第二十一章 乱世の胎動 -8-
フランヒューゲルは、ボーメン王国の都プラーガから見て、ほぼ真西にある。
ゆえに、東に飛べばボーメン王の一行に遭遇できるはずだ。
日程を計算すれば、恐らくそろそろパイヴァルトに到着する頃だろうか。
フランヒューゲルの東に広がるシュペッサルト山地を一気に越えると、一時間ほどでヴュルゼンブルクが眼下に見えてくる。
ここは司教領で、ヴュルゼンブルク司教はマイン大司教の管轄下だ。
この辺りは昔に諸侯が気前よくルウム教会に土地を寄進してくれたお陰で、本当に教会の権力が大きい。
皇帝が教会に反抗するのが簡単ではないのが、これだけでもよくわかる。
そこから一時間ほどで東に飛べば、ローゼンツォレルン家の支配する都市パイヴァルトが見えてくる。
帝国自由都市であるネーンベルクから、北東に五十マイル(約八十キロメートル)ほどであろうか。
パイヴァルト侯の爵位は、アルフレートの父親であるブランデアハーフェル辺境伯が有している。
謂わば、此処は彼の飛び地である。
従って、ボーメン王も気兼ねなく逗留できるわけだ。
ことに、ボーメンとの境界をなすフィヒテル山地を越えてきたとなると、一息入れたくなるのが人情というものであろう。
大体、ああいう場所では魔物が徘徊しているものだしな。
日暮れまではまだ時間があるので、もう少し先まで見に行ってみる。
予想通り、フィヒテル山地を越えた街道を、二百騎ほどの騎士と従士を伴った馬車が進んでくる。
あれが、ボーメン王の一行だ。
赤地に銀の獅子の旗は、紛れもなくリンブルク家の紋章である。
これが黄金の宝冠をかぶった獅子ならば、レツェブエル家の紋章になる。
ボーメン王ヴェンツェル・フォン・リンブルクの一行の先頭を行く騎士は、ボーメン最強の騎士フレデリック・フォン・ヴァルトシュタインだろう。
輝く銀の甲冑をまとった姿は、陽光を反射しまばゆいばかりだ。
とりあえずは、このままパイヴァルトに引き返し、そこでボーメン王を待つのが賢い選択であろう。
だが、その日のぼくは、ちょっと冒険心に溢れていた。
行列の少し前の街道に降り立つと、道を塞ぐようにして待ち受けたのである。
すぐに、先頭の白馬がやって来た。
フレデリック卿は通行を邪魔するぼくを発見すると、手綱を引き絞って馬を止める。
「何者だ。これをボーメンの統治者、リンブルク家のヴェンツェル一世陛下の一行だと知っての所業か!」
「ご無礼お許しを、フレデリック卿。ぼくは、フラテルニアのアラナン・ドゥリスコル。黒騎士の書状を陛下にお届けに参りました」
フレデリック卿はまだ若いぼくを胡散臭そうに見つめたが、レナス帝領伯の封蝋が捺されている書状を見ると、本物だと認めたようであった。
「確かに、レナス帝領伯のものだ。だが、何故彼はお前を使者に任じたのだ?」
書状を受け取りながら、まだフレデリック卿は半信半疑のようであった。
「ぼくが最も速く書状を届けられるからです。黒騎士の弟子のハンス・ギルベルト・フォン・ザルツギッターとは、ぼくは親友ですからね。これくらいの手伝いはしますよ」
「おお、ザッセン辺境伯のご子息の」
ザッセン人の盟主とも言うべきザルツギッター家は、ボーメン王のリンブルク家を支える重要な柱のひとつだ。
その息子と繋がりがあるというのは、警戒を解く理由になったらしい。
フレデリック卿は行列を止めると、ぼくをボーメン王の馬車まで連れていった。
銀獅子の紋章の入った馬車の扉が開くと、五十代くらいの黒髪の男が出てきた。
