第二十一章 乱世の胎動 -5-
タウルベルク山地の南に流れるマイレン川の畔に、その都市は佇んでいた。
帝国自由都市フランヒューゲル。
選帝侯会議の舞台となる街である。
人口は一万人程度で、それほど大きな都市ではないらしい。
ヴェアンの盛況を見た後だと、小さく見える。
だが、その中堅都市がいま、多くの馬車でごった返していた。
ポルスカに行くときに使った偽の旅券で、門から市街に入る。
中に入るのには結構待たされたが、それだけフランヒューゲルに来る人が多いのだろう。
街の中も多くの人が行き交っており、普段とは違う喧騒に包まれているようであった。
とりあえず向かったのは、ギルドである。
レオンさんたちが到着していれば、合流しなければならない。
だが、受付で聞いたところ、まだレオンさんたちは到着していなかった。
仕方がないので、自分の到着だけ知らせておく。
会議が開催される聖バルトマイン大聖堂は、マイレン川のすぐ北、レーベン広場の端にそびえ立っていた。
そう、まさにそびえ立つというのが相応しい高さだ。
この塔の高さは、百ヤード(約九十メートル)はあるだろう。
上を見上げるだけで、眩暈がしてくるようだ。
会議の参加者でフランヒューゲルに到着しているのは、まだマイン大司教だけのようであった。
地理的にマイン大司教領が一番近いから当然であろうか。
他の諸侯もおいおい着くであろうが、どうやら早く着きすぎたようだな。
三日ほどの後、ヴィオルン大司教とトレヴェリンゲン大司教が到着した。
その二日後には、レナス帝領伯、すなわち黒騎士がやってくる。
豪華な馬車で大勢の供を引き連れてきた聖界諸侯たちに比べ、黒騎士は五騎の騎馬のみである。
街の民衆の歓呼の声がなければ、見逃してしまうほど簡素な旅姿だ。
そして、黒騎士の随行には、もちろんあの男の姿があった。
ハンス・ギルベルト・フォン・ザルツギッター。
心なしか、精悍さが増したように見えるな。
「ハンス」
沿道の民衆に紛れて立っていたぼくは、ハンスが通りすぎるときに声をかけた。
ハンスは顔をこっちに向けると、いきなり目を丸くして叫んだ。
「アラナン君、何でこんなところに!」
「ちょっとな。後で行くから、ゆっくり話そう」
宿の名前だけ聞いて、その場では別れる。
話したときの声の調子は、全く変わっていなかった。
いつものハンスだな。
時間を潰して、落ち着いた頃にハンスの言っていた宿を訪ねる。
レーベン広場の宿を取っているのは流石だな。
この近辺は満員だと断られたよ、ぼくは。
会議に参加する諸侯は、あらかじめ確保してあるんだろうか。
ハンスの部屋に行くと、ハンスともう一人壮年の騎士が中にいた。
どうやら、二人部屋のようだ。
「こちらはクルト・フォン・シュトローマー卿だ。レナス帝領伯とともに陛下にお仕えしていた皇帝騎士の一人だよ。クルト卿、こちらはアラナン・ドゥリスコル。わたしの学院の同期で、フェストでレナス帝領伯と引き分けた男です」
「はじめまして、クルト卿」
「お噂はかねがね。その若さで信じられぬ強者とか」
クルト・フォン・シュトローマーの名前は、学長から聞いたことがあった。
トレヴェリンゲン大司教領の付近にある小さな騎士領群の中の一人だ。
聖修道会に近く、ルウム教会に反発しており、特にトレヴェリンゲン大司教と仲が悪い。
「それにしてもびっくりしたよ、アラナン君。リンドス島へ行ったと聞いていたんだ。セイレイスに攻められているんじゃなかったのかい?」
「その戦いは終わったよ、ハンス。リンドス騎士団の勝利だ。セイレイスの皇帝を捕虜にしたんだ。暫くセイレイスは身動きが取れないだろう」
リンドス島の戦いの結果は、まだ此処までは届いてないようであった。
サルディカの商人の耳には入っていたが、ちょっと此処は距離が遠いようだな。
まあ、すぐに広まるだろうけれど。
「皇帝崩御の報を聞いてね。みんなを置いて先に飛んできたんだ。リンドス島からフランヒューゲルまで、三日でたどり着いたよ」
「三日って──リンドス島からフランヒューゲルまで、千四百マイル(約二千二百五十キロメートル)はあるだろうに。どんな早馬だって、そんな速度は出せまいよ」
「まあ、ぼくには翼があるからね」
呆れ顔のハンスに、ちょっと自慢するように胸を張る。
うん、我ながら子供っぽい自慢だが、男にはたまにこういうときもあるのだよ!
