第二十三章 ベールの嵐 -5-
そこは、ベールでも指折りの高級宿であった。
グウィネズ大公と食事をしたミル・サンス亭に匹敵する価格帯の宿である。
フラテルニアでのぼくの常宿である菩提樹亭と比べると、桁が二つばかり高い。
そんな高級宿に何故来ているかと言えば、これも大魔導師からの指示であった。
シピ・シャノワールと冒険者ギルドの精鋭十二人。
それに、ぼくたちが加わっている。
何をするのかと言えば、宿の主人の確保だ。
この宿の主人が、ベールの市長フロリアン・メルダースとエーストライヒ公が通じている証拠を握っているという。
(あのフロリアン・メルダースが、そんなに迂闊なことをするかな?)
ぼくの印象では、あの市長は自分の手を汚さない人間だ。
計画を立てるにしても、自分が直接噛まない形でやるだろう。
あれだけ堂々と大魔導師と対立していても、未だに評議員として存在し続けているのだ。
そう簡単に尻尾を出す人物ではない。
(わたしも怪しいと思うわ)
ぼくの呟きに、マリーも同意してきた。
ベール市長は油断のならぬ人物だ。
ヘルヴェティア自由都市連合を導く上で、最も警戒せねばならぬ相手である。
それが、易々と手の内を見せるだろうか。
(大丈夫だ。学長を信じろ)
ノートゥーン伯は、大魔導師には絶大な信頼を寄せている。
エアル人のぼくと、アングル人の伯爵の間には、本来こんな関係が築けるきっかけなどあるはずがない。
その仲立ちとなっているのが大魔導師だと思うと、やはり彼は大した人物なのだろう。
表通りには、怪しい人影はなかった。
ベール警備隊は通常の編成で巡回しているが、タイミングを見計らえば切れ目はある。
その隙間を待ち、シピの命令でぼくたちは中に突入した。
高級宿には、不思議と人気がなかった。
不自然なほどに宿泊客も従業員も見当たらない。
無人の廊下を進み、気配のある階上へと昇る。
(どういうことだろう)
(襲撃が気付かれていたのかしら)
(せやけど、一人だけ待ち受けてるもんがおるで)
最上階の一室に、一人だけ待ち受けてる人間がいる。
どう考えても怪しいのだが、シピもノートゥーン伯も警戒する様子はなかった。
(貴方たちは此処で待っていなさい)
部屋の中には、シピと二人の男だけが入っていく。
ぼくたちは、部屋の前に置き去りだ。
どういうことなのだろう。
(まあ、待っているのだ。じきにわかる)
ノートゥーン伯の口振りでは、彼はこの先に起こる事態を知っているようであった。
何でぼくたちには内緒でノートゥーン伯だけ知っているのかは不満だが、ぼくたちの指揮官はノートゥーン伯という形になっているから当然なのか。
暫く待っていると、通りに一般の人通りが絶え、ベール警備隊とルウム教会の暗部たちの気配が集まってくる。
この間の襲撃者と同じ連中だ。
聖騎士がいないのは、こちらの戦力を舐めているのだろうか。
しかし、入るときは警備隊に感知されずに入ったのに、何故素早く彼らが集結してきたのだろう。
それに、隠れて入り込んだ割には、この警備隊の動きにシピたちは反応しない。
下に配備されていたシピの配下の冒険者たちを前に押し立てながら、警備隊が上がってくる。
彼らは部屋の前のぼくたちを認めると、階段を上がったところで立ち止まった。
「これは魔法学院の面々。此処で何をしておいでですかな」
先頭に立つのは、ベール警備隊の隊長グスタフ・ルエーガーだ。
一応、それなりに重要な人物を手配してきたようだな。
「冒険者が宿にいる。用事はひとつだろう。宿泊しているのだよ」
真面目なノートゥーン伯が、人を食った返答を返す。
思わずマリーと顔を見合わせてしまった。
伯爵は、本気だろうか。
宿帳でも調べられれば、すぐに嘘はばれるぞ。
「我々は、不審な侵入者がいると通報を受けて来ています。言い逃れはためになりませんぞ」
ルエーガー隊長が、髭を撫で付けながら前に出てくる。
勿体ぶった男だな。
何となくわかってきた気がする。
これは、ベール警備隊とルウム教会の張った罠なのだろう。
シピと冒険者ギルドの諜報部を対象に、一網打尽にする罠を仕掛けていたに違いない。
ぼくたちは、意図せず引っ掛かってくれた大物というわけだ。
「隊長、その通報は誰がしたものかな」
「当然、此処の主人のホフマン氏からに決まっております。抵抗はしない方がよろしいですぞ、ノートゥーン伯。ベールの治安を守る者として、遺憾ながら拘束させていただきます」
ルエーガー隊長が合図をすると、警備隊が拘束のための手錠を持って進み出てくる。
ノートゥーン伯は、笑顔のまま彼らの動きを見守っていた。
「知っていると思うが、わたしとアラナンは学院生でありながらアルビオン王国にも権利を認められている。我々に手を出すとアルビオン王国が相手となるわけだが、隊長はその許可を得てから来ているのかな?」
「誰が相手であろうと関係ありませんな。このベールでは、自由都市連合の法が全て。法を犯す者はみな逮捕させていただきます」
「ほう。容疑は何かな」
「家宅への不法侵入と住民への暴行、脅迫ですな。さあ、それがしは被害者を保護せねばなりません。大人しくしていただきますぞ」
伯爵は大人しく拘束を受けた。
だが、警備隊は次にぼくたちまで拘束しようとしてくる。
でも、何もわからないまま大人しく捕まるわけにもいかない。
この程度の連中なら、本気を出さなくても一人で片付けられる。
ルエーガー隊長を逆に拘束してやろうかと思った瞬間、部屋の扉が中から開き、シピが現れた。
「何の騒ぎかしら、ルエーガー隊長」
「残念なお知らせです、シピ・シャノワール。貴女を逮捕せねばなりません」
「あら、どうしてかしら、ルエーガー隊長。冒険者ギルドに手を出すとか、一介の警備隊隊長に判断できる権限を超えていると思うのだけれど」
「これは、ベール市長フロリアン・メルダースと、クウェラ大司教コンスタンツェ・オルシーニの評議員二名による連名の執行書ですぞ。この通り、ルウム教会のジョルジョ・カッサーノ司祭も同行されております」
ルエーガー隊長が取り出した執行書には、確かにベール市長とクウェラ大司教の署名がされていた。
シピは僅かに口の端を上げると、ルエーガー隊長の後ろに控える教会の暗部に丁重に挨拶した。
「お初にお目にかかりますわね、カッサーノ神父。高名はかねがね伺っておりますわ。──でも、神父らしくもない失敗をされましたことね」
「どういう意味かね、ギルドの雌猫。我々は、此処の主人ホフマンの要請で出動してきたのだ。心証を悪くする態度は、ためにならぬと心得よ」
「でもね、カッサーノ神父。此処の宿の主人は、今朝からホフマン氏じゃなくなっているのよ」
いたずらっ子のようにシピが笑った。
彼女の後ろから出てきたのは、熊のように大きな身長の男であった。
聖修道会の総主教ウルリッヒ・ベルンシュタイン!
最上階の部屋にいた人間は、この男だったのだ。




