第二十三章 ベールの嵐 -1-
夏のベールの風は、爽やかで気持ちいい。
暑いというほどでもなく、無論寒くはない。
上着を着なくても過ごせるし、動くと汗ばんでくる程度だ。
そんなベール近郊の丘にいながら、滝のようにぼくは汗を流している。
早朝、まだ気温も上がっていない時間帯にも関わらずだ。
ぼくの隣には、槍を振るうクリングヴァル先生。
そして、ノートゥーン伯とマリーとジリオーラ先輩だ。
先輩たちがやっているのは、魔力再循環の基礎練習。
ぼくとクリングヴァル先生がやっているのは魔力圧縮の基礎練習だ。
先輩たちは動かずに魔力だけを体内で循環させているが、ぼくと先生はアセナの型をなぞりながら、その一撃に重く圧縮した魔力を乗せて放っている。
周囲の魔力を集めてではなく、自分の魔力だけでやるように言われているからかなりきつい。
そしてわかるのが、先生とぼくの魔力圧縮の練度の差だ。
信じられないくらい高密度に圧縮された先生の魔力は、その魔力操作の巧みさの現れだ。
そしてそれは、虚空の魔力の操作にも繋がる。
虚空から引き出した魔力を丹田に集め、圧縮して爆発させ増幅する。
それが制御できて初めて第三段階の準備ができるという。
ぼく程度の制御力では、まだ到達できない。
だが、クリングヴァル先生はもう第三段階の鍛練も始めていた。
クリングヴァル先生の集中を感じる。
引き出した虚空の魔力の大きさは、センガンの保有魔力にも劣らない。
それを、クリングヴァル先生は圧縮し始めた。
槍の穂先へ。
小さく、そして鋭く。
そして繰り出される雷光の一撃。
遅れて、まさに雷鳴が落ちたかのような轟音が響き渡る。
解放していれば、家の一軒くらい吹き飛ばしそうだ。
「魔力の圧縮が甘いぞ、アラナン」
クリングヴァル先生は、ぼくの右拳の先に宿った魔力を見て、不満そうに口を突き出した。
「その程度じゃ、密度の濃い虚空の魔力は圧縮できない。また制御できなくて暴発するのが落ちだぞ」
「これ以上は──無理ですよ」
「無理じゃない。無理と思ったところから、もう一段階は普通に圧縮できる。そこから圧縮するには、技巧がいるがな。だが、それにはいまの先に進んでからだ」
正直、いまの圧縮だって本当に限界ぎりぎりまで集中して行っている。
玉のように汗が浮き出ていることからもわかるってもんだ。
「いま、お前がそれ以上できないのは、心に安全弁が掛かっているからだ。それ以上の圧縮が危険だと頭が無意識に思ってしまっている。それを外せなきゃ、いつまでたってもそれ以上の圧縮はできねえ」
クリングヴァル先生は槍を回転させると、魔法の袋の中に消し去った。
そして、ノートゥーン伯の隣に歩み寄ると、その背中に掌を当てる。
「──ふん、魔力再循環の速度はまあまあだな。お前は、魔力圧縮の訓練に移れ」
だが、マリーとジリオーラ先輩には合格は出なかった。
二人の魔力の循環速度は、まだ甘いと駄目を出される。
魔力の循環速度は、すなわち身体強化の強さだ。
二人の身体強化は、すでに学院の高等科の域を超えているんだが、当然先生はその程度で満足してくれない。
ジリオーラ先輩は、すでにフェストに出場してもおかしくないくらいの力量はあると思うんだけれどね。
「あかんて。集中力が切れてきたわほんま」
ジリオーラ先輩が苦悶の表情を浮かべる。
自分の限界を超えるための鍛練は、短時間でも消耗がひどい。
先輩でもそれは例外ではない。
これを突破してクリングヴァル先生に認めさせたノートゥーン伯は、やはり天才だ。
「ほんと、これなら実戦の方が楽なくらいよ」
「大層な口を叩くじゃないか、マルグリット」
マリーのこぼした愚痴に、クリングヴァル先生が反応した。
「おれとの組手の方がいいというなら──」
「マルグリット高等科生、遠慮しときます!」
「遠慮はいらん。さあ、いつでも掛かって──」
クリングヴァル先生がアセナの構えを取ろうとしたとき、マリーにとって運のいいことに大魔導師からの念話が届いた。
時間切れ。
連合評議会の時間が迫っていたのである。
「先生、大魔導師がすぐに戻ってこいとのことです。連合評議会が始まります」
先生は如何にも嫌そうな表情で振り向いた。
会議で体をじっとさせておくとか、先生には耐えられないのだろう。
だが、大魔導師は今回自分の側付きとしてノートゥーン伯とジリオーラ先輩、飛竜の側付きとしてクリングヴァル先生、ベルンシュタイン総主教の側付きとしてマリーを隣席させることにしていた。
ぼくは側付きではなく、選帝侯会議の内容を報告する者として参加である。
無論ぼくたちは評議員ではないので票は持っていないが、大魔導師の意図は会議を見せることで経験を積ませようとしているのだろう。
ノートゥーン伯やジリオーラ先輩など、将来評議員になってもおかしくない才覚の持ち主だ。
マリーだって貴族の令嬢だしな。
ぼくやクリングヴァル先生みたいな脳筋ではない。
連合評議院に入ると、クリングヴァル先生たちは傍聴席へと向かう。
だが、ぼくだけは評議員のいる議場へと向かった。
側付きの名目で入れたみんなは傍聴席でのんびりできるが、報告者は議場に行かなければならない。
此処の議場にはいい思い出がないんだよな。
前は、ユルゲン・コンラートと決闘する羽目になったしさ。
議場の扉の前まで進むと、否が応でも中にいる巨大な魔力の圧力がのし掛かってくる。
大魔導師や飛竜の魔力ではない。
彼らは逆に魔力を隠して察知させない。
では、この駄々漏れの魔力は誰かと言えば──。
扉を開けなくても、ぼくにはわかる。
聖騎士コンスタンチェ・オルシーニ。
死んだクウェラ大司教の後任として評議会に潜り込んできている教会の手先だ。
この全く隠そうとしない魔力は、ヘルヴェティア自由都市連合に対する恫喝のつもりか?
自分の腕には自信があるのだろうが、大魔導師と飛竜を前によくやるよ。
議場の中では、開会の言葉があって議事が進み始めたようだ。
今日の司会は聖修道会のウルリッヒ・ベルンシュタイン総主教のようだ。
コンスタンチェさんに対する牽制か?
ベールの市長フロリアン・メルダースが司会かと思っていたけれど、今日は色々と大魔導師が強権を行使していそうだ。
「続いてフランヒューゲルにおいて開催された選帝侯会議についての報告に移ります。報告者はフラテルニア魔法学院の高等科生アラナン・ドゥリスコル」
さて、出番だ。
コンスタンチェさんやメルダース市長がどう出るかはわからないが、リンブルク家の援護くらいはできるよう計らわないとな。