「それで、アラナン君は、どういう立場でフランヒューゲルに来たんだい? 君はヘルヴェティアの公式な役職に就いているわけではないし、ただの学生だろう」
「公式にはそうだね」
確かに、ヘルヴェティアの方針に関して何ら権限を与えられているわけではない。
逆にいえば、いま此処で何かやってもヘルヴェティアが公式にやったことにはならないわけだ。
全て、ぼく個人の責任ということになる。
「だが、冒険者としてぼくに依頼を出して雇うことはできるぜ。こちらで、そんなつもりはないかと思ってね」
「君を雇うって? まさかフランヒューゲルで戦闘行為なんて起こせないから意味は──いや、君の機動力と五感の鋭さなら、どんな諜報でもできそうだな」
初めは笑って断ろうとしたハンスであったが、急に真顔になって考え始めた。
「正直、こちらの三票、つまり黒騎士と、わたしの父と、ブランデアハーフェル辺境伯は磐石なのだ。だが、それ以外は全く読めない。レナス帝領伯もそれで悩まれていなさるのだが──どう思われますか、クルト卿」
「手は少しでも多い方がよかろう。どのみち、聖修道会の力も借りることになっているのだ。ギルドの冒険者を個人的に雇うくらい、どうということはなかろう」
ふむ、クルト卿は割りと考え方が柔軟だな。
そうでなければ、聖修道会と組んでルウム教会を敵に回そうなんて考えもしないか。
「じゃあ、聖界諸侯の三人と、パユヴァール公の動向を探ればいいのかな。後は、無論エーストライヒ公も」
「エーストライヒ公──つまり、息子の方だが、無理はするなよ、アラナン君。父の密偵も何人も送り込まれているが、帰ってきた者はいない。シュヴァルツェンベルク伯、あいつは遣り手だよ」
ユリウス・リヒャルトの影の部分を取り仕切っているのは、例のカレルの親戚だ。
あいつが厄介な相手であるのは、ポルスカで経験してわかっている。
それを出し抜かなければならないのだから、難儀なことだ。
「そうそう、それとアラナン君。トレヴェリンゲン大司教には、君の正体は知られないようにした方がいいよ。トレヴェリンゲン大司教の名前は、オットー・フォン・ツェーリンゲン。あのブライスガウ伯の弟だ」
「ブライスガウ伯って、ユルゲン・コンラートの父親の? そりゃ、ぼくのことは恨みに思ってそうだね」
「後は、最も権威と力を持っているのは、帝国宰相たるマイン大司教のダニエル・フォン・リーベンシュタインだ。他の聖界諸侯も、彼の動向ですぐ動きを変える。ラティルス王国宰相たるヴィオルン大司教のループレヒト・フォン・ヘッセンですら、マイン大司教には逆らわない」
まあ、実際ラティルス王国など今や名前だけだからね。
ジュデッカ共和国やメディオラ公国などに分裂してしまっているのが実情だ。
帝国皇帝の称号のひとつであるラティルス王に対応して、ヴィオルン大司教がラティルス王国宰相になっているが、実態は何もない。
そりゃマイン大司教には対抗できないよね。




