨像の動きは鈍いし、武器のようなものも持っていない。
もっとも、あの質量に殴られたり、踏まれたりしたらそれだけでも致命傷だ。
とは言え、これだけ遅い動きなら、目をつむっていてもぼくには当たらない。
空中を駆け、後ろから首を斬ろうと試みる。
だが、思った以上に抵抗が強い。
フラガラッハの刃は僅かな傷を付けただけで、斬り飛ばすことはできなかった。
神力も消されはしないものの、大分減殺されていることは間違いなさそうだ。
これでは、紅焔を撃っても同じことだろう。
シュヴァルツェンベルク伯の軍に動きはない。
ぼくの抵抗を無意味だと嘲笑っているのか。
それとも、この巨像に絶対の信頼を置いているのか。
巨像の接近に、西の城壁の衛兵は、混乱状態に陥っていた。
西の城壁の指揮官は、クルト卿とともに来た騎士の一人、グスタフ・フォン・ヴァルトシュタインだ。
まだ若い騎士で、戦いの経験もなさそうだったが──。
予想通り、恐慌に陥る衛兵を鎮めることができないでいる。
東の城壁のギュンター卿のような、不思議な安心感がないのだろう。
こればっかりは、若さで代用できるものではない。
衛兵を統率できず、おろおろしているグスタフ卿に任せてはおけない。
何とか巨像を止めるしかないのだが。
フラガラッハを幾度斬り付けても、像の表面が少し削れるだけだ。
神の眼で巨像を確認する。
大体、全く魔力を受け付けないなら、召喚だってできるはずがない。
何処かに魔力を通す場所があるはずだ。
慎重に探していくが、見当たらない。
頭、首、背中、腕、手、胸、腹、腿、脛……。
上から順番に見ていくが、どの部位も奇妙に神の眼の通りが悪く、同じ金属でできているようだ。
そろそろ時間もない。
焦りも出る。
呪詛を呟きながら、もう一度見ていくかと飛び上がろうとしたとき。
不意に、円眼の巨人との戦いを思い出した。
あのときは、確か異常な再生の原因を突き止めようと躍起になっていたんだっけ。
あれは、確か大地を通じて魔力を吸い上げていた──。
足の裏か!
巨像が足を前に出す瞬間を狙って、地面を励起させる。
予想通り、バランスを崩した巨像が、地響きとともに仰向けにひっくり返った。
もがいて立ち上がろうとするが、その前に足の裏の前へと降り立つ。
うん、足の裏だけは普通の金属だ。
紅焔を浴びせると、巨像の足が内側から溶け出した。
どういう原理かわからないが、外からは幾ら削っても魔力を通さない効果は失われなかったのに、中からだと魔力を通してしまうようだ。
右足の足首から下を溶かされた巨像は、起き上がろうとしてはバランスを崩し、また倒れていた。
放置してもいいが、変に城壁に向かって倒れられても困る。
両足ともどろどろに溶かして、身動きだけ取れなくさせるか。
だが、あまり巨像に時間も掛けていられない。
雷霆を落とさないと、また南と東の城壁が危うくなるだろう。
どう考えても、手が足りないのだ。
せめて、ファリニシュがいれば。
いざとなれば、彼女を呼ぶしか手はない。
シュヴァルツェンベルク伯の陣は、巨像が倒れても静まり返っていた。
この程度の攻撃は、小手調べと言うことか?
下手に前進されると面倒なので、正直有難い。
(アンヴァル、南はどうだ?)
(また押し寄せてきているですよ! しつこい野郎は嫌いなんですがね! え、部隊長からやれって? おっさん、人使いが荒いでいやがりますよ!)
南に再び兵が来ているなら、東もそうだろう。
とりあえず巨像の足を半分くらい溶かすと、残りは諦めて飛び上がる。
南にはアンヴァルがいるからいいが、東は手薄だ。
やはり、東もマゾフシェ公の兵が取り付き始めていた。
あちこちで衛兵がやられていたが、まだ城壁は保っている。
ギュンター卿も奮戦していたが、ストリンドベリ先生が来てくれたのが大きいようだ。
エスカモトゥール先生に、叱咤でもされたのだろうか。
長大な戦斧を身体強化全開で振り回すストリンドベリ先生は、正直言って味方ながら怖いくらいに迫力がある。
お陰で東の城壁の上がまだ崩れていないのだが、それでも限界は近い。
ギュンター卿の従士もすでに倒れているし、衛兵ももう五人くらいしか残っていない。
城壁の上の兵を一掃するために、また風刃を大量にばら撒く。
さらに、城壁に近付く兵の前に、稲妻の柱を何本も立てた。
「アラナン、遅くなって悪かった」
隣に降りたぼくに向かって、ストリンドベリ先生が頭を下げる。
「エスカモトゥール先生に怒られたでしょう」
どうせ、聖典教団の数が多いんで、エスカモトゥール先生を見捨てて動けなかったとか、そういう理由だろう。
だが、当のエスカモトゥール先生は、ぼくを放置して持ち場に向かわないストリンドベリ先生に憤っていたに違いない。
「情けないことに、その通りだ、アラナン。すまん、生徒に全部押し付けてしまって」
「お陰で大忙しですよ。幸い、センガンはさっき退きました。でも、南も危ない。ぼくはあっちを見てきますよ」
そこに、ギュンター卿と生き残った三人の衛兵もやって来た。
みな疲れきった顔をしているな。
足取りも重く、そろそろまともに動けなくなりそうだ。
「北の城壁のテオドール卿に、持ち場を交替するように伝えてくれんかのう。悪いが、わしらはもう動けん。次が来たら、おしまいじゃ」
北の城壁には、まだ敵は来ていない。
確かにテオドール・フォン・ライヘンバッハ卿なら、まだ戦えるだろう。
だが、その指示はぼくが出すわけにはいかない。
「クルト卿に指示を出してもらいます」
「頼むわい」
ギュンター卿の甲冑にも、あちこちにへこみがある。
無傷で生き残れたわけではないだろう。
騎士である以上、身体強化くらいは使えるのであろうが、それでも圧倒的な力量を持つ者は稀だ。
次に敵が押し寄せれば、ギュンター卿はとても生き残れまい。
「いない間は任せましたよ、先生」
「おう。任せとけ」
ストリンドベリ先生の兜と鎖帷子は、魔法銀製の特注だ。
分厚い障壁とあの装備があれば、先生がやられる心配はしなくてもいいだろう。
とは言え、もういい加減みんな食事もろくにせずに戦いっぱなしだ。
緊張感が切れたら、一気に体が動かなくなりかねない。
空を駆けて南の城壁へと向かう。
アンヴァルが必死に紅焔で梯子ごと兵を焼き払っているが、手が足りない。
こちらでも、クルト卿以下生存者が一桁になっているようだ。
正直、支えきれる気がしない。
「クルト卿、東の城壁の生存者はギュンター卿以下三名。もはや支えきれないので、北のテオドール卿との持ち場の交替を希望するそうです」
「わかった。テオドール卿にそう伝えてくれ!」
クルト卿の決断は早い。
本陣も伝令もないこの状況で、情報を持ってくるのはぼくだけだろう。
それだけに、ぐずぐず悩みはしない。
その暇もない。
折角来たので、雷霆を何度か落として敵の前進の足を止めておく。
稼いだ僅かな時間を使って、北のテオドール卿の許に向かう。
せめて、日が沈まないか。
夜になれば、連中も引き上げてくれるかもしれない。
もう、希望はそれくらいしかなかった。




