第十八章 アプフェル・カンプフェン -5-
下の階には気配がなくなったので、階段を降りる。
三階ほど降りると、その下の階に二班の気配があった。
一方が勝利を収めたか、騒動は沈静化していっている。
「カレル、ヘルマン。下にいるのは、トリアー先輩の魔力だ」
「へっ、黄金首がやってきたね」
カレルが口笛を吹くが、向こうは動き出す気配がない。
階段の下で待ち構える策を選んだようだ。
「昇ってはこない。どうやら、招待したいらしいな」
「逃げればいいものを。おれたちを招いて、食い尽くされないやつはいないぜ。アラナンとヘルマンは大食らいだからな!」
「大食らいなのはぼくじゃなくて、アンヴァルだよ」
「はっ、アンヴァルの皿からソーセージを取れるのは、お前だけだよアラナン」
放っとけ!
男には、やむにやまれず戦わねばならないときがあるのだよ。
「ぼくが先に行く。カレル、ヘルマンの順についてきてくれ」
「了解。怖くて小便漏らすなよ、ヘルマン」
「あ? やる気ならやってやんよ、カレル先輩さんよお」
人の後ろで睨み合いを始める二人に拳骨を食らわせると、改めて下に降りていく。
しかし、たった三人の班だが、人をまとめるというのは大変だな、これ。
ノートゥーン伯の日頃の苦労が、わかった気がするよ。
階段を降りると、その下には三人の男女が囲むように待ち構えていた。
短い赤毛に男顔負けの筋肉を盛り上がらせているのは、トリアー先輩だ。
すると、セミショートの金髪の女の子がイザベル・ギーガーで、長いストレートの金髪の男がジェレミー・フランソワ・ド・シャルトワだな。
「くくく、罠にかかりましたね、アラナン・ドゥリスコル! 大人しくダルブレ孃を渡しなさい」
「少し下がってな、ジェレミー! 一人といっても、あのアラナンだ。油断するんじゃないよ!」
いきなりわけのわからないことを言い出すジェレミー・フランソワを、トリアー先輩がたしなめる。
うう、先輩も苦労されているんですね。
「こいつの足はあたしが止める。行け、イザベル!」
「はい! ブリジット先輩!」
おお、イザベルが臆せずに突っ込んできた。
勇敢な踏み込みは、マティス護民官の仕込みか?
だが、腕前はそれなりだな。
踏み込んで腕を撃ち落として、林檎を奪おうと──したところで足が動かない。
「念動魔法か!」
そういや、トリアー先輩はこれの使い手だった。
ありったけの魔力を込めているのか、びくとも動かない。
「取ったあ!」
叫びながらイザベルが突っ込んでくるのを身を屈めてかわすと、無防備の腹に通天掌を放つ。
十分手加減をしたが、それでもイザベルは吹っ飛んで廊下の床に叩き付けられた。
くそっ、トリアー先輩のお陰で手加減しきれないな。
ついでに魔力の糸で回収しておいた青銅林檎をカレルに投げると、改めて二人と対峙する。
「動けなくても厄介な──行きな、ジェレミー! 油断はするんじゃないよ!」
「ふふ、このジェレミーの華麗なる戦いをご覧に入れましょう、トリアー孃」
自信満々にジェレミー・フランソワが取り出したのは、何かの魔道具だ。
短い棒の先に、紫水晶が付いている。
その棒をぼくに向けると、ジェレミーは嫌らしそうに笑った。
「覚悟しなさい、アラナン・ドゥリスコル。この麻痺棒で、貴方の動きを完全に止めて差し上げましょう!」
そう言ってジェレミーが魔力を込めようとしたとき、天井から伸びてきた黒い手がひょいとその棒をつかみ取った。
「なっ!」
慌てて天井を見上げるジェレミー。
天井には黒い影のようなしみがあり、そこから手のようなものが伸びてきて魔道具を奪い取ったのだ。
「なんだ、あれは!」
愕然としているところを悪いがね、ジェレミー。
隙が大きすぎるぜ。
魔法の糸をすかさず伸ばすと、上を見上げるジェレミーから林檎を奪い取った。
トリアー班、全滅である。
「がっ、卑怯なアラナン・ドゥリスコル! 正々堂々できないのですか!」
「いや、言えた義理かよ」
地団駄を踏むジェレミーに、麻痺の棒を持ったカレルが冷静に突っ込む。
そう、あの影の手はカレルの仕業だ。
シピの影魔法を魔道具で再現しようとした結果、あの移動する黒いしみを作り出した。
あのしみはカレルの魔法の袋と繋がっているし、手の動きに合わせてしみを操作もできる。
かなり高度な魔道具だ。
「あー、負けた負けた。あたしがあんたの足だけじゃなく、全身を止める魔力があればねえ」
トリアー先輩が、さばさばした表情で黄金林檎を差し出してくる。
「いや、流石は先輩です。足がびくともしないときは、ちょっと焦りましたよ」
「ちょっとじゃねえ。あれがあたしの全力なんだけれど。──おい、イザベル、大丈夫かい?」
床に打ち付けられたイザベルが、お腹を押さえながら立ち上がってきた。
「凄い痛いですけれど、大丈夫です。魔力障壁で軽減できたみたいで──あれ、飛竜の通天掌ですよね。実際に見られるなんて感激ですよ!」
「ごめんよ。君たちの連携がよくて、つい使っちゃった。手加減はしたんだけれどね──」
「ははは! アラナンに絶技を使わせた中等科生だって胸を張れるよ、イザベル。マティス護民官も、よくやったと褒めて下さるさね」
トリアー先輩に肩を叩かれ、イザベルは痛そうに顔をしかめたが、すぐに笑顔になった。
荒っぽいデーン人のトリアー先輩に付いていけるんだから、イザベルは根性があるんだな。
そこらへんをマティス護民官に買われたのかね。
「ううぬ、このわたしがアラナン・ドゥリスコルごときに──オリヴィエ先生に申し訳が立たない──」
「お前の先生がティオンヴィル副伯なら、負けて当然じゃん。アラナンの師匠のクリングヴァル先生は、ティオンヴィル副伯にフェストで勝っているんだぜ」
ぶつぶつ呟くジェレミーに、カレルが容赦ない言葉をかける。
そして、ヘルマンがとどめを刺した。
「大体てめえ、おれにも勝ったことないのに、兄貴に勝てるはずねえだろ」
「ぐぬ──大体貴様、ヴァイスブルク家ならわたしに協力するのが筋というものでは──」
「はん、おれは家とは関係ねえ。おれはただのヘルマンだ。てめえと一緒にするな!」
何故か胸をそっくり返らせながら、ヘルマンは右手の人差し指をジェレミーに突きつけた。
悔しげに唇を噛むが、ジェレミーは反論してこなかった。
ヘルマンには弱いのだろうか。
でも、ヘルマン。
偉そうにしているが──。
お前、まだ何もしてないからな。




