第二十五章 無音の暗殺者 -2-
魔力圧縮の練習で魔力が尽きたら、休めると思うじゃないですか。
まさかそこから、アセナの拳の鍛練に入るとは予想もしていませんでしたよ、ええ。
いや、いいんですけれどね。
まあ、クリングヴァル先生だし。
こっちの魔力が尽きたと言っても、魔力再循環で身体強化する分くらいは残っている。
確かに組み手くらいできますよ、いやほんと。
「アラナン、ちょっと手を前に出してみろ」
いたずらっ子のように嬉々としてクリングヴァル先生が催促してくる。
この人は、いつも本当に鍛練が楽しいんだろう。
「いいですよ、こうですか」
アセナの拳の構えのように、半身になって両手を前に出して構える。
クリングヴァル先生は、ついと手を伸ばすとぼくの右手に先生の右手をくっ付けた。
「ちょっと手を動かしてこの右手を剥がしてみろ」
先生はにやけた顔を隠そうともしない。
ちょっとむかつく。
よし、やってやろうじゃないか。
とりあえず適当にぶんぶんと腕を振り回す。
ふん、ぴったりと先生の手は貼り付いたままだ。
右足を下げて右手を引いても、一歩踏み込んでくっついてくる。
逆に踏み込むと、その分下がって対応してくる。
何だか動きが読まれているような気がするぜ。
──ん、そういうことか?
「気付いたか? 何をやっているか」
「んー、接触している腕から、魔力の流れを読まれている気がします」
「正解だ。相手の魔力の流れで、どう動くかもわかる。達人相手だと魔力隠蔽で見えないものだが、触れればわかる。まあ、アラナンの魔力隠蔽程度なら、離れててもわかるんだがな」
「どうせ、下手くそですよ!」
「むくれてねえで、やってみろ。そろそろお前も力一辺倒じゃなくて、こういう技を覚えてもいい頃合いだ」
と言うことで、攻守を変えてやってみる。
クリングヴァル先生は簡単にやってくれたが、先生レベルの魔力隠蔽だと接触していても読みにくい。
流れを掴もうと集中していると、逆に先生の動きについていけなくなるし。
ええい、どうせなら神の眼を使ってやるか!
「それは使うなよ。やればできるだろうが、練習にならんだろうが」
ちえっ、魔力の流れで一発でばれた。
接触しているんだから、こっちのやることはお見通しなのか。
あれ、これって相手のを読みながら、自分の魔力隠蔽も重要じゃないか?
「わかったようだな。自分の魔力を隠し、相手の魔力を読む。それが戦闘に大きく影響を与えるんだ。お前は昔っからこれが下手だが、格下相手ならともかく、アセナの拳士にはそれじゃあ通じない。アセナの拳士との接近戦で、お前が押されるのはこのせいだ。全ては魔力の精密な操作が決め手となる」
「参りましたね。前に比べればぼくも大分上手くなったと思うんですが」
「そりゃ、高等科のろくに基礎ができていない頭でっかちどもが相手なら通用するさ。だが、お前が相手にするのは超一流の使い手だぞ。必要とされる技術が違うさ」
魔法学院の高等科生は、世間一般的には魔法の超エリートなんですがね。
先生にかかっては未熟者扱いだ。
「おい、マノン。ちょっとアラナンとやってみろ」
クリングヴァル先生が、暇そうに見学していたエスカモトゥール先生を呼び寄せた。
「なんだい、いま忙しいんだよ」
「滅茶苦茶暇そうだったじゃねえか」
「暇じゃないよ!」
ぶつぶつ言いながらもエスカモトゥール先生は嬉しそうだ。
でも、先生は別に格闘家ではないよな?
無論学院の教師は武術と魔法の技能は十分保有していることは知っているけれど──。
「じゃあ、やるよ、アラナン」
エスカモトゥール先生の右手が差し出される。
白衣の前を止めていないから、正面に立たれるとちょっと目のやり場に困るな。
え、何かって?
胸の大きさだよ。
白衣の下は割りと体にフィットする服だから──。
「ほい、雑念多すぎ」
あ、あっさり右手を外された。
集中を乱されたか。
「おい、アラナン。マノンが何の使い手か忘れたわけじゃねえよな。心理魔法は、結構厄介なんだぞ」
え、これも魔法なんですか?
「視覚誘導ってやつさ。最も初歩的な心理魔法さね。対抗方法は教わったんだろう?」
煙草を咥えたまま、エスカモトゥール先生が楽しそうに笑う。
ええ、精神障壁っすね。
忘れてましたよ。
しっかり精神障壁を強化して、再びエスカモトゥール先生と右腕をくっつける。
よし、今度は集中できている。
先生の魔力の流れもわかる。
次は、上に──。
「ほい、終了」
上に行くかと思った先生の腕は、下に振り下ろされていた。
またもや、一瞬で振り切られたか。
え、どうなってたんだいまの。
「マノンは誤魔化しが上手いんだよ。今のは、魔力の流れを実際の体の動きと逆になるように操作したんだ」
「ええっ、それってアセナの拳の思考と真逆ですよね」
アセナの拳は、肉体と魔力を重ね合わせることで威力を増大させる。
肉体の動きに逆らうように魔力を動かせば、速度も威力もその分減じてしまう。
「だからアセナの拳士には効果的だろ? マノンは心理魔法を使わなくても相手の隙を突いてくる。考えながら戦うお前には、参考になる技術が多いはずだ」
「スヴェンが単純すぎるんだよ。とにかく、相手より先に攻撃を当てればいいと思っているんだろ?」
「ふん、おれはビヨルンのような単純筋肉バカじゃねえ。ちゃんと考えながら戦っているさ」
くそ、要するに魔力の流れだけでなく、筋肉の動きにも気を配っていれば防げたわけか。
ぼくが魔力の流れに集中するのを読んで仕掛けたんだな。
したたかな人だ。
「アラナン、マノンは高等科生時代、学内選抜戦無敗だったんだぜ。対人戦最強の異名を取っていたんだ。舐めてかかると火傷するぜえ」
「ええっ、クリングヴァル先生にも勝っているんですか?」
「おれは飛竜との鍛練で忙しくて、学内行事はさぼっていたからな。お前も中等科時代そうだっただろ?」
むむ、そういやそうだった。
しかし、舐めていたつもりはないが、確かに何処か本気ではなかったかもしれない。
此処は、全神経を張り巡らし、あらゆる可能性を考えて対応するべきだな。
「次行くよ、アラナン」
エスカモトゥール先生は相変わらず楽しそうだ。
クリングヴァル先生もそうだが、この二人はいつも笑いながら訓練をしている。
おっと、いけね。
気を逸らしてはいけない。
エスカモトゥール先生の魔力の流れは、前進しての突きを示している。
体の力の流れも、それを裏付けている。
ということは、それが一番怪しいな。
これは、逆に一歩下がるということか!
「考えすぎだよ、アラナン」
ぽかりとエスカモトゥール先生に殴られた。