スカンザ民族にしてはやや線が細いが、イシュクザーヤ系の血も混ざっているのだろうか。
「黒騎士が余に書状を寄越すとは、フランヒューゲルで何かあったのか?」
長くレツェブエル家の番人として仕えてきたアルトゥール・フォン・ビシュヴァイラーは、ボーメン王にも絶大な信頼がある。
常に沈着に皇帝の側に仕え、帝国の守護者として皇帝家を支え続けてきた男だ。
その男からの書状ということで、王はよほどの事態かと思ったようであった。
「選帝侯会議の鍵を握る提言かと思われます、陛下」
ぼくがそういう言うと、フレデリック卿は黒騎士の書状をボーメン王に渡した。
封を開け、書状に目を通したヴェンツェル一世は、すぐに眉を寄せて厳しい表情を作った。
フレデリック卿の表情も、それに釣られて不安そうなものに変わる。
「凶報でしょうか、陛下」
「いや──悪い知らせではない。だが、難しい──決断を迫る内容であることは確かだ」
ボーメン王は手を振ってフレデリック卿に行軍を再開するように伝えると、ばくに馬車に同乗するように言ってきた。
「返事はパイヴァルトで認める。そなたは、それまで余と行動をともにせよ」
「はっ」
それまでの道中で考えをまとめたいということだろう。
馬車には、四十代くらいの金髪の女性と、二十代の金髪の青年も乗っていた。
ヴェンツェル一世の家族であろうか。
「余の妃のバルボラと、息子のフランツだ。彼は、黒騎士からの使いだ。ベールのフェストで黒騎士と引き分けたというアラナン・ドゥリスコルだ」
「ルウムの聖騎士に勝ったという少年ですか。こうして見ると、普通の子供にしか見えませんがね」
くっくっとフランツ王子が笑った。
だが、ボーメン王は息子には取り合わず、黒騎士の手紙を王妃に渡した。
訝しそうにその書状を見た王妃は、最後まで目を通すと、興味深そうに大きく頷いた。
「面白いわね、これ」
「面白がるな。戦争を前提にした話だぞ」
「でも、間違ってはいないでしょう。貴方が皇帝になれば、ヴァイスブルク家は兵を挙げる。逆もまたしかり。何故なら、皇帝になった方が、なれなかった方を潰すからよ──必ずね」
ヴェンツェル一世は、渋い表情を作った。
「帝国の諸侯だけで見れば、余が圧倒的に優勢だ。エーストライヒ公の味方は聖界諸侯と南部のアレマン人貴族、ラーヘ・ランデン、それと若手の跳ねっ返りどもにすぎぬ。だが、外国を見ればどうだ。マジャガリー、ポルスカ、スパーニア。下手をすればアルマニャックもだ。四方を囲まれているに等しいのだぞ」
「ヘルヴェティアとアルビオンを味方にすれば、西は気にしなくてもよくなるわよ、ヴェンツェル」
ボーメン王よりも、王妃の方が胆が座っているように見えるな、これは。
涼しい顔で自説を展開するバルボラ王妃に、ヴェンツェル一世は気押されているようだ。
「東はペレヤスラブリとセイレイスを何とかなさいな。そうすれば、わたしたちは国内の敵だけを見て行動できるわ」
「──しかし母上。パユヴァール公に力を与えすぎるのも問題ですよ」
ようやく黒騎士の書状を読み終わったフランツ王子は、母親の積極策に異を投じた。
「彼は、ザッセン辺境伯やブランデアハーフェル辺境伯ほど信用できない。あまり大きくしすぎると、後々問題になります」
「お前の言うとおりです、フランツ。でも、そんなことは皇帝になった後に考えることです。なる前に、なった後のことを心配しても無意味です」
強いな、この王妃。
夫にも息子にも、一歩も退く気はないようだ。
「この話、お受けなさい、ヴェンツェル。わたしたちは、今こそ勝負に打って出るべきなのです」




