第二十五章 無音の暗殺者 -1-
ウルクパルとの戦闘でのダメージは、それなりに大きかった。
ファリニシュの再生を受けても、すぐに眠り込んでしまった程度には。
気がついたら、宿の一室でベッドに寝かされていた。
枕元には、うつらうつらしているマリーが座っている。
「ここは──」
寝ている間にアンヴァルが運んでくれたのか?
寝台から起き上がり、窓の外を見ると夜が明けるところだった。
都市の大きさと、大聖堂の尖塔が見えるところから、ここは恐らくブリュンだろう。
あの後北上して、補給と休息に寄ったのだろうか。
「起きたの、アラナン」
動く気配を感じたか、マリーも目を醒ましたようだ。
椅子から立ち上がり、隣まで歩いてきて窓枠に手を掛ける。
「んー、久しぶりの街の空気も悪くないわね! もう野営は懲り懲りだわ!」
「そう思うなら、ベッドでゆっくり休まないと。あんな体勢じゃ寝られなかっただろう」
「大丈夫よ。どのみち、他のみんなはもう起きているから」
夜が白々としてきたばかりだというのに、もう起きているのか。
いや、クリングヴァル先生やノートゥーン伯らはいつも鍛練のために早起きだけれど、高等科生たちはもう少し寝ているはずだ。
どういう風の吹き回しだろう。
「今回、クリングヴァル先生とアラナンとイリヤ以外は、ほとんど見ていただけだったじゃない? まあ、初めはアラナンたちは強すぎるからしょうがないってみんな思っていたのよね。でも、アラナンがあの男にやられたのを見て、やっぱり三人だけで戦わせることになった不甲斐なさが、悔しくなったのよね。自分たちがもう少し戦えれていれば、アラナンたちの負担も軽くなる。そう、ヴォルフガングが口火を切ったのよ」
ぼくの不思議そうな顔を見てか、マリーは説明を始めた。
「初めはみんな反応が鈍かったけれど、ステファンがヴォルフガングに同調して立ち上がったの。自分でも、鍛えればもっと強くなれますかって。クリングヴァル先生は、あの人にしては珍しく真面目に答えてたわ。強くなれるかどうかはわからねえ。だが、強くなろうと思ってないやつが強くなることはねえって」
「先生らしいな──でも、そうか。あのステファン・ユーベルがねえ」
高等科の魔法師の中には、魔法専門で武術は基本程度の者もいる。
ステファン・ユーベルもその一人だ。
この過酷な調練に音を上げている印象しかなかったが、意外と根性はあるんだな。
「そしたら、ティナリウェン先輩が立ち上がったわ。ステファンがやる気なのに、おれたちが下を向いているわけにもいかないって。それで、みんなやる気を出したみたい。クリングヴァル先生の早朝の鍛練に出ることにしたのよ」
「なるほど。マリーはぼくに託つけてさぼったというわけだ」
「あら。心配だったのは本当よ?」
「さぼったのも?」
「もう! いつも出ているんだから、たまにはいいじゃない!」
むくれたマリーに、笑いながら謝った。
マリーはまだ拗ねていたが、下の道を高等科生たちが戻ってくるのを見て表情を戻す。
「予想通り、みんな息も絶え絶えね。クリングヴァル先生が、魔力圧縮を試させたんだわ。すぐにできるものじゃないし、暫くみんな地獄を見るわね」
「魔力圧縮自体は訓練次第でできるようにはなると思うけれど、基礎魔法の力量次第で時間がえらくかかるからなあ」
それでクリングヴァル先生はずっと生徒を取ってなかったんだ。
基礎魔法を軽視する高等科生たちが気に入らなかったんだろうな。
「ま、朝飯にしようか。ぼくも腹が減ったし、それにアンヴァルがすでに下にいる気配がするから、下手したら全部食い尽くされる」
「──冗談じゃないのが怖いわね」
マリーは一瞬笑いかけ、それから真顔になる。
ファリニシュの魔法の袋で兵糧には困ってなかったぼくたちだが、それはそれとして宿のちゃんとした料理を食べる機会も逃したくない。
ぼくたちは、急いで部屋の外へと駆け出した。
朝食時にブリュンでの一日の休養が指示されたので、ぼくは早速クリングヴァル先生の稽古に付き合わされていた。
──休養とは?
クリングヴァル先生とは一度言葉について議論をするべきではないかと時々思う。
「いいか、アラナン。お前は最近第三段階に進もうとしているが、がむしゃらにやっても永遠にたどり着けねえ。本来こいつは、飛竜がお前の卒業試験でやるべき項目だから、おれも教えてこなかった。だが、状況が状況だ。いまから、おれが飛竜の代わりに秘伝を教えてやろう」
前言撤回。
そういうことなら、いつでもやりますよ!
いやだなあ、休みたいなんて一言も言っていないですよ、ぼくは。
「そもそも、虚空の魔力──神力は、こっちの魔力と一緒に扱おうとするとえらく難しくなる。混ざっていると、難易度が跳ね上がるんだ。だから、普通に門を開いて扱おうとしても、大抵は一瞬で終わる。これが第一段階だな。もう少し魔力の扱いが上手くなれば、魔力と一緒でも神力を扱えるようになる。第二段階、いまのお前がそうだ。第三段階では、神力のみを使う」
神力のみ?
でも、自分の体に魔力が流れているのに、どうやって神力のみを扱うんだ?
「魔力圧縮で、自分の全魔力を圧縮し、それを全て門の解放に使うんだ。丹田で門を作るやつが多いのは、単にやりやすいだけで他の場所でも構わねえ。お前みたいに額でもな。肝心なのは体に魔力を残さず門を作ること。使った魔力の量と圧縮の度合いで、引き出せる神力の量が決まる。その状態なら、お前でも神力を自在に操ることができるはずだ」
おお、本当ですか!
そんなに簡単なら、もっと早く言ってくれなくちゃ。
やだなあ、先生。
勿体ぶって。
「だが、当然問題もある。第一に、一定以上圧縮して門を作らないと、結局第二段階と引き出せる神力が変わらないこと。第二に、魔力を全て門の作成に使うので、門の作成から神力の引き出し、操作まで一瞬でやらないと無防備になる。第三に自分が操作しきれない量の神力を呼び出すと、下手したら体がその力に耐えかねて千切れ飛ぶ」
「三番目怖いですね!」
「そうだな。だから、飛竜や大魔導師は下地ができるまで教えない方針だったんだ。おれの見たところ、お前はまだ圧縮がちょっと足りない。だから、まだ早いのは確かだ。でも、この調子だと実際次にウルクパルやセンガンに会ったら、やられちまうだろ?」
「まあ、誤魔化しながらやっていましたが、正面からは立ち向かえないですね」
「だから、やるしかないんだ。魔力圧縮を死ぬ気でもう一段階上げろ。そうすれば、条件が整う。よかったな、今日は時間があるからみっちりやれるぞ」
ぼくは左右を見回したが、高等科生たちは早朝の訓練で魔力を使い果たし、みな宿でダウンしている。
マリーは危険を察知したか、宿から出てきていなかった。
しまった、逃げ場がない!
これは、マンツーマンで夜までコースだぞ……。




