第一章 黒猫を連れた少女 -3-
「蔦の手」
棒を手に取ると、魔力を巡らせて呪文を唱える。
楢の木はエアルの聖なる木だ。
祭司は杖にして持つが、ぼくは使い勝手をよくするために棒状に作ってある。
楢の木の棒が魔力の光を発すると、地面から蔓が伸びて馬の足に絡み付いた。
急に足を取られた馬は当然のように転倒し、外套を着た隊長が大地に投げ出された。
「風刃」
再度呪文を唱えると、風が巻き起こり、刃となって倒れた馬の手綱を断ち切った。
ま、これで追って来ることもできないだろう。
隊長の悪態が聞こえるが、無視だ、無視。
「さあ、先に進もう」
楢の木の棒を仕舞うと、振り向いてマルグリットに呼び掛けた。
がたがたと激しく揺れる馬車の中、マルグリットは微妙な表情でぼくを見つめ返してきた。
何だ?
何か言いたいんだろうか。
「貴方、自然を操れるの?」
正確には、ぼくが操っているのではなく精霊に力を借りているのだけれど、まあ、結果的には似たようなものか。
きょとんとしながら頷くと、マルグリットは大きくため息を吐いた。
「とんでもないわね。自然を操る魔法は最高難易度だと言うのに、一言の呪文で容易く行使するなんて。流石アルビオンの代表と言うべきなのかしら」
「そうなの? エアルの祭司なら、みんなこれくらい簡単にこなすけれど」
言ってから失言に気付いた。
そう言えば、ぼくは聖公会教徒の振りをしていたんだ。
マルグリットが生暖かい視線でぼくを見る。
「楢の木教徒なら、そう言えばいいじゃない」
「いや、ルウム教徒はすぐ邪教だ何だと言うからさ」
アルマニャック王国も、昔はぼくたちエアル人と同族の国だった。
だから、田舎には楢の木教徒の習俗が残っているはずだ。
まあ、大半はルウム人の侵攻と支配の時代にルウム教徒になっているだろう。
ルウム人が去ってサリ人が支配するようになってからも、根付いたルウム教は廃れなかった。
アルビオン王国も、同様の経緯を辿っている。
ルウム人の支配の時代に楢の木教徒は邪教と呼ばれ、エアル島に押し込められた。
アングル人がルウム人を追い払った後もルウム教は栄えたが、ルウムの教権を認めず、アングル人の聖公会を作った。
だが、結局楢の木教徒を圧迫する姿勢は変わっていない。
だから、ぼくたちはできるだけひっそりと生きていこうと思っている。
もっとも、祭司たちはぼくを魔法学院で力を付けさせ、聖公会に対抗させようと言う思惑があるみたいだが、そう簡単にいくものか。
「そんなのバジリア司教みたいな連中だけよ」
マルグリットから非常に心温まる発言を戴く。
そんなにすぐ側にいるんじゃ、全然気が休まらない。
とりあえず、追撃は断ったので馬車の速度は落とさせた。
暫く走ったところでバジリア司教領を抜け、ヘルヴェティア自由都市連合に入る。
此処らへんは、アールガウ自治領かな。
流石に日が暮れて来ているが、今日の宿をどうするべきか。
街道を進んでも、次に近い都市はレナス川を北に越えて帝国に再入国しなければならない。
アールガウ自治領の自由都市に向かうなら、自由都市アアルか、自由都市バーデが近い。
アアルのが若干近いが、それでもどちらもまだ四、五時間はかかるだろう。
夜間そんなに走るのは危険すぎる。
かと言って、そこらの村に泊めてもらうわけにもいかない。
大抵の村は排他的で、余所者を好まない。
宿もないし、下手をしたら斧を持って追い掛けられる。
いや、本当に追い掛けられたことあるから、真面目な話。
サリ人の村人とか、言葉より早く斧を出すからね。
「正直、何処に宿を取ろうか。バジリアに泊まるつもりだったから、計画が狂っちゃったよね」
「バードゼックってわけにもいかないわね。帝国の認証機にはわたしたちの情報はもう入っているでしょうし、レナス川を帝国側に越えるのは危険だわ」
「順路で言うならバーデだけれど、深夜になるから城門閉まってると思うよ」
「じゃあ仕方ないわね。村が見えたら、その近くで止めて休みましょう」
村には立ち入らないで野宿ってことっすね。
まあ、ぼくはよくエアル島で森の中で野宿していたけれど、伯爵令嬢様は大丈夫なのかな。
え、マルグリットは馬車の中で寝るから、お前は外だ?
