第二十四章 イ・ラプセルの騎馬隊 -7-
エーストライヒ公が物資輸送を軍隊と歩調を合わせたことで、ぼくらは輸送隊を狙うのを断念せざるを得なかった。
ノートゥーン伯としては、もう少し調練を積みたかったはずである。
だが、情勢はそれを許してくれそうにない。
ヴェアンからリンツに西進したエーストライヒ公国軍とは別に、マジャガリーの騎馬隊が動いていた。
勇将ケルテース・ラースロー率いる二千騎は、紛れもなく大陸西方随一の精兵である。
ポルスカに派遣されたアールバード・シャームエルのようなお飾りではない。
必勝を期して投入された最強の部隊だ。
マジャガリーの騎馬隊は、エーストライヒ公国の公都ヴェアンから北上して、モラヴィア辺境伯領の中心都市ブリュンに向かっていた。
ヴェアンからブリュンまでは約九十マイル(約百四十五キロメートル)。
マジャガリーの騎馬隊なら、三日で到着する行程だ。
ファリニシュの報告では、すでに国境の丘陵地帯を越えているそうなので、もう一日半というところだろう。
ケルテース・ラースローがブリュンに向かったのは、モラヴィア辺境伯への牽制であろうか。
辺境伯はすでに軍をボーメン王国の王都プラーガに向けているので、ブリュンは手薄である。
ファリニシュからその報告を受けたとき、ぼくらはエーストライヒとボーメンの国境付近の森の中にある渓谷で小休止を取っていた。
リンツのエーストライヒ公国軍が北上すれば、横から打撃を与えられる位置を取りたかったのであろう。
当初の予定通り行くなら、ここで本軍が動くのを待つべきである。
だが、このマジャガリーの騎馬隊を放置するのは、余りにも危険であった。
「行くのはいいけれど、ぼくらだけでマジャガリーの騎馬隊二千を相手にするつもりかい?」
ノートゥーン伯は、地図化でぼくが出してやった地図を凝視している。
「無理だな」
簡潔な返事が返ってくる。
ま、そりゃそうだ。
二千騎とぶつかれば、学生たちのほとんどは討ち取られるだろう。
生き残れるのは、クリングヴァル先生、ファリニシュ、ぼくくらいか。
ノートゥーン伯やティナリウェン先輩でも保つまい。
でも──。
「それでも、行くんだろう?」
「当たり前だ。ケルテース・ラースローを放置し、自由に動き回らせたらこの戦争は負けだ」
マジャガリーからは、今回二人の将軍が参加している。
そのうちの一人、ラースロー将軍は戦術家としても名高い。
行動の自由を許せば、致命的なタイミングでボーメン王国軍を急襲し、一撃で勝負を決めるだろう。
「行かなければならんが、まともに戦えばやられる。なら、まともではない手段でやるしかない」
顎に手をやったまま、ノートゥーン伯の視線がこっちを向いた。
いやな予感がするのは気のせいか?
「とりあえずマジャガリーの騎馬隊には一定の距離以上は近付かず、牽制に徹する。ただし、アラナンとイリヤには空から手を出して足止めをしてもらおう」
ほら来た!
割と予感ってのは当たるもんだな。
そりゃ連中空は飛べないけれどさ。
マジャガリーの騎馬隊には、弓主体の軽騎兵と槍主体の重騎兵がいる。
一面の矢の中を飛ぶのは、あまり楽しそうには思えない。
更に、最終的には飛竜騎兵隊が出てくるはずだ。
今回参戦した二人の将軍の片割れ、マジャガリー随一の武勇を誇るファルカシュ・ヴァラージュ率いる飛竜騎兵隊。
クィリムのデヴレト・ギレイとよく比較される大物だ。
あれが出てきたら、ちょっと手間だと思うぞ。
「面白そうな話をしているじゃねえか」
のそりと小柄な体を起こして、クリングヴァル先生が口を挟んできた。
「アラナンとイリヤだけじゃ弱え。おれも引っ掻き回してやるよ」
「それは構いませんが──先生は飛べるんですか?」
「竜化を使えばな。竜の姿でも、人間の姿でも、魔力で飛べるぜ」
クリングヴァル先生の提案を受けて、ノートゥーン伯は暫し考え込む。
悩んでいるのは、クリングヴァル先生がやり過ぎないことだとうか。
ぼくとファリニシュだけなら、やり過ぎて深入りすることはないと思っているのだろう。
だが、クリングヴァル先生は確実に深入りする。
敵将ケルテース・ラースローでも見つけた日には、喜んで突撃するだろう。
それでも──クリングヴァル先生なら噛み破って生還してくるのではないか。
恐らく、ノートゥーン伯はこんな考えを辿っているのではあるまいか。
暫くして、思索から戻ったノートゥーン伯は、クリングヴァル先生の提案を了承した。
ま、まあ奇しくも二千騎とぶつかっても生き残るだろうと予測した三人で行くのだ。
何とかなる──といいな。
ノートゥーン伯の指示で、渓谷を早々に出発する。
こちらの足の方が速いから、ブリュンに着く前に捕捉できるはずだ。
ファリニシュは狼の姿でマジャガリー軍を追跡しており、捕捉し次第合流する予定である。
「お、おいアラナン。わたしたちは本当にマジャガリーのケルテース・ラースローと戦いに行くのかい?」
戦いの前に神経を休めようと、列の中ほどを駆けていたぼくに、ベルナール先輩が馬体を寄せてきた。
「戦いはしないと思いますよ。一定の距離を取って牽制するくらいじゃないですか。戦うのは、クリングヴァル先生とイリヤとぼくだけです」
「そ、そうか。ちょっと安心したが──しかし、幾らアラナンと言っても無茶だろう。先生方も、何を考えておられるのか」
ベルナール先輩はクリングヴァル先生を見たが、先生はエスカモトゥール先生に小言を食らっている最中であった。
きっと、いつも考えなしに戦いに首を突っ込みすぎるとか言われているんじゃないだろうか。
「正直、わたしは二千騎と正面から戦えと言われたら逃げ出していたよ。勝ち目なんてあるわけないじゃないか。どんな強い人間だって、数には勝てない。──いや、アラナンを貶めているわけじゃないよ?」
「いや、いいですけれどね。それが普通の反応ですし。トリアー先輩みたいのは、ちょっと珍しいタイプで」
トリアー先輩は、自分が敵と交戦できないことを本気で悔しがっていた。
ティナリウェン先輩ですら、顔を青ざめさせていたのに。
ジリオーラ先輩やマリーも、マジャガリーの騎馬隊とぶつかるなんて気が狂っていると思っているようだ。
後の高等科生たちなんて、逆に瞳に狂気を宿らせているかのようだ。
もう限界ぎりぎりまで追い詰められて、精神が風船のように張りつめているのだろう。
あのヴォルフガングでさえ、余裕のない表情をしている
無理もない。
毎日ずっと駆け通しのような生活だからな。
それでも彼らも魔力再循環が上達したお陰で、何とか脱落せずについてこられたわけだが。
最低の士気でも部隊が崩壊しないのは、みんな国を捨ててまで魔法を極めようと学院に残った連中だからだ。
実際、自分が上達している実感があるのであろう。
魔力の制御も上達しているしな。
何だかんだで、基礎魔法が上達すれば、それは他の魔法にも効果はあるのだ。
だが、それにも限界はある。
いつ張りつめた糸が切れるか。
それだけが心配であった。




