第二十三章 ベールの嵐 -6-
「──これはベルンシュタイン総主教。かような場所で何をなされておいでで」
居丈高であったカッサーノ神父の様子に、警戒の色が浮かぶ。
シピやぼくたちには強硬な態度は取れても、評議員であるベルンシュタイン総主教にはそうもいかないようだな。
「かような場所と言われても、此処は本日から聖修道会が買い上げておりましてな。これが土地と家屋と商売の権利書です」
総主教が分厚い手で羊皮紙の束を差し出す。
それを受け取ったカッサーノ神父は、中を見て血相を変えた。
本物の権利書だったのか。
「莫迦な。権利の譲渡手続きがあれば、我々が知らぬはずがありませぬ」
喘ぐルエーガー隊長に、シピは妖艶に微笑んだ。
「あら、ベール市庁にわたしたちの味方がいないと思っているのかしら。一日くらい、手続きが見つからないようにすること程度容易いことよ」
「これで、此処が聖修道会のものであるとご認識いただけましたかな、お二方。ところで、ノートゥーン伯が捕縛されているようですが、何の容疑でしたかな」
ベルンシュタイン総主教が、錠を掛けられたノートゥーン伯に目を向けた。
ルエーガー隊長の顔が真っ赤になり、そして蒼白となった。
慌てて手に持った執行書を仕舞おうとしたので、瞬歩で移動し、その手から執行書を奪い取る。
「家宅への不法侵入、及び住民への暴行と脅迫だったっけ。ベルンシュタイン総主教猊下、さような告発をされたので?」
「いやですね、アラナン君。わたしがそんな告発をするはずがないじゃないですか」
「すると、これは誤認逮捕っちゅうことやねんな」
ぼくとジリオーラ先輩に詰め寄られ、ルエーガー隊長はじりじりと後退した。
その顔は、嵌められたことを完全に悟っている。
しかも、その責任がベール市長とクウェラ大司教にも及ぶことになるのだ。
「あんさん、こらまずいで。ことはヘルヴェティア一国に収まらへん。アルビオンの大貴族を誤認逮捕したなんて知れたら、あんさんの首のひとつやふたつじゃ収まりがつかへんねんで」
「──この絵を描いたのは、貴様か、シピ・シャノワール!」
ぎりぎりとカッサーノ神父が歯噛みをする。
情勢が不利なことを悟ったようだ。
部下とともに、一気に魔力が膨れ上がっていく。
ほう、ルウム教会は此処で実力行使に出るつもりかな。
「いいのかしら、カッサーノ神父。此処はヘルヴェティアの中心地。ルウム教会の援護は期待できないのよ」
「ほざけ、黒猫! かような稚拙な罠で我らを押さえられると思うな!」
身体強化とともに短剣の輝きが煌めいた。
同時に、カッサーノ神父の後方から突進してきた部下が二人、漆黒の触手に捕まって投げ出される。
シピの闇魔法か。
そのまま影の中に沈められる二人に、流石のカッサーノ神父も息を飲んだ。
「おのれ、神に逆らう魔女め……」
「黄金級冒険者相手に、その程度の速度で何とかなると思われても困るのよね。後ろの雑魚が何人来ても、結果は同じよ、カッサーノ神父」
正直、シピは三人の黄金級の中でも一番純粋な戦闘力は低いはずだ。
だが、やりにくさでいったら一番かもしれない。
搦め手の手妻を、何種類も持っているのだ。
ぼくのように正面から向かう相手は、シピにしてみればやりやすいことこの上ないだろう。
「窓を破って外に出るには、アラナンが邪魔よね、カッサーノ神父」
微笑みながらシピが紅い下唇を指でなぞった。
「階段から脱出? でも、もうそこには残念ながら……」
そういや、シピは読心が使えるんだっけ。
この神父も精神障壁くらい張っているだろうに、突き破ったのかな。
「怖い人がいるのよねえ」
シピの指し示す先を見ると、階段を昇ってくる飛竜が視界に入ってきた。
初めて、カッサーノ神父の表情に絶望の色が浮かぶ。
「アセナ・イリグ……来ていたのか」
「万全を期した」
飛竜のいらえは、相変わらず端的で短い。
そして、瞬きをする間にカッサーノ神父以外のルウム教会の暗部たちは昏倒していた。
飛竜に動いた様子は見えなかったんだぜ。
倒す瞬間にも気配を感じさせぬとは、本当に恐ろしい技術である。
「はい、残念ね、カッサーノ神父」
神父が懐中から何かの薬を取り出した瞬間、シピの影が伸び、その薬を奪い取った。
「自殺なんてさせないわ。楽に死ねると思わないことよ、カッサーノ神父」
「黒猫お……」
がくりとカッサーノ神父の膝が折れる。
と、思った瞬間神父の体がばねのように弾けとんだ。
神父が向かった先は、ベルンシュタイン総主教。
飛竜にもシピにも敵わぬと見て、人質にしようとでも思ったか。
だが、シピは完全にそれも読んでいた。
張り巡らされた影の触手がカッサーノ神父の足を捕らえ、そのまま地面に引きずり落とす。
「おいたはいけませんわ、カッサーノ神父」
歯を剥き出して怒るカッサーノ神父に、シピはひらひらと手を振った。
そのまま、ずるずると神父は影の中に引きずり込まれていく。
鬼のような形相で睨むカッサーノ神父に、シピは軽く肩をすくめるだけであった。
「大人しくされますわね、ルエーガー隊長?」
シピはノートゥーン伯に近付き、軽く手錠をなぞった。
すると、するりとノートゥーン伯の手から錠が抜け落ちる。
圧巻の手際を前に、ルエーガー隊長に抵抗の意志は残っていなかった。
「──抵抗はしません。しかし、まだわかりません。何故我らの裏を取れたのか。情報が漏れるはずがなかったのですが」
「さあ、何故かしらね?」
ルエーガー隊長の疑問に、シピはぼくの方を向いて片目を瞑ってきた。
えーっと……そうか、あのクルメナッハ氏かな。
襲撃されて殺されそうになっていた人。
要するに、向こうの情報を握っていて、口封じされるところを助けたってことなのか。
それであんな面倒な手順を踏んだんだな。
シピと冒険者たちが警備隊を捕縛し、連行していく。
それを見送っていた飛竜が、不意に振り向くとぼくたちに視線を向けてきた。
「さて、行くぞ」
ジリオーラ先輩と、マリーが目を丸くした。
何処へ行くのか、さっぱりわからなかったのだ。
「市庁舎ですか、ニーデ教会ですか」
「ニーデ教会だ」
ノートゥーン伯だけは、わかっているらしい。
飛竜に尋ねると、彼は短く答えた。
「ということだ。アラナン、聖騎士を捕縛に行くぞ。市庁舎は、ギルドに任せればいいようだ」
ああ。
つまり、証拠を掴んだから、ベール市長と聖騎士を確保するのね。
で、市長の方はシピが、コンスタンツェさんには飛竜とぼくたちが行くと。
飛竜が行くなら出番はない気はするけれど、まあ気を抜かずに張り切っていきますか!