まあ、そんなところだろうな。
星がよく見えるくらいに真っ暗になった頃、遠くから狼の吠える音が聞こえて来た。
ぴくりと黒猫のシピが耳を動かす。
いつの間にかマルグリットの膝の上にいるね、この子。
「狼が三頭近付いて来るわ。馬を狙っているみたい」
確かに、狼の気配がする。
昼間ならともかく、夜に狼に襲われるのは厄介だ。
星明りでは、とても狼相手に戦闘行為なんてできない。
「馬車を止めて狼を迎撃するわよ」
お、おい、大胆だな。
確かに君は馬車が走りながらでは戦えないだろうけれど、中にいた方が安全じゃないのか?
御者がマルグリットの指示に従って馬車を止める。
御者も剣を抜いて戦う姿勢を見せている。マルグリットの細身の剣より無骨だが実用性がありそうな剣だ。
確かジャンって言ったと思ったが、よく見ると震えてもいないし、構え方も堂に入っている。
「ジャン・アベラール・ブロンダン。騎士に叙任されたばかりだけれど、剣の腕は確かよ」
おっと、この人騎士だったのか。
元は平民だと言うなら、腰の低さもわかる気はする。
黒猫のさりげない紹介のお陰でもう一人戦力がいることはわかったが、狼を迎撃するならせめて視界の暗さだけでも何とかしよう。
「光灯」
楢の木の棒を構え、魔力を集めて呪文を唱える。
すると、地上十フィート(約三メートル)くらいの空中に、明るい光が生まれた。
マルグリットとジャンが驚きの声を上げるが、黒猫は何故か得意そうに頷いた。
「貴方も大概ねえ」
マルグリットがまた微妙な表情で見てくるが、そんな場合じゃない。
もう狼の足音と吐息が、間近に迫っている。
「来るぞ!」
ぼくの声と同時に、ジャンが飛び掛かってきた狼の鼻面に剣を叩き込んだ。
骨が叩き割れる音が聞こえ、狼が絶叫する。
だが、残りの二頭はそれにも構わず牙を剥き出して跳躍してきた。
「双風刃!」
二枚の風の刃を同時に二頭の狼に飛ばす。
一頭は喉を切り裂いて絶命させたが、一頭は避けられて表皮を切っただけだ。
慌てて棒を構えたが、その間にマルグリットが飛び出した。
きらりと細身の剣が輝いたかとおもうと、見事に刃が最後の狼の喉に突き刺さった。
ジャンもマルグリットも、いい腕をしているじゃないか。
これなら二人だけで馬車の旅をしていても安全だろう。
血の臭いでむせ返るようだったが、水浴びができる場所もない。
簡単に武器の血糊と返り血だけ拭き取ると、狼はそのままにして立ち去ることにした。
ヘルヴェティアに入ったとは言え、追手が来ないとも限らない。
マルグリットと黒猫が馬車に乗り込んだ後、続こうとするぼくの肩をジャンが掴んだ。
「お嬢様が伯爵令嬢とわかったからって変な真似はするなよ」
ぎろりと睨んで来られても、勝手に身分を明かしたのはそっちの方だろう!
両手を広げて肩を竦める。
「そんなことをするように見えますか!?」
「いや、人畜無害のおのぼりさんに見える。放っておけば初日に悪いやつにカモられるようにな」
にやりとジャンが笑った。
くそっ、人が悪い。
これってわかっててわざと言ってきているな。
ジャンは平民出身らしいから騎士を鼻に掛けるような嫌なタイプには見えないが、場数を踏んでそうだし一筋縄ではいかない気がするぞ!