第二十五章 無音の暗殺者 -7-
宿に戻ると、出てきたのは三人だけだった。
ノートゥーン伯とマリーとアンヴァルだ。
ストリンドベリ先生とエスカモトゥール先生は、カサンドラ先輩を埋葬に行っているらしい。
他のみなは自室にいるということか。
ジリオーラ先輩が出てこないというのは、ちょっと気がかりだな。
「戻ったか、アラナン。ウルクパルを倒したというのは本当──」
「もう、また傷だらけじゃない。しかも、背負われて帰ってくるなんて……え、歩けないの? どんな無理をしたのよ!」
ノートゥーン伯が話そうとした矢先、マリーが飛び出てきて声を被せた。
「いや、歩けるよ。先生が大袈裟なんだ」
慌てて先生の背中から降りると、両手を広げて無事のアピールをしてみる。
だが、マリーは目を細めると、鋭い眼差しでぼくを検分した。
「──シャツが新しくなってる。ぼろぼろにされて着替えたわね。包帯を巻いているってことは、イリヤが癒しきれなかったってことじゃない。先生がおぶってきたってことは、イリヤが安静にするように指示した証拠ね」
「凄いなおい!」
何だろう、ちょっと見ただけで女ってそこまでわかるもんなの?
それとも、これマリーだけ?
「とっとと部屋に行って寝なさい、アラナン。貴方、昨日も大変な怪我していたのよ。今日はもっとひどそうじゃない。伯爵のことは気にしないでいいから」
「お、おい……マルグリット……」
ノートゥーン伯は何か言いたそうだったが、マリーは有無を言わさずぼくを部屋に連れていき、寝台に押し込んだ。
「後のことは気にしないでいいわ。まずは眠りなさい、アラナン。貴方はそれだけの働きはしたわ」
後ろではノートゥーン伯がぶつぶつ言っているが、ファリニシュが押さえ込んでいるな。
じゃあ、まあ、いいや。
流石にぼくも疲れたよ。
悪いけれど、寝る。
カサンドラ先輩が大の字になって道の上で寝っ転がっていた。
また、疲れ果てて起き上がる気力もないのか。
もう無理、本当に無理とか呟きながら、激しく呼吸をしている。
子犬がそんな先輩の隣に走っていって、顔を舐めていた。
先輩はぜーぜー言いながらも起き上がると、子犬を抱き上げてその頭を撫でていた。
今にも死にそうな表情をしていた先輩が、子犬を撫でているときは幸せそうな顔をしていた。
よかったねーおまえは生きていたんだねーと言いながら先輩は子犬を撫で、そして子犬はくんくん鳴いていた。
夢か。
夢なのはわかるが、やけにリアルさがあった。
ぼくはそれほどカサンドラ先輩には思い入れはなかったと思っていたのに。
それは、自分で思っていただけなのだろうか。
思ったより自分も心が弱い。
これでは、高等科生のみなは、もっとまずいかもしれない。
目が覚めると、まだ外は暗かった。
早く寝たから、まだ陽が昇っていないのだろうか。
──いや、この腹の減り具合からみて、丸一日寝て夜という可能性も捨てきれない。
今日はマリーがいなかったので、そのまま起き上がってみる。
うん、ファリニシュの再生と睡眠のお陰で、傷は大分回復している。
縫われた箇所も塞がっているし、魔力で作った糸自体消えているな。
包帯はもういらないかね。
寝汗をかいていたので、新しいシャツに着替えてから階下に降りる。
喧騒が聞こえるところをみると、食事時だろう。
みんな食堂にいるようだ。
「──勝手に帰ればいいんじゃねーですか? アンヴァルはろくに働かないで無駄飯を食うやつは嫌いです。アンヴァルの分がなくなりやがりますから」
おおい!
なんかアンヴァルの不穏な言葉が聞こえてくるんですけれど!
「わたしも究極の魔法を志して学院に来た人間だ。付いていきたいのは山々だが……結局わたしは凡人に過ぎないのだよ」
この声は──オーギュスト・ベルナール先輩か?
「考え直せ、オーギュスト。お前は学院でも一番の属性魔法の使い手じゃないか。遠距離火力では、お前の支援が一番大きいのだぞ」
ノートゥーン伯の声には、珍しく焦慮の色が濃い。
確かに、ジリオーラ先輩やぼくやマリーが高等科生に上がる前は、ベルナール先輩は高等科四天王の一角だったんだ。
ノートゥーン伯とは、付き合いも長いのだろう。
だが、ベルナール先輩は、マリーに選抜戦で敗北したときも、結構立ち直るのに時間が掛かっていた。
元々あまり精神的に強くないのだろう。
それでも、高等科でも上位の実力者なのだ。
カサンドラ先輩が亡くなったことでショックを受ける人は予想していたが、彼が真っ先に音を上げるとは思わなかった。
「わたしの入る余地などなかろう。クリングヴァル先生の火力に、アラナンの機動性があれば十分だ。なあ、伯爵。わたしたちは本当に必要なのかね?」
わたしたちは本当に必要なのかね?
ベルナール先輩の言葉が、肺腑を抉る。
確かに、クリングヴァル先生やぼくの実力と、高等科生の実力は隔絶している。
入学した頃は高等科生の方が強かったし、中等科生になった頃もまだ及んでなかった。
だが、クリングヴァル先生に学院を休んでまでみっちり基礎魔法とアセナの拳を叩き込まれたぼくは、僅かな間に高等科生をごぼう抜きしてしまった。
そして、神聖術と太陽神の加護。
これを使えば、もう先生方とてぼくに敵う人は少ない。
エリートとしてのプライドを潰されてなお、後輩の後塵を拝し続けられるのか。
ノートゥーン伯にはそういうところは少ないのだが、ベルナール先輩には高い自尊心があるようだ。
これもアルマニャックの民族性なのか?
「いいじゃねえか、エリオット。学院は軍じゃねえ。ヘルヴェティアは個人の自由を尊重する。好きにさせてやりゃあいいさ。ま、これが軍だったら、オーギュストは懲罰どころか殺されているかもしれねえけれどよ。おれたちには好きにする権利はあるだろ」
クリングヴァル先生の声。
間違いなく、いつものようにへらへらしているな。
いつも勝手な先生らしい言い草だ。
でも先生、ぼくに自由はなかった気はしますが。
「冗談じゃありません。すでに、この騎馬隊は評議会で認められたれっきとした軍です。そうじゃなければ、我々は国籍不明の匪賊と変わらない扱いを受けることになりますからね。先生もご存じでしょう?」
「そうなのか? ビヨルン」
「いや、元々おれは海賊だしな」
「ノートゥーン伯の言う通りだよ! 全くうちの男どもは脳筋揃いでだらしのない」
──エスカモトゥール先生がいなかったら、本当にノートゥーン伯は苦労しそうだなあ。
「顔を上げなさい!」
いきなり聞こえてきたマリーの叱咤にはっとする。
「背筋を伸ばして、胸を張りなさい! それでも貴方は誇りあるヴィフルールの男なの? ヴィフルールの誇りがあるなら、いかなるときでも、例え苦しくても優雅に笑って余裕を見せなさい! それがアルマニャックの流儀でしょう?」




