第二十四章 イ・ラプセルの騎馬隊 -3-
マルグレーテ村を出ると、南東に向けて原野を駆ける。
街道は通らない。
ヘルヴェティアを出て、帝国領へと侵入するのだ。
正規の道など利用はできない。
すでに、アンヴァルは疾駆していた。
神馬だけあって、その速度は風のように速い。
アンヴァルの力を分け与えられた他の馬たちも、飛ぶように駆けていた。
「アラナン、上を見やがれです」
駆けながら、アンヴァルが行く手の上空に視線を移す。
ぼくも釣られて上を見上げると、山の方から大きな鳥のような影が湧き出ていた。
「おいおい、また人面鳥かな」
「老いぼれ狼も気付いてやがるです。ほら、もう落ちた」
羽ばたきながら上空を回っていた人面鳥が、次々と凍り付いて落ちていく。
ファリニシュか。
あの様子なら、彼女に任せても問題はなさそうだ。
だが、それで何者かが接近してきているのは悟られただろう。
一気にアンヴァルを駆ると、突き進む騎馬隊の後方に付ける。
先頭のティナリウェン先輩の先には、哨戒の騎兵が一騎逃走していく。
その行く先には、街道を進む馬車と護衛の兵士たちが控えていた。
「火炎翼!」
ティナリウェン先輩が右手を挙げて指示を出す。
槍を構えて迎撃の態勢を取ろうとする兵士たちの直前で、ティナリウェン先輩は左に旋回した。
そのまま後続もティナリウェン先輩に続き──そして右翼に固められた属性魔法師たちが、一斉に火炎魔法を放った。
槍を構えた兵士たちは、一瞬にして猛火に蹂躙された。
特に、ベルナール先輩の火の鳥をまともに食らった兵は、絶叫とともに黒焦げになっていく。
固められた陣形が瞬時に崩壊し、敵の前線は混乱の極致に陥っている。
そこに、旋回したティナリウェン先輩が突っ込んだ。
魔力をまとった剣が縦横に振り回され、隊伍を乱した兵は脆くも突破を許す。
その無様な様子に、立派な甲冑を身に付けた騎士が歯噛みしていた。
あれが、オスカー・フォン・アンドレアス卿か。
「ヘルヴェティアのガキどもが! このおれに刃を向けるか!」
騎士槍を構えたオスカー卿は、馬首をティナリウェン先輩に向ける。
すれ違い様、魔力の盾で騎士槍の突撃を防いだティナリウェン先輩は、同時に横なぎに剣を振るう。
だが、オスカー卿は分厚い金属の甲冑で刃を弾き、そのまま駆け抜ける。
後続のベルナール先輩が至近で火弾を放つが、オスカー卿は魔力障壁で耐える。
続いて撃ちかかった数人の高等科生の刃が払われたが、その奥から突き込んできた一本の騎士槍が激しくオスカー卿の盾を揺らし、衝撃で彼を落馬させる。
殊勲の突撃を敢行したのは、ヴォルフガングだ。
なるほど、剣より槍が得手と言うだけのことはある。
騎士試合では、かなりの強さだったのではないか。
敵の主将を落馬させ、ヴォルフガングは僅かに気を緩めた。
「ヴォルフガング──!」
それと見たぼくは、思わず声をあげる。
戦場は一対一の試合ではない。
主将を討ったからと終わらないこともある。
果たして、横合いから死角に飛び込んできた軽装の兵が、跳躍してヴォルフガングを蹴り飛ばした。
たまらず地面に落ちるヴォルフガング。
兵は身軽に着地すると、一気にヴォルフガングとの間合いを詰める。
まずい、あれはアセナの歩法。
やはりいたか、闇黒の聖典!
