第二十四章 イ・ラプセルの騎馬隊 -4-
先頭を駆けるノートゥーン伯は、手綱を緩めない。
アンヴァルの支配で疲れ知らずの軍馬に乗っているとはいえ、五十マイル(約八十キロメートル)近い速度での疾駆を二時間続けるのはきつい。
馬は平気でも乗り手が持たないのだ。
事実、クリングヴァル先生の基礎魔法の鍛練を受けていない高等科生は、もう青い顔をしている。
ジリオーラ先輩やマリーは平然としているが、ベルナール先輩やトリアー先輩すら息が上がっているのだ。
だが、ノートゥーン伯は速度を落とさない。
多分、これは駆けるのが調練になっているのだ。
限界のぎりぎりまで絞り、その状態でさらに戦いに駆り立てるつもりだろうか。
随分と非情な訓練方法を採るものだ。
もっとも、それだけに達成した場合の効果が高いのは、間違いないだろうが──。
「ステファン・ユーベル! それ以上前と離れたら落伍と見なして斬り捨てるぞ!」
ストリンドベリ先生の雷声が轟く。
はっと思って振り返ると、もう馬にしがみつくのもやっとといった状態の少年がじりじりと隊列から遅れ始めていた。
ステファン・ユーベルか。
確か、ドゥレモから来ているアルス人だったか。
巻き毛の可愛らしい顔立ちの少年で、席次は高等科の最下位の十六位。
正直、中等科トップのヴォルフガングの方が実力はあるくらいだ。
「優しいなあ、ビヨルン。おれなら声を掛けずに突き殺しているぜ」
へらへらと笑いながら、クリングヴァル先生がストリンドベリ先生をからかう。
小男のクリングヴァル先生に比べ、ストリンドベリ先生は巨漢のスヴェーア人だ。
しかも元海賊という素敵な経歴まで持っている。
その威風は圧倒的であり、外見だけ見るならこの騎馬隊で一番凶悪そうに見えるのはまずこの先生で間違いない。
そんなストリンドベリ先生に脅されれば、気弱そうなステファン・ユーベルが縮み上がってしまうのも無理はない。
ついに、維持し続けてきた身体強化も解除してしまう。
魔力再循環が甘いから、維持がきつくなるんだよな。
確か、彼は属性魔法の雷撃魔法を専攻にしていたんだっけ。
遠距離の魔法行使ばかり研究しているから、基本が疎かになっているんだよな。
「ステファン、しっかりしろ! 君はヘルヴェティアを守るために学院に進学したんだろう! こんなところでその夢を投げ出したら、後輩に──イザベルに笑われるぞ!」
ステファン・ユーベルに叱咤を掛けたのは、ヴォルフガングだった。
わざわざ後ろに下がってきてまで、脱落しそうな高等科生を拾い上げようとしている。
それにしても、ヴォルフガングは他の高等科生には敬語なのに、ステファン・ユーベルには敬語を使っていない。
友人なのだろうか。
それでも、ヴォルフガングの檄を受けたステファンは、再度身体強化を発動した。
正解だ。
魔力はきつくとも、身体強化なしではこの連続疾駆に体が追い付かない。
しかし、ヴォルフガングも自分も余裕がないくせによくやるな。
脂汗を流しているのはわかっているんだ。
それでも友人のために動くその意気、悪くない。
「アラナン! イリヤが五マイル(約八キロメートル)先に行軍中のシュドゥアゲルト公国軍を捕捉した。ひとあてしてから、アウグスタに向かうぞ。アラナンはわたしの右後方に、イシュマールはわたしの左後方を追走しろ!」
おっと、ノートゥーン伯が呼んでいる。
最後尾は、クリングヴァル先生とストリンドベリ先生が固めているから問題ないか。
ぼくは指示通りノートゥーン伯の右後方を駆けるとしようかね。
ぼくの後ろには、マリーが続いている。
ティナリウェン先輩の後ろには、ジリオーラ先輩だ。
二人とも、まだ余裕の表情を見せている。
基礎魔法の鍛練を積み重ねているから、この程度の長駆で疲弊はしない。
「シュドゥアゲルト公国軍は、騎士五十、従士二百、傭兵五百ほどだ。行軍はかなり雑然として、統率が取れていないそうだぞ!」
傭兵は余程名の知れた傭兵団でもいないと統率は取れない。
ポルスカで見てきたよね。
実際、ぼくらの相手になり得るのは騎士たちだけだろう。
とはいえ、油断は禁物だ。
「マリー、ぼくの後ろを離れるなよ。流れ弾くらいは、全部弾き返してやるから」
「わたしは騎兵突撃向きの技も魔法も持っていないのよね。厄介そうなやつが来たら、任せるわよアラナン」
「任せとけって。指一本触れさせやしないさ」
後ろを振り向き、マリーに向けて親指を立てる。
あまり品のいい行為でないせいか、マリーは形のいい眉をひそめて首を振った。
でも、口許はしょうがない人とでも言いたげに突きだされている。
「アラナン、うちのことも守ってえや!」
「あら、ジリオーラはイシュマールさんに守ってもらえばよろしいんじゃないかしら?」
「うぬぬ、腹立つでえこの女……うちと場所替わりいや!」
「いい加減にしろ、二人とも!」
最後はノートゥーン伯の叱責が飛んできた。
だが、軽口を叩けるくらい二人に余裕があるのは確かだ。
それは、基礎魔法の身体強化の練度だけではない。
実戦を経験しているというのも大きい。
彼女たちの後に続く高等科生たちの表情はひきつっており、どの顔にも余裕は見られない。
体は悲鳴を上げているし、緊張で喉もからからなのであろう。
三十人ばかりの輸送隊を襲撃するのとは、訳が違うのだ。
列から取り残されれば敵の中に孤立。
それは、間違いなく死を意味する。
だが、最後尾はクリングヴァル先生とストリンドベリ先生がいるのだ。
さっきは脅しつけていたが、あれは二人の本意ではあるまい。
脱落しそうな生徒を拾って生還させるために、あそこにいるはずだ。
「距離五百」
ティナリウェン先輩が冷静に告げる。
おっと、もう敵の軍列が視認できるようになってきたな。
もう二十秒もあれば接敵である。
疾駆で駆けるこの騎馬隊の速度は、相手の斥候の警戒網を容易く無力化する。
何と言っても、斥候が戻るよりこっちの方が速い。
「ま、挨拶代わりだ」
聖爆炎を一発投げ込み、爆発で吹き飛んだところに突入していく。
右手には神銃を持ち、頭上には神槍を遊弋させる。
駆けながら弾丸を乱射し、近付いてくる敵には槍を飛ばして風穴を開ける。
正直、右側の敵でぼくの攻撃を突破してくるやつはいない。
甲冑を身に付けた騎士も、ゲイアサルをぶちこめば胴体から向こう側が見えるようになる。
あまり強い騎士がいないのか。
ノートゥーン伯は突破するだけのようだが、その気になれば殲滅だってできなくはない。
だが、ぼくが一人で殲滅しても、意味はないか。
顔を蒼白にして付いてきている高等科生たちは、長時間の戦闘には耐えられまい。
だから、ノートゥーン伯は一撃離脱を選んだのだ。
何だかんだ言って、彼は無茶な方策は採用しない。
仕方ないな。
ちょっと欲求不満だが、少し抑え目にしながら突破を主目的にして駆け抜けるかな。




