第二十六章 魔王の血脈 -4-
「主様、お下がりなんし」
荒れ狂う吹雪の中から、妙に明瞭にファリニシュの声が聞こえてくる。
声に魔力を乗せているのか。
「アルトゥンには近付けなさんす。主様には分が悪うござんしょう」
「ぼくは別に拳士じゃない」
周囲の温度を調整し、寒さを和らげる。
上空はすでに氷点下だ。
浮かんでいるだけで体力を削られる。
だが、アルトゥンが平気そうなところを見ると、あの魔女もこの程度のことはできるのだろう。
「ファリニシュが下がって、みなを護ってくれ。このまま二人が衝突したら、みんなが消し飛ぶ。あの障壁じゃそう長くは持たないよ」
「ストリンドベリとエスカモトゥールに託してありんすが──」
「幾ら先生たちでも、この衝突に対応するのは無理だよ」
個人の魔力では、大自然の持つエネルギーに対抗できない。
内蔵する力の桁が違うのだ。
「わかりんした。したが、主様。あの女子には気を付けしゃんせ。力の扱いに関しては、右に出るものはおりんせん」
「見た瞬間わかるよ。危なそうなら、援護をくれ」
ファリニシュは頷くと、下降を始める。
荒れ狂う吹雪が収まり、気温が若干上昇するのがわかる。
だが、暴風と雷は健在だ。
まあ、風を操ることができるぼくにとっては、自分の周囲の風を従えることは難しくない。
球状に安全圏を作り上げるが、稲妻までは防げない。
激しい放雷がアルトゥンの周囲を覆っているので、とても近付けやしない。
試しにタスラムを撃ってみたが、放雷に迎撃されて消し飛んだ。
とんでもないエネルギー量だ。
「ティアナン・オニールを呼ぶなら今のうちなりし。ちょっと指を動かせば、そなた如き消し炭にしてやれるのです」
「できれば、そうしたいんだけれどね」
放雷が向かってくる。
身体強化の上から勇敢なる戦士を発動し、放雷のエネルギーを意図的に食う。
それでも完全には吸収しきれない。
障壁をあらかた破られ、従えていた風も剥ぎ取られる。
一撃でこれか……。
魔術には結構自信はあったが、操るエネルギーの桁が違う。
アルトゥンの周囲に浮かぶあの青白い球体のせいか?
魔女の周囲を回りながら、時々強く発光している。
魔術を発動するためのブースターのようなものなのだろうか?
おっと、考えている暇はない。
遠距離戦は分が悪そうだ。
ファリニシュはああ言っていたが、近付いて物理攻撃をする方が効果はあるだろう。
アルトゥンは、武術の心得はさほどでもない。
太陽神の翼の速度には、ついて来られまい。
本気で最速で動けば、網のような放雷を回避しながら接近することも可能だ。
黒騎士の抜き斬りを回避することに比べれば、意思がないだけ容易い。
一瞬でアルトゥンとの距離を詰め、飛び込みながら門の破壊者を撃ち込むが──。
「なっ」
アルトゥンの周囲を浮遊していた球体が動き、拳撃を受け止めた。
自律的な防御機能を持っているのか?
しかも、門の破壊者の衝撃を吸収しきるとは……。
「飛んで火に入るなんとやら。そなたも、あの狼の言葉をよく聞いておくべきでしたのに」
黒いヴェールから覗く紅い唇が、艶然と微笑んだ。
ゆっくりと右手が上げられ、長い指がぱちんと鳴らされた。
途端に体から何かが抜けていく感覚。
急速に体温が低下し、体が動かなくなる。
「死の女王の抱擁。さあ、眠りなさい、可愛い子」
これは──。
死の女王の加護。
神聖魔法か!
この目の前の球体が、生命エネルギーを吸収している。
体から熱が奪われ、生命活動を停止しようとしているのだ。
まずい。
逃げようとするが、体の動きが鈍い。
これでは、放雷をかわすこともできない。
目の前が薄暗くなっていく。
アルトゥンの声もよく聞こえない。
声を出そうとしても、唇が僅かに動いただけだ。
(──死)
これほど身近に死神を感じたことはあっただろうか。
幼少時から、常に戦いに身を置いてきた。
死線を超えたことも一度や二度ではない。
だが、こんな感覚は初めてだ。
おのれの生そのものを奪われるような感触。
生きていることで発するエネルギーを軒並み吸いとられるような……。
(負けるか)
感覚が消えていく中で、無意識のうちに右手を胸に当てていた。
何故そうしたのかは、わからない。
だが、そうしなければならないという気がした。
冷えていく体の芯に、一点熱が灯った。
霞む視界に、赤く輝く右手の紋様が映る。
そうか、紅焔。
その熱が、ぼくを温めてくれている。
死の女王がなんだ。
こっちにだって、太陽神の加護がある。
波のように温もりが広がる。
青ざめた体に、生気が甦る。
再び灯った目の光に、アルトゥンは口に手を当てた。
「これは驚きを隠せませぬ。そなたに、かような力があるなどと、聞いてはおりませなんだ。死の女王の抱擁から逃れるなど、定命の子には不可能なわざ。いつの間に、大敵が育っていようとは」
放雷が迫ってくる。
だが、こっちももう体は動く。
まだちょっと鈍いが、太陽神の翼で懸命に回避機動を取る。
青白い球体がまだ輝いているが、対抗するように右手の焔の紋様も光を発していた。
「太陽神の祭司長が、アセナの拳を持つなどと──。ティアナン・オニールとアセナ・イリグの力を併せ持つ戦士を育てようと言うのですか。恐ろしや、ヘルヴェティア。この災禍の芽は、此処で摘んでおく必要があります」
「──こんな攻撃は初めてだ。世界は広い。だが、ぼくには通用しないようだな、アルトゥン」
感覚を確かめるように、右手で握ったり開いたりを繰り返す。
うん、大分戻ってきたな。
柳眉を逆立てた魔女が、これまでになく大量の放雷を操る。
四方八方から電撃の網が迫る。
太陽神の翼の最速で回避してもなお、かわしきれない。
飽和攻撃は対処が苦しいぜ。
やはり、守勢では持たない。
だが、攻撃が通じるか?
門の破壊者は受けられたが、これならどうだ?
フラガラッハを抜き、光の翼の尾を曳きながら、再度アルトゥンに向けて踏み込む。
黒いヴェールの下、アルトゥンの目はぼくを捉えていない。
やはり、彼女の武術の力量は、それほど高くはない。
太陽神の翼の最速には、付いてこられないのだ。
だが、それでも神剣の斬撃を、青白い球体が動いて止める。
この自律型防御球体、性能がよすぎるだろう。
アルトゥンの周囲を回りながら何度も斬りつけたが、二機の球体がその度に反応し、刃を通さない。
神剣の攻撃を防げるということは、こいつも神器だ。
それも、極めて厄介な代物だ。
相変わらず生命力を吸い上げようとしてくるが、紅焔の紋様がそれを阻んでいる。
加護がない者なら、近付いただけで死に至るとは!
持久戦で勝ち目があるか?
いや、元々の保有魔力が違いすぎる。
切り札を切るべきか?
右手を見ながら、唇を噛んだ。




