第二十六章 魔王の血脈 -3-
「アンヴァル! ファリニシュに何かがあった!」
ファリニシュとの念話が通じなくなるなんて、今までになかったことだ。
不安に駆られ、アンヴァルの首を掴んで揺すぶる。
アンヴァルは嫌そうに首を振ると、信用してなさそうに目を細めた。
「あの狼のことなら心配するだけ無駄ですよ。何百年も創造神の使徒を狩りまくって、強力な加護を得てやがりますから。はっきり言って、アラナンより強いですよ、あの狼は」
「じゃあ、何で念話が──いや、ノートゥーン伯とも、マリーとも繋がらない。これは、本当に何かあったぞ」
ただ事ではない様子に、アンヴァルも真面目な顔になる。
暫く宙を見上げていたが、やがてきっとぼくを睨んだ。
「まずい状況になりそうですよ。念話を妨害できるような術を使えるのは、闇黒の聖典でもアルトゥンくらいだと、大魔導師のじじいが言っていやがるです」
「アルトゥンって、あの──」
死の女王シャヘルの加護を持ち、二代目魔王ボルテ・チノの血をひく魔女。
アセナ・センガンの母親。
武術の腕はともかく、神聖術、魔術、魔法の何れも極めている厄介な相手だと言う。
「あの年増狼が負けるとは思いませんが、足手まといがいやがりますからね。鍛練狂と連絡を取って、すぐに向かった方がいいと思うですよ」
「そうだな。クリングヴァル先生に──」
慌てて念話を繋ぐが、なかなか繋がらない。
妨害されているというより、忙しくて出られない感じだ。
(──ちょっと、待ってろ! トレーヴィチの聖典教団が暴動を──)
一瞬繋がったが、すぐにぷつんと切れた。
何か、不穏なことを言っていたな。
トレーヴィチと言えば、ブリュンの西にある街だ。
ブリュンにマジャガリー軍が侵攻するのに合わせて、聖典教団を使って暴動を仕掛けたのか。
ひょっとしたら、マジャガリーの騎馬隊も何部隊か回っているのかもしれない。
「駄目だ。トレーヴィチで聖典教団の暴動が起きて、先生がそっちに掛かりきりになってそうだ」
「じゃあ、アラナンとアンヴァルで行くしかないですよ。とっとと乗るがいいです。ぐずぐずするんじゃないですよ」
アンヴァルは動じない。
小生意気な馬だけれど、こういうときは何か安心感がある。
アンヴァルがいたことにほっとする自分がいた。
一人だったら、かなり狼狽してとんでもない行動を取っていたかもしれない。
「ファリニシュの通話が切れたときの場所は此処だ」
地図化でポイントを示す。
ブリュンを出て北西の街道を進み、ヴェルクメッツの街までもう少しといった地点だろうか。
此処から直接向かえる街道はないが──。
ぼくらなら空から行けるさ。
「アンヴァル! 行くぞ! 急げ!」
背に飛び乗り、膝に力を込める。
皮肉げにアンヴァルが返した。
「速くするのはいいけれど、振り落とされてもアンヴァルは拾ってあげないですよ」
「言ったな。ぼくより速く飛べるのかい?」
アンヴァルは答えず、空を駆け始めた。
太陽神の翼の標準的な速度だと、鳥が飛ぶくらいの速さはある。
馬が地上を駆ける速度より、倍以上速い。
それでも、到着には十数分は掛かる。
間に合うだろうか。
「──やばいですね、これは」
地響きとともに行く手に巨大な火柱が立っている。
この距離から視認できるとは、どれだけ規模がでかいんだ。
ぎょっとした瞬間に、その火柱が全て凍りついた。
思わず、メートヒェン山の寒さを思い出して震えが来る。
「年増狼が健在です。でも、あれに巻き込まれたら──」
「みんなは大丈夫だろうか?」
「ただ勝つだけならあの狼なら可能です。でも、護りながらは難しいですよ」
再び大きな地揺れ。
そして、轟音とともに水流が立ち上ぼり、大きな波濤となった。
だが、それが、瞬きの間に凍り付いている。
思わず身震いをした。
いや、実際気温が下がってきているんだ。
この距離で冷えてきているとは──。
ファリニシュが本気になっている。
「もっと急げ、アンヴァル!」
「ええい、勝手な野郎ですよ、アラナンは! 夕食は奮発しやがれです!」
「肉でもチーズでも好きなだけ食わせてやるから!」
言った瞬間、加速で体が後ろに流される。
アンヴァルめ、まだ本気じゃなかったとは。
だが、いつも口の悪いアンヴァルが、歯を剥き出しにしながら必死に空を駆けるのを見て、口に出かかった皮肉を止める。
そうだよな。
この騎馬隊設立に初めから関わっていたのはお前だ。
こんなところで、壊滅させるわけにはいかないよな。
「──風と、雪……」
急激に下がる気温。
そして降り始める雪。
ファリニシュが魔術を使うために、精霊を呼び寄せているのか。
そして、その雪に対抗するように巨大な竜巻が渦を巻いている。
視界がどんどん悪くなってくるな。
だが、もうすぐだ。
そろそろ感知の圏内に入る。
アルトゥンとファリニシュの魔力は規模が大きすぎて、離れていても丸わかりではあるが……。
「いた! あそこの森の中で、障壁を張っている!」
騎馬隊は健在だった。
木々が薙ぎ倒され、あちこちに氷柱が立っている荒れ果てた森の中。
ノートゥーン伯たちが、一丸となって障壁を張っていた。
あの陣形なら、暫くは持ちそうだ。
「アラナン、アンヴァルはあそこに行っているです。後は任せたですよ」
アンヴァルが下降を始める。
わかっている。
限界を超えた飛翔で、アンヴァルも力を使い果たしたのだ。
ぼくはアンヴァルの鬣をそっと撫でると、小さく頷いた。
「任せておけ。アンヴァルの努力は無駄にはしないさ」
太陽神の翼を発動すると、ふわりと舞い上がる。
アンヴァルのお陰で、ぼくの力は温存できた。
これに応えなければ、男じゃないよな。
上空は乱気流と雷。
相対する空には猛吹雪。
それぞれの中心に、アルトゥンとファリニシュがいる。
あそこに割って入るのには勇気がいるが──。
「ええい、やってやるさ!」
魔術の扱いは、ぼくも得意分野なんだ。
あちこちから吹き寄せる風を切り裂きながら上昇を続ける。
稲妻が走る空に、一人の女性が浮いていた。
そして、その周囲を回る青白い球体が二つ。
アルトゥン。
かつて大陸を席巻した第二の魔王ボルテ・チノの末裔。
そして、死の女王シャヘルの使徒。
薄暗い空の下でも、黒いヴェール越しでも、猛禽のように鋭い双眸が輝いているのがわかる。
圧倒的な魔力が、圧力となって押し寄せてくる。
隠蔽とかまるで考えていない。
力を解き放ち、圧倒するつもりなのだ。
「──アラナン・ドゥリスコル」
鳥肌が立つような声が、黒衣の魔女から発された。
「そなたも来ましたか。ちょうどいい、此処で始末し、女王への供物と致しましょうぞ」




