第二十六章 魔王の血脈 -8-
かつて覇王虎掌をこの身に受けたぼくだからわかる。
竜巻翼掌をまともに食らえば、一撃でぼくは戦闘不能に墜とされる。
だから、これを食らうわけにはいかない。
そう思ったとき、右手の紋様に光が宿る。
右手の螺旋。
紅焔の渦が乗る。
ウルクパルの左掌には魔徹。
込められた魔力は、周囲に拡がっていた放雷のもの。
火花がスパークする。
神力の渦と大自然の魔力が激しく衝突し、お互いを弾き飛ばした。
太陽神の翼で体の制御を取り戻すが、右手が痺れて感覚がなくなっている。
一方、ウルクパルもかなり吹き飛ばされ、黒いヴェールも何処かに行っていた。
美麗な顔も怒りで歪み、おぞましいほどである。
「忌々しい邪教の神め。どれだけ加護を食らってきたのか。いまの世に、信じられぬほどの力を持っていやがりますね」
ウルクパルの左手が、黒く焦げていた。
袖も焼け落ち、爛れた皮膚が見える。
あの様子では、ウルクパルの左手はもう使えまい。
「──そうか。攻撃に魔力を使いすぎたな、ウルクパル。自慢の障壁も、必殺の一撃の際には随分と脆いようだ」
「あんな方法で、切り返せるはずがないんですよ。お前のその強引な速度と火炎の威力のせいです。つまり、邪神の力に過ぎない」
ウルクパルは、焼け焦げたアルトゥンの左腕を見て鼻を鳴らす。
「死の神の加護があろうと、この傷を治すことはできない。それを、あの小娘が容易く成し遂げたのです。ことによると、わたしを生き返らせることもできるかもしれない。アラナン・ドゥリスコル、お前の相手をしている時間が惜しい。さっさと片付けますよ」
左手が使えなくても、ウルクパルは勝負を捨てていない。
だが、これでぼくは随分と楽になった。
彼の得意技である覇王虎掌も竜巻翼掌も、両手が揃って初めて必殺の一撃となる。
右手一本でぼくの障壁を突破できる技は、円環の拳にもそうそうないはずだ。
となれば、ウルクパルは戦法を切り替えてくる。
十字に重心を取ったアセナの拳の構え。
そうくると思ったよ。
ウルクパルは右手を前に出しているが、左手はだらりと垂れている。
右足を前にした半身。
それでも、あの右掌がやけに大きく見えるのは、ぼくの気のせいなのか?
落ち着け。
まだぼくにも緊張があるようだ。
呼吸を整え、神気と合一する。
大丈夫だ。
覇王虎掌と撃ち合っても、ぼくの手が痺れただけで済んだのは偶然ではない。
マリーの聖杯の液体を飲んだせいか、体から自然と力が溢れてくるのだ。
アセナの拳の撃ち合いなら、パワーとスピードで勝るこっちが優位に立てる。
ウルクパルは、そうはさせまいと技巧を凝らしてくるだろう。
だが、片手では限界があるはずだ。
さて、どう来るか。
順当に来るなら、雷衝からの尖火。
そして、砕山虎といったところか。
片手のウルクパルは、超接近戦で体当たりを利用してくるはずだ。
あの状況でぼくの障壁を破るなら、それが一番手っ取り早い。
ぼくとしては、ウルクパルの機を読んで同系統の技で迎撃したい。
同じ技なら、ぼくの方が撃ち勝てる。
これがウルクパルの本当の体だったら、撃ち勝てなかっただろう。
だが、いくらウルクパルが宿るとはいえ、アルトゥンは元々武人ではない。
極めて高いレベルまでいくと、その僅かな差異が大きくなってくる。
──しかし、来ないな。
さっさと片付けると言った割には、踏み込んでこない。
こっちは後の先を取るつもりなのに。
警戒して、踏み込めないでいるのか?
いや、アセナ・ウルクパルほどの武人がそれはない。
彼は、今でも自分の方が格上だと思っているはずだ。
そうすると、これはどういうことだろう。
神の眼を凝らすと、ウルクパルが魔力を色んな部位に循環させているのがわかる。
ふん、片手でもバランスを取るために調整していたのか。
得心がいったのか、紅唇をぺろりと舐める。
──来るな。
ウルクパルが飛び込んでくる。
遠間からの竜爪掌か。
だが、これは誘いだ。
魔力の流れを見れば、力が乗っていないのがわかる。
竜爪掌を合わせると、そこから変化してくるだろう。
そう読み取った瞬間、足が自然とウルクパルの左へと動いていた。
移動の軌跡で円を描く。
ウルクパルの得意とする円環の拳。
左手という弱点を突くのには、これが最適だろう。
迎撃のない位置から、ウルクパルの顔に向けて軽い掌打を連続で放つ。
ウルクパルはその場で回転し、間合いを外してから低い姿勢を取る。
そこから来る右掌による昇打。
変形の通天掌か?
回転の分、魔力のためが大きい。
見える。
体を循環した魔力が右手に集約され、そこでまた圧縮される。
魔徹の秘奥。
圧縮された魔力の爆発的な解放こそ、敵に魔力を徹す力となる。
今から迎撃はちょっと遅い。
観察しすぎた。
打点をずらし、角度を変えて障壁で受ける。
がりがりと障壁が削られるが、今度は破られない。
受け方で障壁の損耗度合いも変わってくる。
ウルクパルの目に、驚きの色が見える。
そうだろう。
以前のぼくならば、この一撃でやられるか、もしくは瀕死の重傷くらいは負っていた。
だが、ウルクパルとの二度の戦いで、ぼくの拳士としての力量は確実に一段階上がった。
今なら、センガンともいい戦いができる気がする。
「アラナン・ドゥリスコル……!」
ウルクパルが左手が使えれば、ここからもう一撃繰り出してきただろう。
直線的なアセナの拳の構造上の欠点を、円環の拳は補っている。
だが、左手がなければ連打は長くは続かない。
だから、この一撃で決めるつもりだったのだ。
左手を失ったウルクパルの焦りが、この隙を生んだ。
門の破壊者。
右腕に神力がまとわりつき、渦巻く螺旋となる。
昇打で伸び上がったウルクパルの腹を目掛けて突き出す。
分厚い障壁が抵抗するが、防御の破壊こそが門の破壊者の真骨頂だ。
激しい抵抗の後、砕け散る障壁。
そこで右手を引き、左掌を突き出す。
ウルクパルは回転しようとしたが、左足の踏み込みで足を押さえて許さない。
丹田に掌打を撃ち込む。
圧縮した神力が解放され、ウルクパルの体内を貫通する。
覇王虎掌。
自分の得意技で逝くのも、乙なもんだろう、ウルクパル!
「が……あ、あ……!」
体内の魔力と神力を狂わされ、降霊が維持できなくなったか。
アルトゥンの顔に貼り付いていたウルクパルの歪んだ笑いが、溶けるように消えていった。




