第二十七章 戦慄のプトヴァイス -1-
クリングヴァル先生が追い付いてきたのは、翌日のことだった。
ようやく回復した先生との念話は短く、今からそっちに行くとだけ言われて切られた。
不機嫌さが表に出ていたことから、トレーヴィチでの聖典教団相手の戦いが、よほど面倒臭かったのだろう。
ノートゥーン伯やエスカモトゥール先生にもその調子だったようで、先生は密かに合流したら覚悟しなさいと怒っていた。
戻ってきたクリングヴァル先生は、ノートゥーン伯と二人の先生、ぼくとファリニシュとティナリウェン先輩だけ集めた。
その表情は快活ないつもの先生らしくなく、眉間に皺が寄っていた。
「そっちの話は一通り聞いたぜ。アルトゥンとファルカシュ・ヴァラージュを仕留めたってのはお手柄だ。よくやった」
口では褒めてくれたが、表情は相変わらずぶすっとしたままだ。
これは、トレーヴィチの一件では済まない問題が起きていると予想できる。
トレーヴィチで起きたのは、聖典教団の暴動だ。
となると、同様のことが、別の都市でも起きるということだろうか。
「で、何処で起きるんです? 聖典教団の暴動は」
地図化で一帯の地図を出して、机の中央に押し出した。
クリングヴァル先生は片眉を上げ、ふんと鼻を鳴らす。
「アラナンに腹の内を読まれるとはな。こいつ、ちょっと調子に乗ってないか?」
「アラナンも大分揉まれてきたからね。いいから、さっさと話しな、スヴェン」
エスカモトゥール先生に急かされ、クリングヴァル先生はちょっと嫌な顔をする。
到着早々に説教を食らったのを思い出したのだろう。
まあ、それは自業自得だよね。
「ふん、長々と話すのは性に合わねえ。結論だけ言うぜ。プトヴァイスで、聖典教団が蜂起する。時期は、エーストライヒ軍の北上に合わせてだ。連中はまだリンツにいるはずだから、時間的な余裕はあるが、放置はできねえ。すでに東部から中央部で、これだけマジャガリー軍が動いてやがるんだからな」
アルトゥンに足止めされたせいで、ケルテース・ラースローとマジャガリーの騎馬隊の追撃は頓挫した。
ある程度数は減らしたものの、まだ千数百騎の騎馬が、このボーメン王国中央部に潜んでいる。
その上プトヴァイスで聖典教団の処理は、ちょっと手に余るんじゃないかな。
少しは、プラーガに集結しているボーメン王国軍に任せたいところだ。
「プラーガの軍の集結の状況は、まだ六分といったところのようだ。黒騎士とパユヴァール公国軍が、まだ到着していない。それに、ザッセン辺境伯が軍を動かせないようだ」
ノートゥーン伯の顔色も思わしくない。
ザッセン辺境伯は、こちらの軍の主力のひとつだった。
それが動けないのは、もうひとつの主力になる予定だったブランデアハーフェル辺境伯の裏切りだ。
北に敵を抱えては、ザッセン辺境伯は動けない。
ボーメン王国軍は、その右翼と左翼を同時に封じられたようなものだ。
その替わりを務めるべく、黒騎士がレツェブエル公国軍を、レオンさんとルイーゼさんがパユヴァール公国軍を率いてくる。
だが、その到着が遅れているのだ。
当然、できる手は打ってある。
レツェブエル公国軍の前に立ち塞がると予想された帝国中央部の大司教たちには、聖騎士の身柄を人質にして、動かないよう交渉している。
パユヴァール公国の後背を衝くべく動いたシュドゥアゲルト公国軍は、ぼくたちで粉砕した。
だが、それでもレツェブエルからは距離が遠いし、パユヴァール公国は後継のごたごたを収めるのに時間を食った。
仕方がないとはいえ、厳しい状況である。
エーストライヒ公の懐刀であるシュヴァルツェンベルク伯は、このボーメン王国軍の停滞を見逃す男ではない。
だから、マジャガリー軍を派遣してモラヴィア辺境伯領からボーメン王国東部、中央部と劫掠しようとしたのだ。
成功していれば、ボーメン王国軍は南からのエーストライヒ公国軍本隊、東からのマジャガリー王国軍に挟撃され、壊滅を余儀なくされていただろう。
ブリュンの陥落を防いだことで、マジャガリー軍は方針を転換した。
恐らく、ボーメン王国の都市の襲撃を諦め、山間に身を潜めつつ決戦のときを待つ作戦だ。
「エーストライヒ公が、この集結を待つとも思えない。リンツのエーストライヒ公国軍の集結は、ほぼ終わっているはずだ。そろそろ連中は北上してくる。リンツからプトヴァイスは、大体五十五マイル(約九十キロメートル)。四、五日で来れる距離だ」
「もうそれほど時間がないな」
ノートゥーン伯の説明に、ストリンドベリ先生が唸る。
「プトヴァイスは諦めて、プラーガまで敵を引き込んだらどうだ?」
クリングヴァル先生の提案に、会議の参加者はみんなぶん殴られたような表情になった。
好戦的で、誰よりも真っ先に敵に突撃していく先生が、戦線の後退を提案するなんて!
意表を突かれたのは、ぼくだけじゃないはずだ。
「聖典教団の暴動の相手ってのは、お前らには荷が重いんだよ」
苦々しそうに、先生が続けた。
エスカモトゥール先生が、机の上のクリングヴァル先生の拳に、両手を重ねた。
「言わなくてもいいんだよ、スヴェン」
「──ふん、おれさまはそんなにやわじゃねえよ」
エスカモトゥール先生の手を外し、背もたれに寄り掛かると、クリングヴァル先生はどっかと机に足を投げ出した。
照れ隠しかな?
「トレーヴィチの聖典教団は三百人程度で、全員始末することはできた。連中、素人だし、武器も大したものはねえ。赤子の手を捻るようなもんだが、厄介なのはそこじゃなかった」
先生の表情が、一層暗くなる。
「連中、普通のルウム教徒に偽装していやがる。考えてもみろ。帝国で、聖典教団は禁止された。先帝がフェストで襲撃された後にな。だから、連中の多くはポルスカ王国に逃げ込んだわけだが、一部はルウム教徒に紛れ込んでいたようだ」
「まさか。聖典教団には、厳格な戒律があるはずでは。他の宗教を信じる振りをするなど、神の教えに背くと言って一番嫌いそうじゃないですか」
「忘れたか、アラナン。聖典教団の上に立つ闇黒の聖典が信じているのは、信徒たちとは別の神だ。いざとなれば、それくらい平気で指示するさ」
そういえば、ウルクパルの加護は戦いの女神アシュタルテーだし、アルトゥンは死の女王シャヘルだった。
どちらも聖典教団では悪魔とされる神だ。
「蜂起して集結した連中を倒すのは雑作もないんだが、途中で至るところから湧き出してきやがる。避難する一般市民だと思っていた連中が、いきなり衛兵を襲い出すんだ。男だけじゃない。女も、子供もだ。最終的に騒動は収まったが、今でも連中が全滅したのかはわからねえ。そして、プトヴァイスの大きさから言って、トレーヴィチなんかとは比べ物にならない規模の暴動が起きるだろう」
内に敵を抱えたままで、籠城戦などできるわけがない。
クリングヴァル先生が敵をプラーガまで引き込むと言いたくなるのも、無理はなかった。




