第二十章 リンドス島攻防戦 -8-
結局、昨夜は敵の妨害が激しく、それほど敵艦隊への損害は与えられなかった。
むしろ、上陸拠点を襲撃したノートゥーン伯の班の方が、しっかり戦果を挙げてきたようだ。
クリングヴァル先生たちはただ戦っていたようだが、お陰で敵の目がそちらに集中し、他の者の放火活動が順調に進んだようだ。
そういう意味では、クリングヴァル先生の功績なのか?
いや、先生はそこまで考えていないはずだ。
ただ、ノートゥーン伯なら、そのくらいは計算していたかもしれないな。
「上陸が再開されたようね。でも、リンドス騎士団は何故敵の上陸を阻止しないのかしら。まず攻撃を仕掛けるとしたら、上陸時でしょうに」
丘から砂浜を眺めるマリーが、不思議そうに呟く。
「弱腰だよね。敵が全て上陸したら、余計に不利になると思うんだが」
「敵艦隊の大砲の多さで、腰が引けとんねん。情けない男たちやわ。──ジュデッカ敗退にも怯えとるんやろうけれど」
ジリオーラ先輩の声は、いささか悔しそうだ。
兄の艦隊の敗北には思うところもあるのだろう。
「今後の方針はどうなっているんです?」
剣を磨くのに余念がなかったノートゥーン伯が、ぼくの問いに顔を上げる。
伯爵は肩をすくめると、小さく首を振った。
「暫くは待機だ。敵が城に向けて移動を開始したら、出番もあるだろう」
「連中、結構手強いですよ。陣を構えられたら、少数の人数で何とかなる相手じゃない」
昨日の件は、ノートゥーン伯には報告してある。
セイレイス帝国の底力を、決して侮ってかかってはいけないのだ。
魔法に対して、無力というわけではない。
「アラナン、そんなことはマティスだってヴァレットだってわかっている。だが、やるしかないし、そのために乾坤一擲の機会を待っているのさ。全力で戦うのは一度でいいと思っているんだろう」
珍しく、クリングヴァル先生が理知的なことを言う。
いや、戦闘に関しては頭が働くのだろうか。
「おれたちは、それまでなまらないように体を動かしていればいい。訓練はちゃんとしとけよ」
うん、やっぱりいつもの先生だな。
マリーとジリオーラ先輩の表情が、一気に渋いものに変わったよ!
魔力圧縮の訓練って、精神集中するからひどく疲れるんだよね。
その上で体も動かすわけだから、慣れないと短時間でもへろへろになる。
そうして、セイレイス帝国軍の上陸を許したぼくたちは、向こうの出方を何日かうかがっていた。
砂浜には再度橋頭堡が築かれ、警備もより厳重になっていた。
ミクラジア軍管区軍に続いてルウメリ軍管区軍、最後に皇帝親衛隊も上陸してきている。
セイレイス帝国は幾つかの軍管区に別れており、旧フルヴェート王国近辺のフルヴェート軍管区、帝都ミクラガルズより西の旧グリース王国周辺を管轄するルウメリ軍管区、帝都より東のミクラジア半島を管轄するミクラジア軍管区、旧カナン王国周辺を管轄するシャーム軍管区、ノストゥルムの内海の南の大陸にあるケメト軍管区などが主たる軍管区だ。
今回の出撃で出てきているのは、そのうちのふたつの軍管区軍と帝都の直属軍である。
占領地の軍を迂闊に動かせないということもあってか、ターヒル・ジャリール・ルーカーンのフルヴェート軍管区軍などは出てきていない。
不幸中の幸いだろうか。
敵に動きが出たのは、上陸から三日後であった。
ミクラジア軍管区軍が、海岸沿いに南下し始めている。
リンドス城への攻略にかかったか。
二列縦隊で三千ヤード(約二千七百メートル)くらいの隊列があるところを見ると、兵力は六千弱かな。
「ぼくたちの出番もあるかな?」
