第二十六章 魔王の血脈 -6-
妖艶な笑みを浮かべ、地上を睥睨する魔女。
漏れ出る強烈な神力に、立っているだけで圧倒される。
魔力を消耗したマリーは苦しそうに跪き、荒く息を吐いていた。
見回してみると、すでに立っている隊員は少ない。
ジリオーラ先輩、ティナリウェン先輩、ベルナール先輩の三人だけか。
ノートゥーン伯ですら、魔力を使い果たして倒れている。
みなの盾となって消耗したのであろう。
力尽きているトリアー先輩を見つけ、軽く頭を下げる。
彼女のお陰で助かったのだ。
恩義を忘れてはいけない。
「アラナン、いけるねんな? うちらはもう立っているだけで精一杯や。残念やけれど、何の役にも立てへんねん」
「大丈夫ですよ、ジリオーラ先輩。こんなに快調だったことは、かつてないほどです。ウルクパルにやられた傷も、全快したようですよ」
むしろ、体から力が溢れてくる。
聖杯の中に入っていた液体が何かは知らないが、恐ろしく効き目がある。
「わかっていると思うけれど、アラナン。これ、大魔導師に絶対使うなって言われていたのよ」
マリーがぼくを見上げる。
その金色の瞳には、不安の色はなかった。
「わかっているさ。アルトゥンは、ぼくが片付ける」
アルトゥンにマリーの秘密を持ち帰らせてはいけない。
あのエーストライヒ公にでも知られたら、とても厄介だろう。
「主様」
ファリニシュが、ぼくの肩に手を置いた。
制止するつもりだろうか。
確かに、ファリニシュが戦った方が、勝つ可能性は高い。
アルトゥンは、近接戦闘に対する防御が鉄壁だ。
ファリニシュの方が遠距離からの手は多い。
だが、ファリニシュが前線に出たら、この疲弊しきったみんなを守る人がいなくなる。
残念ながら、ぼくでは無理だ。
ファリニシュほど、障壁や防御用の魔術の扱いに長けていない。
「勝てなんすか?」
ファリニシュの問いは短い。
こちらも、簡潔に。
飾る言葉はいらない。
「勝つさ」
勝てるかどうかは、やってみなくちゃわからない。
だが、理屈を超えて必ず勝つという意志がなければ、この相手には勝てない。
そんな予感がする。
「されば、ひとつだけ。加護を消せるのは、ただ加護の力だけでござんす。お忘れなきよう」
狼からの贈り物。
うん、何となく肌で感じていたことが、言語化されて脳に入り込んだ感じがする。
これで何とか、戦えそうだな。
「笑わしておくれですよ、アラナン・ドゥリスコル。そなた程度でこのアルトゥンに勝てると思っていようとは」
宙に浮かんだままの黒衣の魔女が、嘲笑を浴びせてきた。
「たったいま死にかけたのは誰だったかしら。それとも、僅かな時間で忘れてしまうほど脳の容量が小さいのでしょうか」
「ああ、死にかけた。だが、それでぼくを殺せなかったのはお前の失敗だよ、アルトゥン」
黄金の光が、ぼくの両足から溢れる。
輝く翼が形成され、ふわりと体が浮いた。
「死の女王の抱擁の表と裏。両方見させてもらったよ。恐ろしい術であることは確かだ。でも、もう見切った。二度はぼくには通用しないよ、黒の魔女」
「お言いですよ、小僧が。このアルトゥンにこれだけの時間を与えて、まだ勝てると思っているなんて無邪気すぎるけれど」
不意に、轟音で大気が震える。
大地が揺れ動き、幾つもの裂け目が生じる。
その裂け目からは、高温のガスとマグマが噴き出してきた。
アルトゥンの足下で大地が隆起し、噴出したマグマが溶岩と化して勢いよく流れ出す。
やろう、狙いはマリーか。
ファリニシュの氷雪の魔術を恐れてか、灼熱の溶岩で対抗しようと言うことか。
あの高温。
一千度くらいはあるか?
いかにファリニシュと言えど、あの溶岩を全て凍らせるのは無理だろう。
吹雪を発生させて場を氷雪系で支配していたならともかく、地上に降りたファリニシュは味方に配慮してフィールドの支配を解いていた。
「主様!」
振り向いたぼくに、ファリニシュは心配ないと言いたげに手を振った。
溢れ出る溶岩流は勢いよくへたり込むマリーたちに向かっていたが、ある一定の場所まで来ると急にその勢いが弱まった。
それどころか、ファリニシュの前まで来た溶岩は、急速に凍りついて氷河と化していく。
「万年雪の氷河を司っていたのは、わっちでありんすよ」
ファリニシュの背後には、雪がちらつき始めている。
ということは、あの溶岩流の迎撃に、ファリニシュも結構本気を出しているのだ。
あの狼が本気を出しすぎると、それはそれで結構大変な事態になってしまうだろう。
つまり、時間がない。
「いつまで持つかしら、イリヤ・マカロワ。黄金の天幕の戦士すら畏れたというペレヤスラヴリの白き魔女も、こうなっては形無しではないこと?」
黒き魔女が嗤う。
再び大地が揺れ、何ヵ所も隆起した地面からガスとマグマが噴き出してくる。
この魔女に時間を与えるのは、確かにまずい。
それほど多くの猶予は、残されていないかもしれない。
太陽神の翼の出力を上げる。
足下から溢れる黄金の光が、ぼくを包むように拡がっていく。
よし、これで準備は整った。
今度こそ、アルトゥンと決着を付けてやる。
加速してアルトゥンへと向かう。
青白い球体が、生命の熱を奪い取ろうとしてくる。
それは、右手の紋様を活性化させて迎撃。
さらに、赤い球体が魔力や神力を吸収しようとしてくる。
だが、出力を上げた太陽神の翼の光が、それを弾き返した。
加護を打ち消せるのは、同等の加護だけだ。
ファリニシュの言葉が、耳に甦る。
「手の内を見せすぎたな、魔女!」
門の破壊者。
その拳にまとう神力の渦に、紅焔を乗せる。
拳の軌道に球体が割り込んでくるが、想定内だ。
そのまま紅焔の螺旋をまとった拳を叩き付ける。
球体は堅固な障壁を展開しようとしたが、紅焔の炎がそれを許さない。
拳が球体に衝突し、粉々に砕け散った。
そこで手は止めない。
右拳を残したまま、左足を踏み込む。
捻れた上体を、右手を引くことで矢を放つように解放する。
右掌で後方を、左掌で前方を衝く。
上体を捻る力、両手を開く力に神力を上乗せし、全てを左掌に集める。
その掌の前にもう一個の球体が滑り込んでくる。
左手には紅焔の力がない。
だが、この絶技の威力なら、球体の障壁を砕けるはずだ。
覇王虎掌。
ウルクパルの開発した技が、アルトゥンの障壁に穴を穿つ。
左掌から球体に魔徹が徹り、魔女の二個目の球体をも派手に破砕した。