ヴォルフガングの反応は、間に合っていない。
槍を手放し、咄嗟に剣を抜こうとするが、その前に敵の掌打が入る。
ヴォルフガングも金属の鎧を着ているが、アセナの拳士なら鎧を徹して直接体に魔力を伝えてくる。
慌てて太陽神の翼を発動しようとするが、その瞬間闇黒の聖典の動きが不自然に止まった。
その一瞬がヴォルフガングを救った。
剣を抜きざま、首を斬り飛ばす。
そしてヴォルフガングは馬の手綱を押さえると、エスカモトゥール先生にぺこりと頭を下げた。
そうか、あの闇黒の聖典が動きを止めたのは、エスカモトゥール先生が心理魔法で何かやったのか。
派手さはないが、彼女の魔法は対人では恐ろしく威力を発揮する。
咄嗟の対応力は流石である。
目を転じると、落馬したオスカー卿に、ジリオーラ先輩が斬りかかっていた。
オスカー卿も剣を抜いて迎撃するが、斬りつけた瞬間ジリオーラ先輩の姿がぶれ、その姿が幾つも分裂する。
水鏡に映る影。
空を切った刃を戻そうとしたところで、ジリオーラ先輩の剣がオスカー卿の兜の隙間から突き入れられた。
絶叫が響き渡ったところで、襲撃は終わった。
すでに騎馬突撃で蹴散らされた兵たちは、クリングヴァル先生とストリンドベリ先生によってとどめを刺されている。
ぼくとノートゥーン伯は本当に見ているだけで終わったな。
ぼくたち抜きで勝ったのは上々ではあるが、課題も残らなくはない。
ティナリウェン先輩の騎馬隊の動かし方は悪くはなかったが、部隊の練度がまだ付いていけてない。
だから、ヴォルフガングのように不覚を取ってしまうのだ。
そこらへんは追々経験を積めばよくなるだろうが、ヴァイスブルク家との戦いまでさほど時間もないのも確かだ。
「アラナン!」
おっと、ノートゥーン伯が呼んでいる。
オスカー卿が運んでいたのは、馬車一台に積まれた四つの魔法の箱。
物資が満載されたそれを、すでにファリニシュが自分の魔法の袋に格納している。
普通は魔法の袋の中に魔法の袋を入れるのは不可能なはずなのだが、ファリニシュに常識は通用しないようだ。
「物資は確保した。さあ、急ぐぞ、アラナン。アウグスタに、シュドゥアゲルト公国軍が迫りつつある。これを迎撃しなければならない」
ノートゥーン伯は、騎馬隊の次のステップにシュドゥアゲルト公国軍を選んだようだ。
シュドゥアゲルト公国は、旧きアレマン人の名門シュタウフェン家の治める地だ。
かつては帝国皇帝も輩出した名家だが、いまやアレマン人の頭領はヴァイスブルク家のものとなっている。
当然、彼らはヴァイスブルク家に呼応して軍を起こしており、東に位置するパユヴァール公国を突破しようとしている。
パユヴァール公国は、いまルイーゼさんが行って親族をまとめているところだ。
シュタウフェン家の軍にすぐ対応するのは難しい。
シュドゥアゲルト公国もそれがわかっているから素早く軍を動かし、聖修道会側の帝国自由都市アウグスタの攻略を目指して進軍しているのだ。
だが──。
「まあ、待ちなよ、ノートゥーン伯。まずは戦ったみなを労おうぜ。ティナリウェン先輩も、ジリオーラ先輩も、ヴォルフガングだって頑張っていたじゃないか」
そう、ノートゥーン伯はもう次の作戦で頭が一杯のようであったが、それではちょっと困る。
理性的で研究家肌のノートゥーン伯は、やや人情の機微には疎いところがあるんだよな。
幾ら学長の命令でも、それじゃ高等科生に段々不満が溜まっていってしまう。
「ああ、すまない。ちょっとイリヤからシュドゥアゲルト公国軍の進軍の状況について聞いていてね。それで気が焦っていた。いや、みな初めての者もいただろうが、よくやってくれた。ジリオーラも、よくオスカー卿を討ったな」
「あんなん、ヴォルフガングの撃ち漏らしや。大したことあらへん。せやけど、そのヴォルフガングは大事ないんか?」
「はっ。心配をお掛けして申し訳ありません。特に外傷もなく、支障はありません。大丈夫です」
兜の面頬を上げ、ヴォルフガングが無事を伝えてくる。
だが、彼の後ろにいたぼくは思わずにやついてしまった。
「おい、ヴォルフガング。その新しい鎧、背中のところちょっとへこんでいるぞ」
「えっ、本当ですか!?」
思わず後ろに手を回そうとするが、甲冑の可動域が狭く後ろまでは回らない。
黒騎士から贈られたというまだ新しい甲冑を密かに大事にしていたヴォルフガングは、ちょっと泣きそうな表情になっていた。
彼がそんな顔をするのは珍しく、みなもどっと笑った。