そう呟いてみたが、次にルウメリ軍管区軍が動き始めたのを見て、もう少し観察を続ける。
こちらは海岸沿いを進まず、真っ直ぐ南下をして丘の上のヘルヴェティア軍に対して陣形を組み始める。
ざっと見たところこちらの兵力もミクラジア軍管区軍と同じくらいはいそうだ。
「やはり、こちらの動きの牽制にきたか。それにしても、二千に対して六千とは警戒が強い」
ノートゥーン伯の言う通り、ルウメリ軍管区軍は丘の上のヘルヴェティア軍の動きに合わせて行動してくるようだ。
城内のリンドス騎士団と呼応してミクラジア軍管区軍を攻撃すれば、ルウメリ軍管区軍に横腹を突かれかねない。
最後に、皇帝親衛隊がルウメリ軍管区軍の後ろを通るように海岸沿いを南下していく。
兵数は三千程度であるが、銃火器の装備率が高く、しかも大砲も持ち込んでいるようだ。
セイレイスの中核部隊だけあって、揃いの制服に身を包み、行進もよく訓練されている。
あれにまともに行動させたら、かなり厄介なことになるぞ。
「こちらの動きを封殺された感じだけれど、どうするのかしら」
マリーが疑問を呈すると、クリングヴァル先生がにやりと笑った。
「簡単だろ。目の前の敵を排除して、しかるのちに本命を叩く。それ以外の道はないぜ」
さらりと言ってくれるが、目の前にいるルウメリ軍管区軍六千だって、騎兵こそないものの長槍、刀、弓、弩などを装備した多兵種編成の軍団だ。
二千程度の歩兵の突撃に揺るぐような隙はないと思うけれどねえ。
「ま、すぐに出番は来るさ。こっちは飯にでもしよう」
マティス将軍の許に向かうノートゥーン伯を後目に、クリングヴァル先生は夕食の催促をする。
確かに、すぐに戦いにはなるだろう。
ヘルヴェティア軍は、そのために城の外にいるんだからな。
「案じなさんすな。いざとなれば、わっちだけであれくらい蹴散らしなんす」
まだ麓の敵陣を見るぼくの肩を、ファリニシュが叩く。
確かにいつもはマリーの護衛に徹していて、ファリニシュが全力で戦ったことはない。
その気になれば、ぼくらの中で一番怖い存在なのだ。
もし、敵を攪乱しなければならないときがきても、ぼくだけでなくファリニシュがいれば、敵の魔法師たちに立ち向かえるだろう。
そう考えると、少し気が楽になるな。
何でも自分が何とかしなきゃって思うのは、ぼくの悪い癖だったっけ。
ファリニシュがああ言ったのは、気を遣ってくれたのかね。
だが、準備をして出撃を待っていたが、結局その日は命令はなかった。
翌日はミクラジア軍管区軍がリンドス城の攻囲の陣の構築に入り、ルウメリ軍管区軍がそれを守るようにやや南東に移動した。
セイレイス帝国は持久戦の構えだろうか。
マティス将軍が方針を決めたのは、翌日のことであった。
ヘルヴェティア軍二千で丘を降り、ルウメリ軍管区軍を蹴散らすことにしたらしい。
当然ぼくたちも出番かと思ったが、ノートゥーン伯に与えられた指示は待機であった。
「切り札は最後にとっておくことにしたんだろう」
クリングヴァル先生は詰まらなさそうに槍を振り回している。
マリーとジリオーラ先輩は、出撃待機ということでのんびりとお茶を飲んでいた。
呑気でいいが、そんなのんびりもしていられない気がする。
二千で六千を破るのに、ぼくたちを使わないということは、ふたつの要因があるのだろう。
マティス将軍には勝つ自信があり、そして邪魔が入る可能性を考えてぼくたちを温存しておく気だ。
黒石教の魔法師や、皇帝親衛隊がどう動くかも見ているのだろう。
ま、とりあえずマティス将軍のお手並みを拝見といくか。




